教育落書き帳

教育とは何か…子どもの視点を尊重し、親、伴走者、市民の立場から語ります。子どもを語ることは未来への信頼と希望を語ること。

日本の教育システムの破綻の姿でしょう

2008年03月20日 | 「大人のフリースクール」公開講座
高校生は地理が苦手 6割「宮崎ってどこ?」(産経新聞) - goo ニュース

識者の間では、「日本の地理教育や歴史教育をどげんかせんとあかん」と言うことになるのだろうが、「ちょっと待った!」と言いたいね。これは生徒・学生たちにさらに詰め込めば解決するという問題ではないね。

ただ試験のためにひたすら覚える勉強をするという勉強のあり方を変えないと、何の解決にも繋がらないだろうね。無味乾燥にマシーンになって記憶したって時間が過ぎれば全部忘れる。子どもたちに覚えていなければならない真理的必然性なんてどこにもないのだから。日本での勉強は興味関心のありどころと勉強で記憶することがばらばら。結局、本人にとって何の学習にもなっていないのだ

以前、テレビの「大田総理」の番組で、イラク戦争のことを論じ合っていたとき、自民党の山本太一氏がイラクがどこにあるか答えられなかった、ということがあったが、勉強不足とか頭悪すぎなどと批判する前に、本人に興味や関心がなければ誰だってああいうことになる。まあ、」彼にイラク問題を真剣に考えようという気持ちはなかったと言うことにはなるな。

だから、結局、今回の調査の結果からどういう教訓を導き出すかと言うと、(これでその人の理解の程度が分かってしまうのだが)、私流に言うならば、今までの日本の学校の勉強の仕方では、国際人を育成するどころか、地理としての空間軸も歴史としての時間軸も考えない子どもたち、もちろん現代社会の理解に繋がるはずの公民における政治・経済の理解も弁えない子どもたちを大量に吐き出しているだけだということ。

まあ、今の学校教育という教育工場からはそんな部品を生み出すことしかできないだろうな。本質的に考えることのない子どもたちの大量生産なのだ。第一、製造に携わっている人たち自身もそのレベルなのだから

川口高校校長の教え子への脅迫事件について

2008年03月10日 | 「大人のフリースクール」公開講座

教え子に関係迫る=脅迫で高校校長逮捕-卒業式出席後に任意同行・埼玉県警(時事通信) - goo ニュース

出来たらこんなアホな事件には触れないでおきたいのだが、今までも教育雑誌での教育事件の取材も行い発信してきたし、今もNPOで教育ネットワークを設立し、あまつさえフリースクールも運営している。その上、この事件の現場は、このこの辺の中学生たちがそれなりのレベルの高校の一つと考え受験目標として頑張っている高校でもあるのだ

私の住んでいるところはさいたま市であるが、川口市との境に近く、事件の現場、川口市立川口高校、通称カワタカとはそんなに離れてはいない。現に今私達のフリースクールに来ている生徒の何名かはその近くから通ってきており、今年その高校を受験する生徒はいなかったが、近辺で受験する生徒は多い。確か女優の和久井映見がそこの出身ではなかったろうか。

川口市立川口高校の校長が元教え子の女性に復縁を迫り、断られると「裸の写真をばら撒く」とか「殺すぞ」とか脅迫をしたらしい。教育者としては、というよりも一般の社会性のある大人としてもとても考えられない事件である。その彼が逮捕される数時間前までは立派な校長として卒業式に臨み、「社会人」としての薀蓄を生徒たちに垂れていたらしい。いやはや大した校長さんです。

それでびっくりした教育委員会が全市の小中高校の校長を集め集会を開いたようだが、何を話したのだか。驚くことに「立派な校長さんだった。残念だ」とかの他の校長の声があったり、何が嬉しいいのだかにやけた表情のその高校の教頭のインタビューなどが放映されたが、これもテレビの前であり得ない対応である。何か教育全体がずれてしまっているのではないか。ばれなければこの校長は立派な校長として職務をまっとう出来たというのだろうか。

この校長の行為は5年にも及ぶらしい。そんな人間を優れた教師のように持ち上げ、教師の鏡、手本である校長にまで登らせたのは誰か。しばらく県の教育局にもいたというから、教育局の連中も上辺の立派さと本質とのギャップを全く見抜けなかったということだろう。そんな連中が県の教育のトップに居座り、下位の教職員に向かって指導をしていたというわけかになる。これはそういう人間を校長にまで上らせた県教育局の責任も重大であると言わざるを得ない。こういう人たちがどういう態度で「社会性」や「道徳」を説くというのか。

生徒たちの人格形成に与える影響はとてつもなく大きい。もう生徒たちは、教師がいくら偉そうなことを言っても聴く耳を持たないかもしれない。「ふん、教師だけあって、口先では随分偉そうなことを言うよ」くらいにしかもう受け取らないのではないか。日本の教育を、将来に夢を抱く子どもたちを、文部科学省と教員たちが一生懸命になって壊している。そんな構図である

一昨日のNHKの教育論議の中で、文部科学省や教員システムを解体し、もっと教育に自由を、という声があったが、もう日本の教育を彼らに任せて置けないところまで来ているのは確かだろう。


いかにもNHKらしい議論で…

2008年03月09日 | 教育全般

いかにもNHKらしい議論で…

昨日はNHKの「学力低下」に関する教育論議を見ていて、「いかにもNHKらしいな」と思った。

教育に関心のある様々な人が参加してああだこうだと議論はするが、すべてが紋切り型の言いっ放しで、まず結論というものがない。いや、結論は「ないのではなく、出ないのでもなく、出さないのだろう」、それがNHKの流儀なのだろう、というのが私の見方である。どうもそれが“NHKの中立”というものと錯覚している節がある。

でもね、そういう論議なら、いくらやったってエネルギーの無駄というものではないか(このために、どれだけの予算が費やされるのだろう?私のところにもアンケートへの協力の依頼が来た)と思う。中には耳を傾けるべき考えも見られたが、結局はNHK流の言葉の消費・蕩尽で終わってしまうことになる

あの白熱した議論の中で、子どもたちのシラーっとした態度が印象的だった。
あんな大人、専門家を見て「駄目だこりゃ」と思ったのではないかなあ。