教育落書き帳

教育とは何か…子どもの視点を尊重し、親、伴走者、市民の立場から語ります。子どもを語ることは未来への信頼と希望を語ること。

子どもたちの受難の歴史…今この時においても

2011年06月08日 | 子ども

▼「子どもの心と命のために」というのが、私たちが活動しているNPO法人教育ネットワーク・ニコラの標語である。もともとは小冊子に付したタイトルで、「我が子が教育機関に通うようになった時、子どもの側にいる親の手助けとなるための小冊子」というのが当初の目的であった。

▼その時(1995年)の朝日・読売・毎日の三大紙や各地方紙で私どもの活動をそれぞれかなりの紙面を割いて紹介して下さったことは望外の喜びであった(当時まだ民間の立場から市民活動を行うというNPOの概念そのものがなかったのです)。ところがいかんせん、それは欲張り過ぎとも言えたが、当時の子どもたちの問題でマスコミの脚光を浴びていたのは「不登校」問題であった。

▼そういうこともあって、マスコミの紋切り型の報道によく見られがちだが、ご多分にもれず、不登校問題をはじめ「学校で生き難い問題を抱えている親御さんに読んで欲しい小冊子」というような紹介をされたのである。その結果、否応なくそういう問題と真正面から向き合う雑誌という特異な使命を帯びて仕切り直しの出発と相成った。爾来、16年間、そういう問題と向き合い、それはそれで一定の社会的役割を果たしてきたと思っている。

▼子どもの歴史は、まず「大人の未完成品」という見方があり、その後ルソーの教育論とも相まって「子どもの発見」ということになるが、そのように子どもという存在が人類史上に登場したということは、必ずしも喜ばしいことばかりではなかった。それは「子どもの悲劇の誕生と言うことと背中合わせであると言えなくもないのだ。以後、子どもの問題に様々な照明が当てられるが、子どもが子どもとして生きられない歴史の跡付けでもあったとも言える。

▼日本で大きく子どもの問題が取り上げられるようになったのも、やはり子どもの存在それ自体ではなく教育との関連においてであった。1990年代、それは「不登校」という切り口で脚光を浴び、近年は「育児放棄」や「虐待」という切り口が多い。そして、今回のそれは全く予想外の切り口「放射線被曝」という受難である。

子ども受難の歴史において、それがいかに不十分な関わりではあっても、少なくとも今までは大人がまだ未完成な子どもを教育し庇護するという立場からの関わりであった。そして少なくとも大人の関わりが変われば子どもは守られたのである。そして、そのために親だけでなく学校の教師をはじめとする教育関係者がその役を任じてきたのである。そして、良くも悪くもそういう子どものもろもろの教育の頂点に文部科学省(旧文部省)があった

▼ところが、「想定外」の大地震によって引き起こされた「想定外」の福島第一原発の事故によって、本来は子どもを守る立場にあるはずの親や一般の大人たち自身が家を失い、土地を失い、職を失い、生活基盤を根こそぎ奪われて、着のみ着のままで流浪する事態となった。またそこに残った子どもたちにも年間20ミリシーベルトという異常に高い数値の放射線を「安心・安全」と言われて日々浴びているその基準を設けたのは他ならぬ文部科学省であり、親も教師もそれに唯々諾々と従う。が、もしかすると、上からの命令だからと文科省の基準に従うことはみすみす子どもを放射能被曝に晒し、子どもたちの命を縮める加害の行為に加担しているのかもしれないのである。

▼「我が子に被爆させない行動をとると非難されます」とはネットから聞こえてくる現地の親の悲痛な声である。「まるで戦前・戦中の日本の様です」と評する人もいる。私にはそういう声を伝え聞くだけで何も出来ない。しかし、私たちの住んでいる地域でも真実の情報は隠されたままなのかもしれない、とも思う。一体、何のために、誰のために隠蔽するのか。すべてを明らかにして、判断は国民に任せた方がいいのではないか。気休めの言葉は返って真の判断を鈍らせるのである。

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“お話出て来い”にみる日本語の語りについて

2008年09月01日 | 子ども
▼幼少の子どもをお持ちのお母さんやお父さん、あるいは元子どもであったお母さんやお父さん、NHKの「お話出て来い」の番組をご存知だろうか。今もこの番組に耳を傾けているお母さんやお父さんはいらっしゃるだろうか。

▼今は朝の午前10時、NHK第二放送において、月曜から金曜までの毎日この「お話出て来い」の番組は流されている。対象は、年少・年中・年長の主に幼稚園の子どもたち。もしかすると、この番組を子どもたちに聞かせている幼稚園があるかもしれない。私が知らないだけで、結構多いのかも知れない。現状を知りたい気もする。

▼“どんどこどん、・・どんどこどんどこどんごこどん、・・でーてこい、でーてこい、でてこい・・お話でてこい、どんどこどんどこどんどこどん・・でてきた、でてきた、でてきたよ、ほーらでてきた・・ ”
太鼓の音に乗って、こんな言葉で番組は始まる。語りの佐野浅夫さんは今も現役である。氏の語りはもう4000回を超えるらしい。

▼NHKの“お話出て来い”のサイトの謳い文句には次のようにある。
「幼児の想像力を育てるのに、ラジオはもってこいのメディアです。ラジオに神経を集中させて聞くことは、子どもたちにとっては難しいところがあると思います。一方でその集中力は「人の話を聞く」力にもつながります。イメージをふくらませる音楽と効果音、そして一流の語りが子どもたちを物語の世界へ誘います。」
正にこの言葉の通りだと私も思う。

▼不思議なことに、私は自分もこの佐野浅夫氏の番組を聴いて育ったような気持ちがしている。本当だろうか。思い込みと記憶とがどこかでごっちゃになっているのかもしれない。この私もこの番組を聴いて育った一人である──そんな気が本当にするのだ。一体、この番組はいつから始まったのだろう?
まだ、自分で書物を読むには早すぎた時期、周りに子どもの私にじっくり本を読んで聞かせてくれるような環境がなかった時、私はこの番組のテーマソングが始まると、ウキウキとして「今日はどんなお話が聞けるか」と楽しみにしていたものだ、というように自分のことを感じているのだ。私は今でも小さな子どもになって佐野浅夫さんや香椎くに子さんの語りにじっと耳を傾けている自分を見出す。

▼今はアニメなどの映像、しかも動画が主流の時代であるけれども、当時はまだラジオが主流の時代であった。そして、ラジオそのものは地域社会の伝達の大事な手段となっていて、もちろん子どもにチャンネル権などはなかったが、どういうわけかこの番組がよくラジオから流れていて、私はそれを聴いていた──そんな気がしている。
あまり書物に恵まれなかった私は、この番組を通して、その言葉や音響から自由に想像の翼を羽ばたかせ、空想し考えることを学んだのだと今でも思っている

▼実際はどうなのだろうか。この番組は一体いつから始まったのだろうか。

▼今、私がなぜこんな番組を話題にするかというと、今も時々私はそれを聴いているからである。確かに、自分の子どもたちがまだ小さかった頃、「泣いた赤鬼」とか「島引き鬼」の語りの入ったLPレコード(佐野浅夫氏の吹き込みによる)などを買い求めて、当時からそれなりの評価はしていた。が、今はもっと別の角度から、この番組を評価している自分がいる。

▼少し前、斉藤孝氏の「声に出して読みたい日本語」シリーズがブームになり、日本語を音声で理解することの大切さを再認識することにもなったが、それは飽くまでも大人の視点から見た、大人が理解できる立場から評価したものであった。だが、実際はそれでは遅すぎるのである。子どもの頃から、幼児の頃から、日本語に声を、語りを取り戻さなければならない。私らの場合には大人が聞いていた落語や浪曲の語りや口上などをそれなりに聴いて育っては来たけれど、今の子どもたちには学ばせるものがまるでない。それをこの「お話出て来い」は補ってくれるのではないか──と考えている。

▼そうすれば、日本語にも英語等に劣らない豊かな語りや話術があるのだということを発見することにもなるのではなかろうか。実際、私たちは日常、人と話をしたり、テレビで番組を観たりしても、それをどれだけ言葉として定着させているだろうか。
国語力の低下」などと巷では言われているが、今まで子どもたちにそういう話のメモの取り方や話のまとめ方、表現の仕方、弁舌のあり方などについてなんら方法論的な取り組みはしていない。「国語力の低下」などというのはその結果に過ぎない。今、アメリカの大統領の予備選を見ていて、候補者に限らず彼らの弁舌のさわやかさに圧倒されるような思いがしている。小さい頃からそういう教育を受けているかいないかの影響はとてつもなく大きい。

▼そういうことを含めて、子どもの表現力の向上、語りの復権のためにも、幼児だけでなく小学生や中学生くらいまでの子どもたちに是非この「お話出て来い」に耳を傾けることをお勧めしたい。

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