もし、その子たちやそのご家庭の保護者等が私どものところに相談に来ていれば、こういうことにはならなかっただろうとと思うと、とても残念である。実は、昨日はスクールの子どもたちと上野の国立科学博物館に「失われた文明展:マヤ・アステカ・インカ」に行ってきたが、その後でもいいからぜひ相談に乗って欲しいという依頼が入っていた。そこで夕方から、そのご家族とご本人とお話しすることになった。
やってきたのは小学1年の男の子とそのご両親。現在、完全な不登校であると言う。学校、担任教師やその友達たちに激しい拒絶反応を示している。相談に来たのは子どもを見ての軽はずみな行動ではなく、よくよく考えた末の思い余ってのことであった。訊いてみると確かに多少「普通の子」からすれば変わった傾向のある個性的な子である。だが、なぜ様々な病名をつけ集団には異質な存在と決め付けてしまうのか。
本人は至ってかわいい。「他動傾向あり」ということらしいいが、ちゃんとおとなしく座って話を聞いている。人は認められ受け入れられていると感じれば無意味に騒ぐことはないのである。疲れていたのか、途中で眠ってしまったが、見方によっては自分が安心できる場ではこのように無防備に自分を晒しだせる。大人の話が終わって帰るとき、「また、ここに来てもいい?」とクリクリした目を向けて聞いてきた。もうこの子は大丈夫、安心である。ご両親たちは、「このまま学校に無理やり通わせても、将来は作業所のような生活が待っているだけなんです。そうではない、この子に合った自立して生きていける道を与えてあげたいんです」と語っていた。早く相談に来てくれて良かった。この子に合った歩みができるなら、この子は大きく成長していける、そう思った。
先の話に戻るが、飛び降り自殺を図った中学生たちには、共通したことがある。それは学校側から強い登校刺激を受けていたこと、そして保護者が“学校の要請に応えようと”しきりにその後押しをしていたということである。自殺を図った子どもたちには、学校にも家庭にも居場所がなかったということである。その時、一人でもいいその子たちの思いを受け止めてあげる人が側にいたならば、その子たちはあたら若き命を無駄に散らすことはなかったのである。
人を孤立無援の状態におくこと…辞任表明した安倍首相を見るといい…それは大人にも耐えられることではないのである。無責任と言われようと空気が読めないと言われようと、心身を守るためには、そこから身を引くことが懸命な、唯一の方法なのである。
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