教育落書き帳

教育とは何か…子どもの視点を尊重し、親、伴走者、市民の立場から語ります。子どもを語ることは未来への信頼と希望を語ること。

原発パニックの買い占めと助け合いのCMと

2011年03月28日 | 日本社会


▼「被災地の姉からガスコンロとボンベが欲しいと頼まれたが、どこにもない」と友人は嘆いた。彼のお姉さんは仙台の大学病院の医師。ちょうど仕事で三陸にある病院に出向いていたところ、巨大地震と大津波に襲われた。水は四階まで迫ったが、幸い五階に逃れて助かったという。

▼今の自分には被災地の惨状にはただ祈ることしかできない。が、彼らを物心両面で後方支援することはできる。そんな我々が我欲にまみれ、買いだめに走って互いの首を絞め合っている。どういうことか、これは。被災者の《我慢》や《自立への努力》に比べて余りにも浅ましい。

人は一人で生きているのではなく、社会の中で《お互い様》の中で生きている。人生、山もあれば谷もある。だから、くじけずに頑張ろう、応援するから…。― 今、そんな他人として当たり前のことが見直されているのかもしれない。それなら、そんな風潮に関係なくNPO関連法案のできるずっと前から今まで一市民の立場で、誰に指示されるでもなく黙々とやって来た身として、とても嬉しいことだ。

▼しかし、ちょっと待て。どこかおかしい。「公共広告機構」をはじめ、なぜこんなに似たようなCMが溢れてきたのだ?口当たりのいい言葉、目を和ませる映像…誰かが仕組んだものではないか?
 それが、「これが次の流行でーす!」のように、作られたブームなら、日本人の特性として、津波のように打ち寄せては津波のように引いていくことだろう、一過性の現象として。それは内実として、原発パニックの買い占めと何ら変わらないものではなかろうか。

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