W A K I の気ままなトンボの目

自分流の勝手な生き方ですが、何か気付いたことを書いてみます。
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東海道の起点だ 「京の町時代を越えて橋がある」

2016年03月05日 | TOWN


 京都へ折角来たのだからと三条あたりをうろうろしたがやはり三条大橋は五条大橋と並んで歴史の重みを支えて存在感を示している。三条大橋は東海道の五十三次の西の起点として橋そのものは室町前期から存在するらしいが、天正18年(1590年)の礎石がいまも残っているそうだギボシに刻まれた銘にはいかに大工事であったかを伺わされる。橋のたもとにはここが日本駅伝発祥の地の碑もある。駅伝とは言っても大正6年(1917年)4月27日~29日の3日間、東海道駅伝徒歩競争として三条大橋を起点としてゴールは東京・上野不忍池であったとある。

 

 

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3 コメント

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歴史に名を残す三条大橋 (Mont)
2016-03-05 10:33:36
三条大橋には1590年の礎石があるとすると、関が原の戦いの10年前ですが、さすが歴史のいろいろな場面に登場する大橋だけあって随分と古いものですね。今はコンクリート製になっていますが、木製では持たないのでしょう。
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鴨川と三条大橋、五条大橋! (kusa)
2016-03-05 13:48:28
 鴨川を挟んで区が分けられて居る上に有名な三条大橋と五条大橋があるが、歴史的に古く、天正18年(1590年)に豊臣秀吉の命により、増田長盛という武将が奉行として従来の木造であった柱を石柱に改修されたと歴史書に書いてあるが又、五条大橋は義経と弁慶が出会った橋としてもつとに名高いが、その事実判断はどうもハッキリしないということらしい。
 大坂八百八橋と言われて橋の多さは格段に京都より多いが京都の様に日本中が知っている橋はそう多くはないようである。

    
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歴史を刻む橋 (WAKI)
2016-03-06 09:49:34
Montさん
当時の礎石は今も川床に埋まって一部は今も使われているのではないでしょうか、でも欄干の下の木は雨ざらしでだいぶ朽ちているようです。

kusaさん
昔の人はやっぱり偉かったのですね。歴史の重みを感じます。
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