きのうは大阪へ出て病院を2つハシゴして姉と弟の見舞いとスタッフの皆さんとの面談、それに費用の支払いをしてきた。帰りは枚方公園駅で降りたので、案内板をスケッチしてきた、「徳川幕府は、17世紀初頭から全国区的に街道整備・宿駅設置を進め、東海道の延長として伏見・淀・枚方・守口の4宿を設けました。枚方宿は東見附から西見附まで797間(約1,5km)問屋場・本陣のほか旅籠や商家など多くの町屋が軒を連ねて宿場町としての賑わいを見せました。紀伊徳川家は、藩主吉宗が八代将軍に就いた後、六代藩主宗直の寛保元年(1741)の参勤交代から、大坂・京に将軍家の権威を示すために東海道を通ることが多くなり参府・帰国とも枚方宿に宿泊することを常としました。また、枚方は淀川水運の中継港で米や河内木綿、菜種など物資の集散地であったため、在郷町としても繁栄し人と物が行き交う水陸交通の要衝として重要な役割を果たしました。」とある。
枚方は書かれている通り江戸時代、東海道57つぎの枚方宿のくらわんか舟で賑わった宿場町、WAKIさんに案内いただいた鍵屋で歴史家に詳しい説明を聴かせてもらい、認識を新たにした思い出はつい、昨日のように思い出しています。
歴史街道は枚方公園駅から枚方市駅まで屋並は昔の風情を残し復元が進められています。
Montさん。
駅近くの鍵屋資料館には当時の参勤交替の様子や資料が沢山あって参考になります。機会があればご案内いたします。