教育落書き帳

教育とは何か…子どもの視点を尊重し、親、伴走者、市民の立場から語ります。子どもを語ることは未来への信頼と希望を語ること。

原発の火はプロメテウスの火ではないか? ─人と原子力と─

2011年04月24日 | 日本社会

▼今なお進行しつつある東日本大地震に誘発された惨状を前にして、この地球上に君臨することになった「人類とは何か」ということについて、改めて考えさせられる。
 「人類」を定義付ける言い方は今までも幾つも挙げられてきた。ホモ・サピエンス、ホモ・ファーベル、ホモ・エレクトス、ホモ・ルーデンス…等々。知的存在、物を作る人、立って歩く人、遊べる動物…。確かに我々人類は他の動物達と比べると一等抜きん出ている存在と言えそうだ。それは疑いようがない。そして、こういう人間存在の捉え方の延長線上に「火を使う動物」という定義もまた成り立つ。

▼他の動物は火を恐れはするが使いこなせない。チンパンジーでも無理である。つまり、人は火を使いこなすことによって文明・社会を発展させてきたとも言えそうだ。この「人間と火」との話に関するいろいろな言い伝えも残っている。ゼウスの神殿から火を盗み出し人間に与えたというプロメテウスのギリシャ神話の話もその一つ。その結果、彼はゼウスの怒りを買い、永遠の苦悩を受けることになる。シジフォスの永遠の徒労の苦役もまた同じことだろう。なぜ、ゼウスはプロメテウスをそれほどまでに苦しめるのか?

▼幸か不幸か、我々人間は他の動物達が従属する本能の連環を脱し、最も高度に進化した知的生命体として地球上に誕生したのは地球誕生の歴史から数えて46億年、生命の誕生から38億年近くたってからのことである。だから、人類の歴史はせいぜい500万年くらいなもの。それが瞬く間に進化を遂げ、今や人類は実質的に神の領域の火=原子力さえ扱い始めたのである。

ゼウスは人類に火を与えたプロメテウスになぜ永遠の苦悩を与えるほど怒ったのか。今にしてよく分かる気がする知的レベルに置いて、人類は神の領域にまで手を触れるようになったのは間違いない。もしかすると今後さらに様々な叡智を働かせて、それをほぼ完全に制御する技術も取得するかもしれない。それは学問の研究・進化によって可能となるかもしれない。だが、肝心なことはことは我々は人間であって神ではないということである。神の心は持っていないということである。自然の力を前にちっぽけな人知で自惚れない方がいい。我々はせいぜい3次元4次元の世界でしか物を見ることができない。
たとえるならば、我々裸の猿である人類が原子力を扱うということは、チンパンジーが人から盗んだ火を弄ぶ行為に等しいということである。

▼つまり、どんなに科学が進み、技術革新がなされようと原子力を扱うのは神ならぬ不完全な人間存在であるということである。これが抑えるべき大前提である。もし、我々が今後それでもなお原子力利用を推し進めるというのであれば、もともと神の火である原子力を盗み使用する我々は絶えずゼウスの永劫の怒りに触れていることを忘れてはなるまい。

※これは3月31日、計画停電の切れ目に急遽挙行した卒業式での祝辞・訓示の一部を加筆訂正したものです。


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2 コメント

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質問 (kent)
2011-06-12 09:08:16
「実質的に神の領域の火=原子力」

これの根拠が示されていません。
なぜ、原子力は神の領域の火と言えるのか?
ただの火はなぜ神の領域ではないのか?

電気は神の領域ではないのか?
爆弾は?ガスは?
なぜ原子力だけは人間が使いこなせないと結論づけるのか。
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原子力=神の火 について (gqanbarujan)
2011-07-29 11:45:32
▼通常の物理的・化学的な領域と原子力の領域とは根本的に異なります。宇宙の物理的組成そのものに働きかけるか否か。

▼人間はあくまでも3次元・4次元的な存在。それ以上の多次元は想像するしかない。その限界を我々は生きている。

▼科学技術の問題以前に問題なのが我々の精神的なレベルの問題。我々は良くも悪くも裸のサルである。技術的に完璧に見えてもそれを扱うのが人間の心であることを忘れてはならない。

以上です。後はご自分でお考えください。
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