教育落書き帳

教育とは何か…子どもの視点を尊重し、親、伴走者、市民の立場から語ります。子どもを語ることは未来への信頼と希望を語ること。

「不登校」に対する教員と保護者の隔たり──データをどう読むか

2009年09月19日 | 教育行政
「不登校」に対する教員と保護者の隔たりについて

▼広島県教委の教育アンケートから
 広島県教委は今年の8月、第1回教育モニターアンケートを行なった。アンケートの質問は、①子どもたちの行動や態度②暴力行為・いじめ・不登校③携帯電話の3分野。このうちの「不登校の原因や背景は主にどこにあると思うか」という質問に対して、県民・保護者、企業では「いじめ」が7割以上を占めたが、教員での1位は「無気力など本人にかかわる問題」(約35%)で、「いじめ」は3位の約40%であった。対して、「無気力など本人にかかわる問題」は県民・保護者、企業では3位であったという。

▼データをどう理解するか
 この結果に対して、広島県教委側では、「いじめ」が一位となるのは「ドラマやニュース」の影響ではないか、「教員の自覚不足ではないと思う」という指導第3課のコメントを紹介している。因みに、「08年度の調査では、県内の公立中学校でいじめが原因の不登校は全体の2・2%で、全国でも2・5%だった」という。「はてさて、面妖な…」というのがまず浮かんだ第一の印象である。

▼教師もカウンセラーも生徒の本音を知らない
 正直言って、子どもの側にいつもいるのは保護者である。学校の教員はその子が不登校になって学校に来なくなればもはやその子と直接触れ合うことはない。ただ教員の立場を「善」として当て推量するに過ぎない。それに、文科省の指導下で、各地域で不登校対策が“教育行政的発想”で進んだ結果、不登校問題はカウンセラーや相談室の担当者に受け継がれて、担任の教師が不登校となった生徒と直に触れ合うことは益々少なくなっているのが現状である。それに、カウンセラーや相談室の担当者にしろ担任から申し送られた判断を基準にして生徒と接することであろう。ここで蛇足ではあるが、教育行政側の自画自賛とは異なり、多大な不登校対策費をつぎ込みながら、大した成果をあげていないのが実情である。この辺りの施設でも閑古鳥が鳴いているところが多い。それに子ども達は子どもなりにその場に相応しい演技をする。担任の前では学校での評価を考えた良い生徒を演じ、カウンセラーや相談室の担当者の前では良き相談者を演じる。だから、生徒達はそういう関わりの中ではめったに生の声を伝えない。まして、市町村教委や県教委が各学校から申し送りされた情報をもとに判断したならば、まず核心に触れる生きた情報がそのまま伝わるとは考えられないことである。

▼問われる行政無批判のマスコミ報道
 新聞やテレビ等はそういう情報がどのような経緯をたどって発信されているかも考慮せず、ただ無批判に流布させるか、ただ足して2で割るような報道しか出来ないのであれば、もはやそんな情報は何の役にも立たない。それどころか百害あって一利なしである。もはやその情報にどれだけの精度があるかも吟味せず、官が作り上げたぶら下がり情報をただ上から下に一方的に流せばいいという時代ではあるまい。それでよしとするマスコミのその姿勢こそ問われなければならない。
 マスコミはどこまでそういう実態を知った上で報道しているのか(もし知っていて報道しているならマスコミの偏向報道になるし、知らないなら勉強 不足も甚だしい)ということだ。きるだけ不登校の実態に即した報道(不登校統計のからくりまで含めて)をやってほしいものである。

▼教育行政の空騒ぎの自画自賛
 「不登校3年ぶり減 大学進学率50%超--09年度学校基本調査」──これは毎日新聞「新教育の森」の見出しである。その本文の一節にはこうある。「文部科学省が8月に公表した学校基本調査(速報)によると、08年度に30日以上休んだ「不登校」の小中学生は前年度比1・9%減の12万6805人で、3年ぶりに減少した。文科省が理由に挙げるのが、学校に配置したスクールカウンセラー効果だ。」第一、「前年度比1・9%減」がそんなに誇るべき成果か?

▼不登校の実態をリアルに見よ
 ただし、こういう記述もある。不登校が少し減ったことで大騒ぎするよりも、こういう不登校の実態に目を向ける方が生産的であろう。
*******************************************************************************
 「不登校予備軍」を含めれば、数字は大きく膨らむはずだ。日本学校保健会の調査では、教室に通わずに保健室で過ごす「保健室登校」の小学生は01年から06年の間に1・7倍に増加した。しかし、文科省の調査では、保健室や、スクールカウンセラーがいる相談室、市町村教委が設置する適応指導教室などに通っても出席扱いになる。学校や保護者が「病欠」として届け出れば不登校にはならない。
*******************************************************************************
 この中には敢えて組み入れていないようにも見えるが、フリースクールに通う不登校生たちもいる。そういう生徒たちは学校や教委の傘下には入らないが、やはり基本的に「不登校」という数の中には入らない。

▼不登校に見せかけない学校側のからくり
 それに、学校や教委傘下で保健室や相談室や適応指導教室に通っている生徒の半数近くは高校に入って脱落しているのではないか──これは高校中退のデータから──と考えられる。対して、フリースクールでは、たとえば当スクールの場合を例にすれば、ほぼ全員が高校に進学するし、社会参加にも成功している。この違いはどこから来るのか。
 私たちフリースクールの側からすれば、「何でこんなに高校中退が多いの?」ということになる。そこには、不登校になって学校には行けなくなったものの、学校神話から抜け切れず、学校の都合で学校に振り回され続けている子どもの実態があるように思えてならない。実際、フリースクールに来ても当初の頃は、実質的な不登校状態であるにも関わらず、週に一度程度学校に顔を出すように言われて(ということは30日連続欠席にならないから不登校扱いにはならないことになる)行きたくない学校に足を運んでいるというようなことが確かにあるのだ。

▼不登校の陰には必ず「いじめ」がある
 ちなみに、私どものところに来ている不登校生たちは、それが不登校のきっかけか否かは別にして、ほぼ全員といっていいほど過去にいじめられた体験を持っている。そういう意味では、「不登校の原因や背景は何か」というアンケートに対する答えとしては、「県民・保護者、企業」の方が圧倒的に実際に近い。「無気力など本人にかかわる問題」とする教員側の答えは、嘘偽りではないかもしれないが、全く実態を反映したものとはなっていないのである。教師という「色眼鏡」をつければ、生身の生徒が目の前で助けを求めていても、その姿も声も感知できなくなってしまうのだろうか。恐ろしい逆説である。

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 トラコミュ 不登校とフリースクールへ
不登校とフリースクール


改めて「フリースクールとは何か」を考える

2009年09月15日 | 教育全般

改めて「フリースクールとは何か」を考える

▼「教育落書帳」というタイトルに相応しく
 「教育落書帳」と言っておきながら、随分肩の凝りそうなボリュームの話ばかりが続いてしまった。幸いそういう内容を丁寧に(賛否はともかく)呼んでくださる方もいらっしゃるようだが、「ブログ」という性質上、小論文のような堅苦しいものよりはもっと気軽な「心象スケッチ」風のものの方が好まれるのかもしれない。他の方の人気のブログなどを覗いてみて、そんな感じも持った。
 そこで、「教育落書帳」というタイトルに相応しく、日々の出来事でふと心に残ったことや、気ままなクロッキー風の走り書きやスケッチの類もまたいいかなとも思っている。

▼フリースクールでの「学び」について
 「フリースクール」というと一般の人は、学業に付いていけなくなったいわゆる「落ちこぼれ」さんの集まりという印象を持つようである。確かに知り合いのフリースクールでも「学びの○○」というような謳い文句で広報をしていても、実際には学業困難な子ども達が集まっていて、その活動も当然ながらそういう子どもに合わせたものになっている。これが、良くも悪くも日本のフリースクールの大体の姿である。そして、まず何よりもそういう目的のために日本のフリースクールは開始したという歴史もある。
 そういう子ども達の場合には、やはりそういう関わりが重要であろう。そして、まずはそういう子ども達が学業はともかくとして、人から愛される価値ある存在となるために、「個性の尊重」とか「個性の伸長」というような文言が掲げられているのも肯かれるところである。そういう子ども達の中には、人と違う個性を良くないものと考え、自分の個性を消さなければ…と腐心している場合もないわけではない。

▼他のフリースクールから回ってくる子ども達
 しかし、実際に不登校となり登校拒否となる子ども達が全員そういうタイプの子ども達ばかりではない。「出る杭は打たれる」とでも言うべきか、強い個性や能力を持ち、それゆえに学校の指導や学校の仲間から排除されてしまうというような子が、全体のパーセンテージは高くはないかもしれないが、確実に存在するのである。
 そういう子ども達にとって、フリースクールが掲げる「学びの○○」という謳い文句は非常に紛らわしい。実際にそういう文言に誘われて入学してみたものの、そのフリースクールで行なわれていることと自分が求めているものとの落差に愕然とすることもないわけではない。その子自身も救いや再起を求めてフリースクールに入学したものの、逆にそこでは「白鳥」ならぬ「醜いアヒルの子」として扱われ、居場所をなくしてしまうこともある。実際、私たちのフリースクール・ぱいでぃあには毎年そういう子ども達が何名もやってくる。いわゆる、フリースクールからフリースクールへの転校である。そして、ようやくここに自分の羽を休め再び羽ばたいていくに相応しい場を見出してほっとしている姿がある。

▼自立をめざすフリースクール
 学校から離れてフリースクールにやってくる子ども達の中には、心や身体に障害を持っていたり、その他の事由で一人で年齢に見合った活動をすることがなかなか難しい子もいる。その場合には、子どもの側に立つというフリースクールとしての関わりが、ともすると子ども中心のではなく親やスタッフ中心の活動となってしまうことも否めない。子どもはいわば刺身のツマとなる。
 しかし、誤解を恐れずに再度言わせてもらうが、学校を離れる子ども達はそういう子ども達ばかりではない。時には学業がオール5で学校ではトップクラスの成績であったり、学校では評価されなかったり評価の対象にはなりにくい様々な才能や個性を持っていて、それ故に学校には行けなくなったという場合もよくあるケースである。たとえ学校が様々なタイプの生徒を想定して運営していたとしても、学校という枠組みが先にあり、それに合わせることを個々の子ども達に求めるのが通例である。だが、どの子も既製服がぴったりと身体に合うわけではない。大きすぎる子もいれば小さ過ぎて体を通せない場合もあろう。だが、自分流に学生服を改造していいかというとそれはまず許されない。「みんな一緒」という思想が教員にも生徒にも浸透している。そういう子の場合にはやはり「自分を生かすために」学校を離れざるを得なくなる。

▼全員が高校進学へ羽ばたいて
 私たちのぱいでぃあを「不登校のエリート達が通うフリースクール」と称する人たちがいる。確かに、自立心が旺盛で勉強のやる気のある生徒が多いのは事実である。が、それは結果から判断した印象に過ぎない。実際には、勉強が好きな子や嫌いな子、他に才能や個性のある子など、様々な子が通っている。
 もとより、フリースクールは進学塾ではない。進学の実績を誇ることもしない。だから、やる気のある生徒だけを集めるとか、入塾テストを行い偏差値の高い生徒ばかりを優先的に集めるとか(偏差値の高い生徒を集めれば、塾の指導の如何にかかわらず必然的に進学実績も高くなる)、そういう募集は一切していない。だから、不登校生なのに自信に満ちて元気がいいとか、出来る子が多いとかいうのは、初めからそういう生徒であったというのではなく、ぱいでぃあというフリースクールに通う中で当然の結果として身に付いたということである。
 ぱいでぃあに相談に来る親御さん達は一様に「ここのお子さん達は元気がいいですね」と言われるが、初めからそういう子ども達ではなかった。どの子も一様に自己卑下等のマイナス感情で一杯で、明日の自分どころか今の自分さえ確かでなく、勿論勉強どころの話ではなかった。周りから自分に投げつけられた言葉で自分を評価し「どうせ自分なんて…」という思いに囚われていた子ども達であった。そうであった子ども達がここから飛び立っていく時には、みな希望と自信に満ちている姿がある。こうしてフリースクール・ぱいでぃあからは毎年、全員が希望の中学や高校へ進学を果たして飛び立っていく。

▼不登校をよい経験として
 今年度、早々と東京の有名企業に就職が内定したぱいでぃあのOBの子が報告にやって来た。この夏休み、その子にぱいでぃあにいた時のこと、イギリスのサマースクールで過ごしたこと、公立受験校への進学、京都の有名大学への進学、そして大学4年生になってからの東京での就活のことなどについて、ぱいでぃあに通っている子どもやその親御さん、参加された外部の人などに自由に語ってもらった。
 その子は、中学時代に学校を離れてフリースクール・ぱいでぃあに通っていたことを高校に進学してすぐに友達にカミング・アウトをしている。彼女は中学時代をフリースクールで過ごしたことを卑下せず、逆に学校にいては体験できなかった貴重な体験をすることが出来、自分の望むように勉強できたことを誇りに思っているのである。

▼フリースクールは子ども主体の独立機関
 とはいえ、ぱいでぃあにそういう子ども達を養成する特別なマジックがあるわけではない。もしそういう思い上がりで子ども達と関わっていたならば、決してうまくはいかなかったであろう。フリースクールは単なる不登校生の受け皿の機関ではない(そう考えている教育関係者は多いが…)。文科省が認可しようがしまいが、フリースクールは何よりも子どもが主体となって取り組むことの出来る民間の教育機関である。そこで子ども達が自分を信じ、自分を取り戻し、自分の人生づくりに励むのを側面支援するだけである。
 こう書くと、偏狭な教育観の持ち主は「子どもの勝手にさせていいのか!」などと頓珍漢な反応を見せる御仁もないわけではないが、言うまでもなく「子どもが主人公」ということと「子どもにおもねる」こととは別である。この区別が分からないようではフリースクールの活動の意義をどこまで正確に理解しているのかも疑問であるし、果たしてそういう人が本当に子どもの自立や社会参加の支援をする活動、つまりは子どもの教育活動に従事してもいいものかどうかも疑問である。フリースクールという場が不登校か否かにかかわらず、子ども達主体の学び場(学校はどう見ても先生が主役の場だ)である道を更に求めて行きたい思う。

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 トラコミュ 不登校とフリースクールへ
不登校とフリースクール


親は子どもを番犬やペットにするな (2)

2009年09月12日 | 教育全般

親は子どもを番犬やペットにするな (2)

▼間に合わせの処世術
 「学歴も学校の神話も崩壊した」と言われて久しい。「良い学校 → 良い大学 → 良い会社」という図式はもはや成り立たず、学校での成績がその後の社会生活に直結しない場面もしばしば見られるようになった。が、少子化の中でも進学熱は収まらず、相変わらず塾産業は栄え、私学に対抗した公立の中高一貫校も次々に誕生し、偏狭な競争原理が依然として教育界を支配している。しかし、それは先に見たように、最善の解決策として選択したのではなく、間に合わせであり取り敢えずの処世術である。

▼新しきものはまだない
 そういうドラマが今、社会のあちこちに起きている。教育に限って見ても、先述の進学熱や受験競争だけでなく、子育てや親子関係、家庭のあり方にも及んでいる。それでもまだ両親や教師が子どもの模範的存在たり得て、子どももこういうものなんだと納得しているうちは良かった(「良かった」というのは単に「争いが起きないからいい」ということ)。が、子どもが段々と成長していくに従って「何かが違う」「何かおかしい」と思い始めた時、事態は今までのようには行かなくなる。
 既に家に大黒柱はなく、家訓も死語となった。市民生活を送る上での当たり前のファミリー・ルールもどこまで機能しているかおぼつかない。日本の社会全体が既存の価値の問い直しの時期に来ていながら、取って代わるべき新しきものはまだ生まれていない、というのが実情である。

▼親子を取り巻く社会の変化
 子ども達が何かのきっかけでこのように「覚醒」した時(これは遅かれ早かれやって来ること)、親や教師の対応は今までのように庇護したり指導するだけでは収まらなくなる。子どもの側からすると今まではモデルであり目標の対象であった親や教師が、今度は自分の前に立ちはだかり、自分の活動を妨げる抑圧者として感じられるようにもなる。そして、この転換点がかつてよりもずっと低年齢化しているようにも感じられる。
 かつては親や大人は「何でも知っている存在」として子どもの目標とすべき存在であったが、今はテレビやインターネット、とりわけ携帯電話という利器によって、親や教師を媒介することなく知りたい情報を(子どもの恣意的な選択を通してだが)容易に入手することができるようになった。場合によっては親や教師よりも早く入手することさえ可能になった。(教育の重要な機能の一つである次世代への伝達が怪しくなりつつあるのだ。)

▼教育の役割と親子の関係
 とりわけ、今までは正当な権威をまとった新聞・テレビに代表される一方向性のマスコミの情報に対して、インターネットや携帯電話に代表されるインタラクティブな(双方向性の)情報の流通が盛んになるにつれて、この傾向はより強まった。ところが、大人の内部に定着した意識は容易には変わらない。育ちの中で長い年月をもって形成された感覚=意識は、その世代にとって当たり前の意識である。ところが、自分の子どもの世代にとっては当たり前ではない。それでも、この関係が庇護の関係にある時はまだ良かった。子ども達はその庇護の中で安心して成長し自分づくりに励むことができた。しかし、教育の営みとは子どもの成長を目的とすると同時にやがてはその庇護を超えて成長することをも念頭に置かねばならないこと忘れてはなるまい。

▼関わり方の逆転
 しばしば人生は螺旋形に例えられる。この世に生まれ、成長し、社会生活を送り、老い、やがて死す──上から眺めたこの行程はどの人間もほぼ同じだからである。が、それを横から見れば、明らかに時代による位相の違いがある親と子は分かち難く繋がっていながら、時代の位相も社会の位相も違うのである。だから、親や教師の時代には「イエス」であり「オーケー」であったものが、子どもの時代には必ずしもそうであるとは限らない。場合によっては、抑圧するものと感じられたり、排除すべき対象ともなったりもする。
 親や教師にとってはいつまでたっても子どもは我が子であり生徒であるかもしれない。が、精神的権威の問題は別として、その物理的関係や知的関係がいつまでもそのまま維持されるわけではない。やがては逆転する関係、逆転しなければならない関係ともなる。そのとき、親や教師はどうすべきか。

▼子どもをダメにする方法
 世に「子どもをダメにする方法」と言うのがある。「子どもをよくする方法」というのは、言うは易く行うは難しであるが、こちらは意外に簡単なようだ。それは「子どもの言うがままに、要求のままに行って、要求する物を与え続けること」だと言われる。
 だが、子どもが可愛いとき、子どもが心配であるとき、人は往々にしてそういう行動に走る。「可愛い子には旅をさせよ」と言うことを頭(理性)では理解していても、感情がそれに反する方向に動いてしまう。だが、その分だけ子どもは自分で努力し、自分で解決しようとする意志を欠いてしまう。つまり、我が子をダメ人間にすることに力を貸していることになる。

▼番犬やペットのように遇していないか
 親や教師からは子どもの今はいかに不完全で不安そうにも見える。手を貸さないではいられないような思いにもなる、だが、自立を志向するようになった子どもに対しては、むしろ伴走者であったり支援者であったりする関わり──特に距離と関係の取り方が問題だ──がとても重要になる
 勿論、子どもに対して、あえて鬼になる必要はないしその意味もない。子どもに対して肉親の無償の愛や教師の適切な指導、仲間同士の育ち合いなどがとても大切であり不可欠であるのは論を待たない。が、子どもが成長し自立していくための人的環境として自分が適切な関わりをしているかどうか、もしかして子どもの桎梏(自由を束縛するもの)となっていないかどうかよく見究める必要がある。更に言えば、知らず知らずのうちに、子どもを自分の考えに忠実な自分好みの番犬やペットのように遇してはいないか、よく考える必要がある。

▼共依存の関係を断ち切ること
 子どもが小さい時は良かったが、親からの自立を志向するようになると、親は自分が取り残されるような不安に駆られることがある。いつも子どもが自分を頼り、番犬やペットのように振舞ってくれれば庇護する者として安心であった。自分はこの子に必要とされているという実感があった。しかし、それは自分可愛さの行為であって、その子のためではなかったかもしれない。むしろ、そのことによってその子は何も出来ない子として、今後辛い人生を送らねばならなくなるかもしれない。
 「親は親として自分の人生を楽しんでください」とは、「引きこもりの親の集い」の会合で、その代表の方が何度も発せられた言葉である。親と子の人格は同じではない。同じ人生ではない。やがて親の亡き後も子どもは自分で生きていかなくてはならない。子ども(とはいえ、既に成人である)を思う気持ちはよく分かる。ならば、まずその共依存を断ち切らねばならない──代表はそう説く。そう語りかけられる親は実に子ども思いの親たちである。
 その親達は言う。「この子のために、こういうこともやり、ああいうこともやった。良かれと思うこと、最善のことをいろいろやってきた。その結果がこれなのか──。」残念ながら、まさに今ある姿はそうしたことの結果なのである。
 これは一般の子育ての場合も基本的には変わらない。この矛盾とも逆説とも言える関係をどう切り結びどう切り開いていくのか。全てはここにかかっていると言えそうだ。

▼子の育ちと親の育ち
 かつてわが国がまだ貧しさの中にあり、人々が戦後の復興に邁進しているとき、昔からあった「親はなくても子は育つ」という文句が好んで使われた。これには幾分親の言い訳も含まれていたと思うが、親達は少なからずそういう眼差しを持っていたとも言える。これに関しては、「親はなくても子は育つが、子供がいないと親は育たねぇ。 」と言ったのは宮部みゆき氏だそうだ。やはり名言であろう。
 かつて教育雑誌『ニコラ』を発刊していたが、その創刊号の一節にはこうある。
 ******************************
 ひとは親としては生まれない
 子の誕生とともに親は生まれ
 子の成長と共に親は成長する
 人の成長と学びについて
 子どもとともに考えよう
 ******************************
 子を持つことで、人は始めて親となる。また、人は育てられたように育つ、とも、人は人を育てることで育つ、とも言う。親が本当に育つのは、自分の期待が裏切られたとき、つまり、子どもは自分の思うようには育たないものだ、と気付いたときなのだ。言い換えれば、子どもは自分(親)とは別の人格を持った存在なのだ、ということを、言葉ではなく事実をもって突きつけられたときだということである。
 そういうことも含めて、今はこの関係が自嘲的に表現される。「親はあっても子は育つ

▼社会の中の子ども
 今、子ども達を自分の子という視点からだけでなく、もっと広く社会全体の中の子どもという視点から捉え直すことが必要になってきている。「教育?それは家庭の問題でしょう!」とは、小泉首相(当時)が口走った言葉として私の記憶に残っているが、子育てはもはや単に一家庭だけの問題ではない
 この頃、新聞を開くと、必ずといっていいほど、子殺し・親殺し等の親子の悲惨な報道が載っている。だが、こうなってはもはやどんな言い分も成り立たない。ところが、その原因に立ち入ってみると、何とも空しい気持ちになることが多い。「我が子・我が親」という偏狭な思考回路から自由になれなかったことの結末のように見える。近視眼的な思考から離れて、もっと別の角度から冷静に考えたならばこうはならなかったはずだと。

▼OECDが公表したデータから
 経済協力開発機構(OECD)が9月9日、「図表で見る教育09年版」を公表した。これはPISA(国際学習到達度調査)以前の問題である。
******************************************************************
 日本の06年の公的財源からの教育支出の対国内総生産(GDP)比は前年比0.1ポイント減って過去最低の3.3%となった。OECD加盟国の平均は4.9%(前年比0.1ポイント減)で、加盟30カ国のうちデータが比較可能な28カ国中、日本はトルコに次ぎワースト2位。前回05年と03年は最下位、04年と02年はワースト2位と、惨憺たる状態。
 対GDP比は、大学など高等教育に限ると前年と同じ0.5%(OECD平均1.0%)で28カ国中最下位。政府の支出全体に占める教育支出の割合は前年と同じ9.5%で、OECD平均の13.3%を大きく下回り、データ比較が可能な27カ国の中ではイタリアと並んで最下位だった。私費負担の割合は33.3%と韓国に次いで2番目に高く、OECD平均15.3%を大きく上回っている
 OECDは「日本の教育を支えているのは私費負担割合の高さ。経済危機によって進学を断念する若者が増えるとみられ、奨学金を中心とする公財政支出の役割が期待される」としている。
******************************************************************

▼家庭の責任・国家の責任
 日本では子育てや教育の問題は各家庭の責任と考えて今までやって来た。しかし、それはそう考えるのが常識であるというように仕向けられてきた結果かもしれない。今、世界の各国は教育こそが国づくりの礎と考えて、国家隆盛を目指して教育支援に力を注いでいる。しかし、日本の取り組みはそういう世界の動向に逆行する教育行政を推進してきた。この先にあるのは日本地没への道である。今回、財政確保の問題はあるものの、教育施策の取り組みがどういうものか、選挙行動に結びついたこともあるのではないだろうか。

▼国際社会に開かれた人間教育を
 機会があれば、紹介するが、今、一国の国民教育の枠を超えて、国際人の育成、国際社会でのリーダーの育成を目的とする教育が進んでいる。「宇宙人」はともかくとして、少なくともグローバルな「地球人」の育成を目標とする教育が求められている。
 もしかすると、あなたの子どもが働く組織の上司は他国で育ち他国で教育を積んだ人になるかも知れない。そして、それはもはや架空の話ではなく、現実に進行しつつある話なのである。その時に求められる教育はどんな教育か、その時に育成すべきはどんな人材なのか。そんなことまで織り込んだ教育が今後求められるのではないか。

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 トラコミュ 不登校とフリースクールへ
不登校とフリースクール

 


親は子どもを番犬やペットにするな(1)

2009年09月09日 | 教育全般

親は子どもを番犬やペットにするな(1)

▼事実をリアルな眼差しで
 前回、「親は子どものパシリやメイドになるな」と書いたが、正直なところ不登校問題は──親子の問題に限っても──そんな言い方で簡単に解決できるほど容易な問題ではない。偏見にまみれた多くの人が考えるように「うちの子が不登校になったどうしよう。世間に向ける顔がない!」なんて救いようもない事態になったように落ち込む必要もなければ、一部の○○派の人たちのように「不登校ばんざい!」なんて飛び跳ねる必要もない。まずは淡々とした気持ちで(今回の衆議院選挙を見ても「失意泰然得意端然」の大事さを思う)事実のありようをリアルな眼差しで見つめること肝要だ。

▼親は子どもを番犬やペットにするな
 そこで、今回は前回とは別の角度から不登校の問題を考えたいと思う。題して「親は子どもを番犬やペットにするな」。前回の表題もそうだったが、親と子のあり方が今、流行りの言い方で言えば、とても「微妙」な関係にある。いや、もっと深刻な事態に突入している、と言った方がいいかもしれない。

▼「訳の分からない若者達」の登場
 映画史上にジェームス・ディーンという若い名優がいた。『理由なき反抗』とか『エデンの東』などが彼の代表作として知られている。それらの映画には、大家族制度や家父長制度が崩れ、「訳の分からない若者達」が登場してきた時代が描かれている。「訳の分からない若者達」と見たのは勿論、当時の親や大人たちである。この夏休みに多少の訳ありで埼玉新都心の「ジョン・レノン・ミュージアム」を訪れたが、日本で言えば、まさにビートルズがやって来た時期がそれに当たると言えるかもしれない。

▼急激な世の中の変化
 「あんなマネをする奴は不良だ」と当時の教師達は言っていた。若者達が教師や大人の理解を超えて活動し始めたことに少なからず不安を持っていたことの証である。しかし、事態はまさにそういう不安の方向に進み、学内や社会の場で子ども達や若者達の反乱が次々と起きた。さらに時代の流れは加速度的に進み、やがて新人類と言われる若者達が登場し、さらにその域を超えた新々人類が生まれ、世にPC88やPC98シリーズというパソコンが登場し、アルファベットやカタカナだけでなく漢字が使えるようになったと思ったら、瞬く間にITが席巻する世の中となった。パソコンを使えない首相がマウスを握り「イーティー」などと言ってにっこりしている場面が若者の失笑を買ったのもその頃である。そして、かつての不良音楽&ファッションの権化であったビートルズ現象はやがて学校の教科書にも登場するようになり、そしていわば古典の仲間入りをしてしまった感がある。

▼保守という名の変革・革新という名の保守
 こういう時代の変化の中を、戦後の日本の社会は欧米に「追い付き追い越せ」「乗り遅れまい」として必死に走ってきた趣がある。それを政治がらみで見れば、「保守」と「革新」による「55年体制」でやって来たということになる。だが、奇妙なことに、実際の政治力学の中では、「保守」と呼ばれた側は絶えず技術革新を初めとする社会の変化をはかり、「革新」と呼ばれた側は社会の様々な変化の中で戦後GHQなどを媒介として獲得した権利や価値を守り続ける運動を展開してきた趣がある。「保守」勢力は、良くも悪くも、絶えず脱皮し変わり続けることで社会的適応や伝統の延命を図ってきたのであ。単に墨守して来たのではない。

▼保守という名の実際のベクトル
 ところが、この不思議な捩れ現象が今回の選挙で遂に終わりを遂げた。そんな感じがする。55年体制の完全な終焉である。その意味では、麻生首相が選挙で連発した「責任」や「保守」という言葉は感慨深い。「保守」を標榜する者が完全な「守り」に入ったとき、その先はない。「保守」という名の改革の実践が日本の社会の原動力であったのだから。「戦後レジームからの脱却」と言ったのは、先に首相の座を投げ出した安倍晋三氏だが、彼は完全な倒錯の世界にいたようだ。彼はただ戦前への回帰だけを夢見ていたように見える。だが、これは保守が実際にやって来たこととは逆のベクトルなのである。

▼せめて我が子にだけは…
 このような現象を、日本の親子の問題、世代間の問題に置き換えたとき、どんなことが見えてくるか。戦中・戦後の辛酸を舐めてきた世代は、あの映画「Always夕陽丘3丁目」や「東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン」のように貧しい中でも復興への希望を持ち、「せめて子どもにだけは…」という思いで頑張ってきた人が多い。そして子どものまたそういう親の思いを痛いほど感じて生きていた。が、その関わり方には今多くの親達が子どもに向き合うやり方と大きな違いがあるように思う。

▼自分で出来る人間になること
 親たちは戦争などのドサクサで自分達が出来なかったことを子どもに託し、その無念の思いを代わりに子ども達に実現させようという秘めた魂胆がなかったわけではない。右肩上がりの社会の中で子どもの学歴や進学がもてはやされたのもその一つである。しかし、どういう大人の思惑があったにせよ、本来的に保守的な志向であった親や大人達が子ども達に願ったのは、自分達の努力で「できる人間」になることであった。そして、その根底には、努力すれば必ず報われるという日本の社会に対する暗黙の信頼もあった。そしてさらに幸いなことに、親達は自分達が生きることに一生懸命で、子ども達のことを面倒見る余裕があまりなかったということがあった

▼貧しさの中での自己実現 
 だから、子ども達はあまり親達に干渉されずに自分の思いで行動し、自分の思うように自己実現できる選択決定権を自然に与えられていた。そして、一部の例外を除き、自分の人生をどう切り開き、どう実現していくかということは、経済的な問題は大きな課題であったが──誰もが経済的にゆとりがあるわけではなく、まだ誰でもが望み通り進学できるわけではなかった──子ども達は自分の人生の主人公は自分である生き方を模索することが出来た。しかし、子どもにとっては恵まれたこのような状況は、皮肉なことに日本という国がまだ途上国であり、貧しい国であったから可能であったことでもあった。そして、教育がその後押しをしていた。

▼モデルのあった戦後復興
 しかし、高度成長の波に乗り、経済事情が好転して家計が潤うに伴い、日本という国が壊滅的な敗戦から奇跡的な復活を遂げて、次第に国際社会の中で先頭集団の仲間入をするようになってくると、日本の社会の中に今までにはなかった現象が起きてきた。実のところ、日本という国はまだ国際社会で先頭集団の仲間入りをする内実は備えていなかった。今まで日本という国や社会は外部にモデルを求め、それに追い付き追い越すことを目標に進んできただけだった。だから、気が付いてみるといつの間にか先頭集団の仲間入りをしていたということで、逆に日本という国はいまだかつて経験したことのない未曾有の困難に直面することになったのである。

▼モデルなき社会に突入
 進むべき道を照らし出すモデルはもはやなく、指導者も国民も国が進むべき羅針盤を持たない。手元にあるのはかつての推進力となった物差しであり、感覚である。あまりに早く進み過ぎたために新しい社会に相応しい価値観を熟成させ発酵させる時間がなかった。が、古い物差しはもはや役には立たず、さりとて新しい社会のモデルはまだない。そういう社会状況の中に私達は突入したのである。だから、今日本を支配しているのは、取り敢えずは出来合いのもので間に合わせようという意識である。これは至るところにある。教育も子育ても社会のありようもまたしかりである。

(続く)

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 トラコミュ 不登校とフリースクールへ
不登校とフリースクール