教育落書き帳

教育とは何か…子どもの視点を尊重し、親、伴走者、市民の立場から語ります。子どもを語ることは未来への信頼と希望を語ること。

コロナ後の社会に求めるべきもの

2020年05月14日 | 社会

経済にせよ健康保険にせよ、格差を拡大させたままで、人間が社会生活を営む上での基本的なセーフティネットのない社会が、如何にコロナウイルスの攻撃に脆い社会であるか、アメリカは具体的事例をもって明らかにしたと言えよう。

もはや、アメリカ社会は唾棄すべきモデルであり、目指すべきモデルではない。


我らの「スタンド・バイ・ミー」(1) : 母校(高校)同期会の遠足に参加して

2012年04月28日 | 社会



■我らの「スタンド・バイ・ミー」(1)

▼4月21日(土)は、我が母校・道立北見柏陽高校の毎年恒例の同期会の遠足であった。毎年10月から12月にかけて母校の同窓会が行われるが、随分前から春から初夏にかけて同期の遠足会が行われるようになった。秋にもやろうということも珍しくない。地元ではいがみ合っていた者同士が都会に出て来ると「同郷のよしみで…」などとなって理屈抜きの永劫の仲間みたいに接する県などもあるようだが、道産子は歴史も浅いから因習も乏しい。だから、そういうギルド的な付き合いは余りない。それでも、遠足となるとみんな万象繰り合わせて(?)やって来るから不思議だ。
 そういえば、学校で生徒同士がいがみ合った記憶がまずない。試験をボイコットし教師たちを体育館の壇上に並ばせて追求集会をしたことがあるが、生徒同士は実に和気藹々としていた。北海道の東の人口十万人足らずの市の(当時5万人?)地方の一学区一校制(今の大学区制とは正反対)の2つあった高校の1つである。北見柏陽高校、それが我が母校だ。(隣には全国ラクビー毎年出場や72キロマラソンで鳴らした北見北斗高校があった。)この日、春とは言え肌寒い天気ではあったが遠足日和、16名の参加者があり、さらに夕方の飲み会には2名が駆けつけることになっていた。

▼田舎の母校を卒業してからもう何年目だろうか。この企画を立ち上げた時はそれぞれ持ち回りで責任者を決めてガイド役を務めていたが、前の幹事が田舎にログハウスを構えて戻ってしまってからは、集いに参加するのもしばらくご無沙汰していた。それからは全て幹事任せになってしまったようだ。
 今回も幹事さんがまず下見をし、いろいろ手配してみんなを楽しませてくれた。今回のコースは、浜松町駅北口で待ち合わせ、「増上寺→浜離宮(昼食)→舟で川上リ→浅草→仲見世→アサヒビール(酒宴)」というコースであった。増上寺では東京タワーを、浅草ではスカイツリーを眺めるという企画でもある。当日は遠足やコース巡りは予定通りで、酒宴にも予定の2人が加わった。この2名どう見ても尋常じゃない。頭のテッペンから足の先までバイク乗り野郎の出立ちである。何でもハーレーダビットソンで世界中を駆け巡っているらしい。これが同期生?さらに「前日上海が雨で飛行機が飛ばず今成田空港についたが、残念、会には参加できない」という想定外のメールも入った。
 幹事によると、同期の仲間でこちらで連絡がつくのは何でも30数人関東にいるそうである。これは多いのか少ないのか。仕事も外資系だけでなくても海外に飛ぶ人もいるようだ。もう我らの世代でも日本だけで考える時代は終焉の幕を下ろしているのかもしれない。

▼母校の高校は当時、進学組と就職組に分かれ(私は3年になって進学組に切り替えた)、当時の担任の話では「自分たちはこれから社会に飛び立つ就職組に力を注ぐ。君たちは勝手にやってくれたまえ」ということだった(その先生は後に衆議院議員となり3期ほど務めた)。今回集まった顔ぶれを見ると、もと進学組だった生徒が多いかも。進学組とは言っても、数年に1~2名の東大生が出るか出ないかの田舎の公立高校。一度野球で甲子園に来たのが自慢か(1回戦敗退)。それでも大学在学中カンツオーネ・コンクールで優勝ししばらくNKHKにでていた我ら唯一の歌姫、高校時代の延長か通信社の記者となった者、超一流企業を駆け上がった者、企業の経営者、慎ましく実直に生きた者…など、高校時代には紅顔の美少年美少女だった面々がその後にたどった人生を顔ににじませて参加している。いや、中には当時とあまり変わらない顔立ちもある。いや、実際に顔を見ても知らない面々もいる。が、話していると、「あー、あー、お前かー」となる。この日まで全く思い出すことはなかったのに、会った途端に当時のこと、彼との交流のことなどが湧き出る泉のようにこんこんと思い出されてくるから不思議だ。逆に「いいか、これ試験に出るから覚えろよ!」などと言われたことは、学校が終わった後もう二度と思い出すことはない。

▼だが、それだけではない。やはり、ここまで生きてくるのには、各人いろいろな山あり谷ありの人生だったことだろう。幹事がこの日のために用意してきた卒業アルバムを見ると、今日参加しているメンバーだけでなく、今日この席にやって来なかった人々、仕事や病気、そしてもうこの世にはいない人達の写真も写っている。「彼は今どうしてる?」「死んだ…」「行方が分からない。連絡がつかないんだ」今日のメンバーに、日航のパイロットも、大学の英文学の先生も、唯我独尊の弁護士も、旦那とアフリカに行った才色兼備のマドンナも、同期の仲間と結婚した女医もいない。結婚といえば、私達の式にも来てくれた親友、高校時代は囲碁の相手であり、東工大を経て最後は北大教授となったW君もいない。将来を嘱望されての死であった。新聞でも報じられた。神は無慈悲である。アルバムを見るとそういう人がところどころに目に付く。自死の人もいるようだ。まさに我々は、当たり前といえば当たり前だが、サバイバルの世を生き延びてきた仲間なのである。

何故か、何の脈絡もなく、スティーヴン・キングの「スタンド・バイ・ミー」の映画を思い出した。いつだったか、息子が観ている側で見ていたことがある。子ども支援の仕事に関わってきた人の中には『スタンド・バイ・ユー』という本を出した人もいた。スティーヴン・キングの作品自体はホラーではないし、我らの同期会もホラーではないが、そういう要素はあろう。いや、ここまで生き抜いてきたこと、今生きてあること、それ自体がホラーなのかも知れない。
 ずっと田舎で生きてきた者、終の住処として田舎に戻った者、故郷を捨ててこちらに拠点を構えた者、コスモポリタン的な者、デラシネ的な者…。当時の高校生時代には考えられなかったような世界がこれまでも展開してきたがこれからも展開していくだろう、加速度に…。私たちは戦後の日本と浮沈を共にしてきた。まだ庶民の生活に電気も電話もテレビも自動車もパソコンも何もなかった1ドル365円の時代から日本をここまで引き上げてきたのも我々なら、古い道徳も倫理観もかなぐり捨てマネー・オンリーの出口なしの日本に引きずり下ろしたのもまた我々である。まさにこの世を生きることはホラーであるかのようだ。
 酒宴の後、また我々は三々五々散って行った。また再び全員会えるだろうか。道中は忘れたがしっかりと自宅に戻っていたからこれも不思議。幹事さん、ご苦労さん。やっぱりあんたが適任だ。

※後から加筆訂正することがあります。ご容赦を。

**************************************************

「フリースクール・ぱいでぃあ」のサイト


「ぱいでぃあ通信」(不登校・フリースクール応援マガジン)(ブログ)


**************************************************

 良ければクリックを






スマートフォン=現代の十徳ナイフ

2011年01月10日 | 社会
▼かつてアウトドアが好きな若者たちの間で、野山で使用する便利な道具として十徳ナイフというものがもてはやされたことがある。缶切り、ナイフ、栓抜き、コルク抜き、ドライバー、ヤスリ、スプーン、フォーク、爪楊枝、ハサミ…などが揃っていた。秋葉原事件のように現代の危ない若者が秘められた自分を慰撫する道具のように眺めたり、酔っぱらいのオヤジを狩るためのサバイバルナイフとは全く趣が違う。両者は似ても似つかぬ代物である。聞くところでは、この十徳ナイフはスイスのアーミーナイフに通じ、さらには1800年代のローマ帝国時代にまで遡るらしい。何せ野性志向(?)の当時の若者にとってそれはとても格好よく、現代という荒野を生き抜くための魅力的なサバイバルアイテムであった。

▼では、現代の我々がこの厳しい現実社会を生き抜くために身に付けるべきサバイバルアイテムは何かと考えたとき、今まではパソコン、特にノートパソコンがその座を占めていたように見える。若者達がこのアイテムを手にした時、彼らはそれが出来ない上司を小馬鹿にさえしたのである。IBMやNECのMSDOSパソコンが世に出たとき、たとえば日本でも「24ドットの漢字が打てる!」とか言って感動をもって迎えられたものである。しかし、そのパソコンがどれほどのものか、実のところまだよく分かっていなかった。このようなIT社会がすぐに来るとは誰も思ってはいなかったのではないか。だから、若い連中がパソコンをいじくり回していると(実際、まだとろかった)、上司たちはいまいましげに「パソコンで遊んでやがる!」とまで悪態をついたものだ。
だが、パソコンは単なる玩具や小道具ではなかった。次代を担う若者達がこの社会を生き抜くための新しいサバイバルの武器となったのである。それから約30年が過ぎ、今やパソコンをはじめコンピュータのない生活はおよそ考えられなくなった。

▼ところが、ここ数年、すっかり様相が変わってきた。パソコンに代わり携帯電話がその座を奪ったかのように見えたのも束の間(日本で独自の進化発展を遂げた携帯電話は「ガラパゴス」と称され、国際規格からは大きく外れたものになった趣はあるが、日本国民の大多数が所持するものとなり、特にビジネスの世界では不可欠のアイテムとなった)、そこに海外から国際規格のOS純正品として侵入してきたのがiphoneやandroidなどというスマートフォン、小型コンピュータに電話機能がドッキンづされたような高性能携帯端末であった。

▼幸か不幸か私はパソコンとは黎明期からの付き合いで、ワープロ専用機→MSDOSパソコン、window機というように、その道の人間ではなかったが、パソコンの歴史と共に歩んできた一人である。そしてその余りの変化の速さに正直驚いている。パソコンの進化そのものに違和感はないが、これは人の成長のスピードを遥かに超えているのではないかとも感じてきた。IT機器の進化に人間の方がついて行けなくなっているのだ。
また、日本の若者達がまるで曲芸のように掌で弄ぶテンキー操作の日本の携帯電話には少なからぬ違和感を持っていた。qwertyキーボードを操るのならまだしも、あんな玩具でどんな文章が打てると言うんだという反感さえどこかにあった。一時「携帯小説」などというものが流行ったが、ああいう器具から生まれ出る文章など高が知れたものと思っていた。だから、モバイル機器には関心があったが、日本のガラケー(フィーチャーフォン?)には電話機能以外には興味はなかった。

▼ところが、そういう私が、とうとう昨年の暮近くにアンドロイドのスマートフォンを手に入れた。本来剥き出しのガラス画面は好きではないが、薄さと軽さを追求していくからにはやむを得ない選択かもしれない。その分、ガラス面を保護するグッズが必要だろう。
スマートフォンはまずiPhoneから始まったが、マイクロソフトによる囲われや桎梏を嫌ったアップルが今度は自らが覇権主義者となって逆の唯我独尊に陥る姿を見て、私自身は買い求める気にはならなかった。
以前から「ユビキタス」的な考え方(いつでも・どこでも・だれでも)があり、このスマートフォンの出現もその延長線にあると思っている。そして、その方向を鮮明に示しているのがアンドロイドOSの動向のように見える。

▼今後,人間の社会がどういう方向にどう動いていくのか、利害に絡む話そのものはだんだんどうでも良くなりつつあるが、とても興味深い。
本来、人間社会の建設はもともと弱い存在であった人類が自然界から防御するシステムとして考え出されたものなのだろうが、人間の社会もまた第二の荒野に似た様相を呈している。人間の作ったシステムが逆に人間を抑圧することさえ珍しくない。
今、私たちは21世紀という人間荒野の真っ只中にいる。ローマ帝国の時代に既に十徳ナイフに類するナイフがあったように、かの弁慶が七つ道具を持っていた(?)ように、現代の我々もこの吹き荒ぶ人間荒野を生き抜くために、現代の十徳ナイフが必要とされているのかもしれない。そして、その一つが今スマートフォンと呼ばれているものなのではないか。人は今後、その文明の利器を用いてどんな未来を切り開いていくのだろうか。希望でもあり不安でもある。

******************************************************

「フリースクール・ぱいでぃあ」のサイト
「ぱいでぃあ通信」(不登校・フリースクール応援マガジン)(ブログ)
******************************************************
 良ければアクセスしてやって下さいね。



閑話休題 「ラオス・フェスティバル 2010」に参加して

2010年05月23日 | 社会
「ラオス・フェスティバル」開催の代々木公園へ
5月22日、「ラオス・フェスティバル」(LAOS FESTIVAL 2010)(主催:ラオス人民民主主義共和国大使館、東京国際学園高等部、さくら国際高等学校)のオープンセレモニーに招かれ、イベント会場となった代々木公園の特設会場まで出かけた。JR原宿駅、この駅で下車するのは久し振りである。かつて地方から集まった若者達が「竹の子族」という集団を作って、踊っていた。原宿が注目を集めるようになったのはその頃からだろう。でも、今日の目的は代々木公園のイベント会場だ。
会場はどこもかしこも屋台だらけ。しかも殆どはラオス関係者のものらしい。昼時に向けての仕込みに余念がない(後で寄るからね)。本部の受付でリボンをもらい、なぜか許可制の特設の会場に入る。
▼壇上に並んだ人々は…
開演の時間となり、特設の壇上に並ぶ人を見て、あれっと思う。秋篠宮殿下がご臨席だ(許可制の特設会場設営はこのためか?)、ついでラオス人民民主共和国のブアソーン・ブッパーヴァン首相(怖そうな威厳がある)、そして日本政府の外務省副大臣(まだ若いなあ)…、最後に東京国際学園学園長・荒井裕司氏(少し年食ったかな)。そして、通訳&司会は…どこかで見た顔だと思ったら日本人の司会者はNHKの桜井洋子アナウンサーだ。ちなみに彼女は司会進行中に何回も「撮影は止めて」と言ったが、お年を召した方は強者ですな。その後も何人もの人が堂々と写真を撮っている。中にはビデオカメラの人もいたそうな。いや、ご立派な態度です。
メインのお話はもちろんラオスの首相。ところどころに通訳を交えながら用意した原稿を読み上げる。外務省のお役人も社交辞令添えてそれなりに自己アピール(鳩山政権となり、アジア重視の政策の一環ですでに会っているらしい)。
▼ラオスの小学校建設に関わって15年
最後は、荒井裕司氏のお話。荒井氏がラオスに最初の小学校を作ってから15年。今、全部で6校を作ったとか。最初はパフォーマンスとも思えたが、その後着実に運動を継続し、国際学園に関わる生徒や父兄をも巻き込んで、今日のこのイベントにまで発展させてきた。ビジネス的な側面も見せながら陰に陽に関わってきたが、基本はエンジンとなり、陰の役者に徹することだった。人形劇に例えれば、主役は命を吹き込まれて自在に動きまわる個々の人形であり、それを操作する黒子は匠の技に心血を注ぐ。黒子が主役となって前に出てはダメなのだ。そういう演出ができるのは、ひとえに彼の才覚であり人徳であろう。やはり誰にでも出来る業ではない。ラオスに行く度に癒されると何度も語った。「癒しの国ラオス」と。ラオスも以前とは大きく変わったが、今もそれは変わらないと。
▼ラオスの民族音楽や舞踊から考えたこと
イベントの後半は様々な歌や踊りのアトラクション。タイ、カンボジア、ラオス、ミャンマー、ベトナム…この5カ国を貫通するメコン川そこを流れる音楽や舞踊にはある共通のリズムがあり旋律がある。それは欧米の音楽ともアフリカ系のそれとも大きく異なる東南アジア特有のものである
が、よく聞くとそのリズムと旋律は海を渡って沖縄・琉球の音楽に連なり、さらに日本本土に渡って日本舞踊の型や旋律となった…そう聞こえる。あの手や腕、足の動き、腰のひねり…それは日本舞踊のそれと重なる。もし、あのきらびやかなラオスの民族衣装の代わりに日本の和服を着せたなら、彼女たちはそのまま日本の舞を踊れそうであった。ラオスの古い伝統の音楽と舞踊も紹介されたが、それはむしろ中国の音楽との繋がりを感じさせた。そして、それが朝鮮の怨歌となり、日本に渡って演歌なったのではないかとも。これはあり得ることか、またまた私の錯覚か幻か。(どなたかご存知の方がいたら教えてください)
「一衣帯水」──その言葉よりも、その音楽が、その民族舞踊が、その辺の事情を何よりも雄弁に語ってくれているように私には思われた。最後に、ラオスのスーパー・スターという歌姫が登場した。細面の今様の若い女性であった。やはり心のどこかでラオス民族・国家特有の彩りを求めている私には(他の日本人の場合はどうなのだろう?)、その歌そのものを含めて、逆にありふれた取り柄のない歌手に見えてしまった。
▼日ラオス友好とラオスの進むべき道
名目上は「日ラオス外交関係樹立55周年記念事業」「ラオスフェスティバル記念小学校建設」の2日間にわたる記念イベントとなっているが、先に見たように歴史的には国家形成以前の昔から深い繋がりがあったのだろうが、実質的な日本とラオスの道は荒井裕司氏など民間の人達の地道な努力によって開かれてきた言えるかも知れない。彼もまた両国の接着剤の役割を果すことに徹し、そうすることで自らの志向を実現してきた人間のひとりである。彼は単に思いを語る人ではなく、それを実践する人であった。あるいは言葉は後から付いてきたと言えるかもしれない。
ラオスという国が、日本という国をどう評価しているのか。そこに注目したい。見習うべきところもあろうが、踏んではならない轍もあるだろう。以前、日本の大学で学ぶバングラデシュの若者が言っていた言葉を思い出す。「自分の国は、日本のように急激な上昇は望まない。伝統も文化も失わずに、ゆっくりと前進したい」と。
▼お昼の食事は屋台でビール付き
さほどの酒好きではないが、「ラオスのビールは世界一」とあらば、見逃す訳にはいかない。コップであおる。うまい!本当にうまい!濃い味だが、これは行ける。しばし椅子に腰掛け、鶏肉や豚肉など旨そうなものを漁る。マンゴーなどのフルーツも売れ筋であった。でも、さすがにドリアンには手が出せなかった。
食べ物の屋台だけでなく、幾つかの出店の人とも言葉を交わす。日本の大学生が作った小物を売る店や、信州からやって来たという活動団体などもあった。改めて荒井氏の活動の広さを知る。そんな食べあるき、屋台巡りで出会った幾つかのエピソードや発見、それはまた機会があれば、どこかでね。
※「閑話休題」と名付けたが、さて、「どこが本題?」と訊かれても困る。すべてが「落書き」とも言える。するとまた、「教育は落書きでも雑学でもない」という声も聞こえてきそう。はて、どうしたものか…。
******************************************************
「フリースクール・ぱいでぃあ」のサイト
「ぱいでぃあ通信」(不登校・フリースクール応援マガジン)(ブログ)
******************************************************
 良ければアクセスしてやって下さいね。


あなたは「クレヨンしんちゃん」をどう読むか!?

2010年05月16日 | 社会
▼「クレヨンしんちゃん」との向き合い方
つかぬことを伺うけれども、もしあなたが子どもなら、あなたは「クレヨンしんちゃん」が好きだろうか?もしあなたが大人なら、あなたは「クレヨンしんちゃん」が好きだろうか? あるいは、もしあなたが親であるならば、あなたは我が子が「クレヨンしんちゃん」を読んでいるのをどういう気持ちで受け止めるだろうか? 微笑ましく眺めているか、目を三角にしているだろうか?
もし、あなたが子どもであって、「クレヨンしんちゃん」がどうも好きになれないとか、親から禁止されていて普段は見られない環境にあるとか、親に厳禁されているとかというような場合には、子どもが育つ環境というものをちょっと考え直した方がいいかもしれない。私はそう思っている。これは、あなたが大人の場合や、親の場合であっても、状況は同じである。
もし、「クレヨンしんちゃん」があなたの周りで飛び跳ねていなかったり、バカな悪ふざけをしていなかったり、そもそも「しんちゃん」が寄り付こうともしなかったりするようであれば、そんなあなた、あなたは自身にどこか問題はないか振り返ってみた方がいいかもしれない。
「何が問題か」だって? それは、こうである。

▼PTAから嫌われるナンセンスギャグ漫画
まず、「クレヨンしんちゃん」を軽くおさらいしてみよう。「クレヨンしんちゃん」とは、野原しんのすけといういたずら好きで小生意気な5歳の幼稚園児を主人公とする面白おかしいナンセンスなギャグ漫画である。両親をはじめ周囲の大人達もみなその騒動に巻き込まれるが、見方によっては「クレヨンしんちゃん」の登場人物達はみなその世界の住人であり、みな独特のナンセンスキャラを持っているとも言えそうだ。
一見、これは子どもの漫画のようにも見えるが元々は青年向けのギャグ漫画雑誌「漫画アクション」から生まれたものである。テレビアニメ化され人気が爆発した。主人公の破天荒な常識破りの振る舞いは真面目に子どもの教育問題を考えることをモットーとする日本PTA全国協議会等には覚えめでたくない。アンケートではいつも「子どもに読ませたくない漫画「」の筆頭にランクする。情操豊かな子育てを考えている母親たちからはすこぶる評判が悪い。極悪マンガの最右翼である。

▼5歳の幼稚園児であるということ
一方では、「クレヨンしんちゃん」はテレビ化されたこともあって、老若男女の幅白い層に愛され親しまれている。「クレヨンしんちゃん」と言えば、まず知らない人は少ないのではないか。趣味や関心が年代化し、さらに個別化している現代の日本社会では稀なほど認知度は高い。
マンガ自体は何か特別なものを訴えているわけではない。逆にそれが幅広い支持を得られるカギかもしれない。5歳の幼稚園児である「しんちゃん」は子どもらしからぬ様々なギャグを連発する。そして、彼の周りにいる余所行き顔の大人の建前を次から次へと白日の下に曝け出し、茶化し、笑い飛ばし、ギャグにしてしまう。隠された本音の一面を5歳児のまだ社会化されていない眼差しはことごとく暴露してしまうのだ

▼成長しない5歳の子ども「しんちゃん」
「しんちゃん」はマンガ「サザエさん」と同じ方式で、回を重ねても年を取らない。ハリー・ポッターのような成長物語ではない。もちろん、妹が生まれるなどある程度の変化は描かれている。しかし、依然として彼は5歳のままである。なぜ「クレヨンしんちゃん」は年を取らないのか──この点については後日詳しく論じようと思うが──それは、簡単に言うと、「クレヨンしんちゃん」には「5歳の眼差し」が不可欠だからである。

▼臼井儀人の死を悼む
残念なことに、2009年9月20日、群馬・長野の県境の荒船山で、「クレヨンしんちゃん」の作者・臼井儀人さんの死が確認された。崖からの滑落事故であるらしい。まだ51歳の若さであった。これから「クレヨンしんちゃん」は佳境に入るであろうと期待していたのに、ただ悲報を悼むしかなかった。
臼井さんの死はもちろんだが、ここで「クレヨンしんちゃん」が終わらざるを得ないのはとても残念である。というのは、「クレヨンしんちゃん」は日本の漫画史上でも稀有の存在であり、大きな可能性を秘めていたと思うからである。思うに、「クレヨンしんちゃん」はマンガでありながら、マンガを超えた可能性と意義を秘めていたのである。

▼優れた教育書としての「クレヨンしんちゃん」
何を隠そう、「フリースクール・ぱいでぃあ」には「クレヨンしんちゃん」が誰でもいつでも読めるようにたくさん置いてある。できたら出版されている全巻を揃えたいと思っていた。子ども達に──特に小学生の──読んでもらいたいからである。実際、「ぱいでぃあ」の子ども達は「しんちゃん」をよく読んでくれる。嬉しいことだ。
「クレヨンしんちゃん」は「マンガであって単なるマンガではない」と言ったが、その一つの意味は、学校で傷ついた子ども達に「クレヨンしんちゃん」は優れた「癒し」の効果をもたらすからである。子ども達が、誰に命令されることもなく、好んで「クレヨンしんちゃん」を読むということは、子どもが自ら癒しの活動に参加するのと同じだと思っている。「クレヨンしんちゃん」を読むことによって、その子は無意識の内に「しんちゃん」によって抱きしめられ癒されているのである。
子ども達が「クレヨンしんちゃん」のマンガに触発されて大きな笑い声を上げたり、微笑んだりしているとき、その子は今、大きな癒しの空間の中にいる時だ。そして、その効果は下手なカウンセリングよりもずっと大きいと私は思っている。そこには「縛られた自分、盆栽のように選定され撓められた自分」から解放され、「自由に思考し、自由に羽ばたき、自由に行動できる」ようになった子どもがいるのだ。

▼中国で愛された「クレヨンしんちゃん」
著作権法上の問題などいろいろあり、全体主義国家とも言えるお隣の擬似社会主義国の中国で、不思議なことに「クレヨンしんちゃん」が広く見られ、愛されている事実を知っているだろうか。過激な描写にはモザイクが入るなど、そこは中国人向けにアレンジされてはいるが、彼らは「クレヨンしんちゃん」をあたかも自分たちのアニメのように親しんでいるという(コピー天国らしい実態がそこにあるのは確かだが)。
これは日本のマンガやアニメが国際的に広がっていることの例証かもしれないが、作者・臼井儀人さんの悲報を知って、一番悲しがったのはもしかして彼ら中国人達かもしれない。そう思うと、どこか救われたような思いにもなる。
我々島国の住人である日本人は、極度に細分化され洗練された表現を好み、中国人特有の大陸的な大仰な振る舞いを時には「洗練されていないガサツな行動」として忌み嫌うことが多い。けれども、「クレヨンしんちゃん」を国民的アイドルのように愛する態度には、確かに中国には小皇帝の問題などあの国特有の問題はあるものの、まだ日本ほどには「社会的病理」が進行していない側面を見る思いがする

※それはなぜか──それはまた、機会を改めて記してみたいと思う。

******************************************************
連携している「フリースクール・ぱいでぃあ」のサイト
連携している「ぱいでぃあ通信」(不登校・フリースクール応援マガジン)(ブログ)
******************************************************
 良ければアクセスしてやって下さいね。


井上ひさしさんに合掌

2010年04月14日 | 社会

井上ひさしさんに合掌

▼「ひょうたん島」で言葉の表現に出会う
  当時子どもだった私がテレビドラマの楽しさを知ったのはたぶん「ひょっこりひょうたん島」が最初ではなかったかと思う。軽快な音楽に乗ってひょうたん島が海の上を移動しながら様々な事件に遭遇するという奇抜な発想のドラマは、子どもの私の気持ちを沸き立たせた。ドラヒゲ、ドンガバチョ、博士…当時としては斬新なエンターテインメント性に裏打ちされた豊かな日本語の表現の数々がそこにあった。日本語という言語がこんなに素敵な表現力を内包していること、そして人と言うものはこういう言葉を通して生き思考するのだと言うことを、井上ひさしさんの「ひょうたん島」は子どもの私に身体を揺すぶるような感覚の覚醒=感動を通して教えてくれたように思う。今思うと、それがその後の私の行動原理の基板のひとつになったのではなかったか。

▼一番ノーベル賞をとってほしかった人
 残念ながら私は作家・井上ひさしさんの忠実な読者ではなかった。しかし、机上の勉学を通してではなくその生きざまの中から叩き上げ開花させた類まれな日本語の才能はいつも畏敬の対象であった。だから、何人かの日本の文学者がノーベル賞を受賞したりその候補に上がる度に、「井上ひさしさんこそノーベル賞にふさわしい」と密かに思い、それが実現することを願っていた。しかし、何語にも置き換え可能なグローバル性のある日本語を駆使する作家が国際評価を得る中で、井上さんの日本語の仕事の偉大さはあまり海外では評価されていないようにも見えた。そのひとつの要因は、井上さんが紡ぎ出す日本語による表現の見事さは、その還元不能なほどの見事さにおいて、外国語への翻訳はとても難しかったのかもしれない。一時は翻訳家の怠慢とも考えたが、詩の言葉が翻訳不可能な場合が多々あるように、遅筆堂・井上ひさしさんの戯曲や小説の言葉も同様の困難さにぶつかったのだろうと考え直した。

▼ただ合掌
 井上ひさしさんの評伝的なことはここでは語らない。私の柄ではない。一読者としての私的な思いに留めておきたい。あの飾らない人懐っこそうな笑顔を思い浮かべながら、ただ合掌するだけである。それにしてもちょっと早過ぎはしないかい。もっともっと豊かな日本語を紡ぎ出してほしかった。井上ひさしさん、あなたが去った今、あなたが残した日本語をできるだけ私の身体を通して響かせてみたいと思っている。

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村


日本相撲協会に未来はあるのか

2010年02月05日 | 社会
日本相撲協会に未来はあるのか

▼大相撲の伝統とは何か
 2月4日(木)の「読売手帳」というコラムで、日本相撲協会の不可解さについて触れながら“「伝統を守る」とは古人の精神と、歳月に磨かれた様式美を受け継ぐことであり、無批判に旧習を温存することを意味しない”と述べている。これは良しとしよう。
 また、安治川親方(元幕内・光法)が日本相撲協会の理事選で貴乃花に1票を投じたことで退職騒ぎに発展したことに関し、“恐怖国家のような選挙”と批判している。これも同感である。
 が、“横綱のガッツポーズには厳しい処分を下さず、「抑制の美学」という良き伝統は崩れるに任せ”と批判しているのには首肯しかねる。それもまた「改めるべき旧習」ではないのかと私には思われる。「奴隷の美学」というものもあると私は思っている。

▼コラム氏の意見は新聞を代表する声か
 これは客観的にどれが正しいとかいう問題ではなく、時代や社会に対する認識や感覚の違いから来るものだろう。それが「読売手帳」というコラムで(私も愛読者の一人だが)筆名を伏せたまま書かれると、読み手としてはあたかもそれは読売新聞を代表した声(?)のように思ってしまう。「ちょっと待ってもらいたい! オレはコラム氏の意見とはちょっと違うぞ」と思わず言いたくなってしまう。

▼コラム記事にはには署名を入れろ
 確か原口総務相が「マスコミは情報源を明確にせよ」というようなことを言って、報道の守秘義務を盾にマスコミに反撃されたこともあったようだが、少なくとも新聞名を冠したコラムの記事くらいには署名をしてはどうなのか。それが個人としての責任ある記事というものだろう。それとも、覆面にしなければ困ることでもあるのだろうか。
 マスコミの報道といえども、もはや不偏不党で公平無私ではなく、様々な価値観や偏光フィルターを通して記事が書かれているということは周知のことだ。それなのにコラム氏は新聞の傘に身を隠したまま署名をしない。これまではそれが当たり前のことだったのかもしれない。しかし今、それを良しとする感覚はずれてはいないか。これもまた旧習ではないのか

▼横綱を引退する朝青龍の胸中は?
 今晩のニュースで朝青龍の引退を知った。「ついに」と言うべきか「とうとう」と言うべきか。表向きは酒乱騒動の責任を取ったということだろう。確かに、ガッツポーズならまだ良いが、酒に酔って一般人を殴ってはプロとしてはお仕舞いだ、言い訳は無用だ。が、本当はもう日本相撲協会で横綱として猿芝居を演ずることに飽き飽きしたからではないのか。彼にしてみれば、「何が伝統だ」「何が国技だ」「何が品格だ」という気持ちだったのではないのか。

▼日本の相撲から世界の相撲へ
 もはや相撲は日本人だけでは成り立たなくなっている現実がある。その生まれも文化も風土も違う外国出身の彼らに形だけ従わせてどうなると言うのか。かつて柔道が国際社会に向けて脱皮したように、大相撲もそういう方途を考えてみてはどうなのだろうか。日本の大相撲が世界の相撲へと脱皮してはいけないのだろうか。モンゴルやロシアに限らず、世界には日本の相撲に類似した格闘技が沢山ある。その統合としての大相撲は考えられないものだろうか。

▼大相撲の展望を開けない横審委員ら
 内館牧子氏ややくみつる氏の朝青龍批判は、読売手帳氏が言うように、「古人の精神と、歳月に磨かれた様式美を受け継ぐこと」を朝青龍に求めたかもしれないが、今を生きる人々に愛されかつ次代を切り開く大相撲の価値を説いたとはとても思えない。これでは大相撲としての体面は保てるかもしれないが、やはり次第に人々に飽きられ消え細って行くしかない運命にあると言うしかない。大相撲の新境地を切り開く御仁がどうも相撲協会にも横綱審議会のメンバーにもいないように見える。

▼新理事・貴乃花の登場で展望は開けるか
 新しく理事になった貴乃花はまだ未知数の存在だが、伝統を受け継ぐとともに、(朝青龍を擁護する立場とは違うようだが)海外への視野をはっきり持っているように見える。そこに大相撲の発展の展望はあるだろうか。今後を見守るしかない。とにかく日本の大相撲に改革の新風を注ぎ込むことは絶対に必要なことだったのだ。だから、貴乃花が新理事に選出されたことで、武蔵川理事長の意向はどうあれ、大相撲は生き延びるために首の皮一枚で繋がったのだと言える。
 蛇足になるが、今回の騒動で、「大相撲は一番人気の朝青龍を切ってどうするのか。それでも大相撲はやっていけるのか」という声が世間には結構あるようだ。

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村





頑張れ! 貴乃花!

2010年01月29日 | 社会

“貴乃花つぶし”に文科省が待った!理事選に異例の介入(夕刊フジ) - goo ニュース

貴乃花、頑張れ!

▼日本相撲協会のおかしな体質
 このブログでも何回か、「朝青龍のどこが悪い?」というような内容で、日本相撲協会のおかしさ、その古い体質の改善を訴えてきた。それが今回は理事戦の話題である。
 その前に、横綱審議会委員として大いに発言し話題を集めた内館牧子さんの退任に心からお疲れ様と言いたい。やくみつる氏と同じく横綱に対して辛口の批評・批判する姿勢が印象的であった。その辺のことは、朝青龍に対して「アスリートとしては150%好きだが、横綱としては…」という感想が全てを物語っているかもしれない。ただその姿勢は日本相撲協会が今の時代の人々に親しまれ愛されるのに相応しいものであったかというと首を傾げるような発言もあったと私は感じている。

▼内館牧子さんのやり残したもの
 大相撲がこのままでは行き詰まりを見せていること、日本伝統とも言える相撲(国技と言っていいのだろうか?)が国際化しトップ陣は全て外国人が占めるようになった現実があるということ、伝統を受け継ぐこととはどういう事なのか、そもそも旧来のものをそのまま墨守することが伝統を受け継ぐことなのか、それを伝統も文化も違う外国出身の力士に理解させ体現させることが可能なのだろうかということ、それとも中身はともかくそういうポーズだけでもとらせればそれでOKだということなのか、というような問題にどれだけ切り込めたのかという思いがしている。

▼貴乃花親方の理事選出馬の波紋
 そこに貴乃花親方が自己の信念を貫くために「慣例」を無視して財団法人相撲協会の理事戦に出馬すること、しかし一門の反対にあって二所ノ関部屋を飛び出し6人の親方がそれに追随し破門になったこと、ところが貴乃花親方が理事選に当選するには3票足りないこと、しかし二所ノ関部屋だけでなく時津風部屋をはじめどの部屋も貴乃花親方に投票するシンパを出さないために暴力団の親分選びまがいの規制をかけていることなどが、次々と明らかになってきた。どうもこれが伝統を重んじるという日本相撲協会のやり方らしい。しかし、これでは大相撲に八百長の疑惑が生まれたり、若者に愛想を尽かされたりするのもむべなるかなという感じがしないでもなかった。

▼大相撲の将来を憂い改革を唱えること
 相撲協会の武蔵川理事長は、相撲協会の改革を唱える貴乃花に、「改革、改革って、何を改革するというんだ」というようなことを言っていたようだが、現状を良しとし、問題意識を持たない人間にとっては改革を唱える人間の言は難癖を付けているようにしか見えないのかもしれない。しかし、貴乃花親方の大相撲を思う気持ちはとても真摯なものに思える。一本気で融通が利かない面もあるようだが、彼は真剣そのものだ。体面ではなく、日本の大相撲の行く末を本気で憂えている。

▼文科省の監視の下での選挙に賛成
 そこに今回、初めてのことだろうけれども、監督権限を持つ文科省の監視が入るとのこと。厳正な選挙を実施するためである。日本相撲協会の健全な発展を願うためである。逆に言えば、今までの相撲協会のあり方がボス同士の手打ち式で決まるように、余りにも非民主的であり過ぎたのだ。それに、いじめ・リンチの結果、死者まで出すに至ったのに、自力ではなかなか変われない体質を持っている。
 現在の理事の面々を見ても、横綱・大関等の経歴者が必ずしも主要メンバーとなっているわけでもない。どういう経緯でこういうメンバーが協会を運営するに至ったのか外部からは皆目見当がつかない。
 貴乃花親方が理事選に出馬することについては賛否様々な声があるようだ。だが、協会のボスたちの声に従っていたならば、おそらく改革は無理であろうし、貴乃花のような若手は今後長らく出番が回って来ないだろう。つまりは相撲協会は何ら世間の批判に応えることなく旧態依然のままであり、その結果衰退の一途を辿ることになるだけだろう。

▼貴乃花親方の真摯な思いを支持する
 では、貴乃花にそれだけの才覚があるのか?そう問われれば疑問な点が少なくない。学歴を積まずに中卒後相撲の道に入ってしまった結果、その言動がエキセントリックでに偏りがあったり、相撲場経営がうまく行かなかったり、人間関係のまずさもいろいろ指摘されている。実際、彼は優れた強い横綱ではあったが、ただそれだけのことで個人的には好きにはなれない相撲取りであった。しかしそれしかない相撲バカであったからこそ、相撲に対する思いは誰にも劣らない強さを持っていることも同時に感じられた。
 今、相撲協会に求められているのはそういう若い改革者の熱い溢れ出るエネルギーなのではないかと思われる。公正な選挙の結果敗れるのであればそれは致し方ないが、それ以前の工作によってひねり潰そうという発想や行動(投票の小細工や締め付けによって貴乃花潰しを画策していたようだ)はいただけない。それではいくら熱心な相撲ファンでも愛想を尽かすというものだ。

▼人は挑戦を通して成長する動物
 現段階では貴乃花を理事に推すメンバーが不足である。彼が当選するには更に数名の賛同者・支持者が必要である。投票日までにその人数が確保出来るかどうか。もしかして、彼は理事としての資質に欠けていると考えている人がいるかも知れない。それも一理ある。しかし、「あいつはダメだから…」とその人間に挑戦させる機会を与えないでいれば、その人はずっと批判されるレベルの人間に留まることであろう。はじめから出来る人はいないのだ。それに人は挑戦することで成長する動物である。だから、彼を成長させるためには彼に挑戦させることが必要なのだ。もしかして、失敗ということもあるかも知れない。ならば、次はそこから出発すればいいのである。失敗を通して人は成長するのだ。貴乃花、頑張れ!

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村

 


現代のマスコミ報道のあり方を考えるー偽装献金問題の報道から

2009年12月27日 | 社会

現代のマスコミ報道のあり方を考えるー偽装献金問題の報道から

▼驚くべき政治家の事務所の経理の杜撰さ
とうとう鳩山首相の元秘書二人が偽装献金事件で起訴され、首相は「誠に申し訳ない」と陳謝した。これは今後の政権運営にとって相当の痛手であろう。人が集まり人が動くとなれば、どんな組織でも金銭も動く。ポスター一枚作るにしても費用がかかる。だから、組織と名の付くところでは、法人のような公的な組織ではなくても経理は大事な仕事である。これなしには組織は動けない。だから、組織のあるところにはその大小にかかわらず必ず経理の責任者が必要であり、規模が小さくて大して金額の出入りがある仕事ではなくても経理に弱ければ税理士など経理の専門家に依頼することも多くなる。それが天下の政治を司る組織であれば当然、事務所には経理の責任者がいるはずであり、それが出来なくてどうして税金に基づく政治を行うことができるだろうか。

▼日本の政治の変化の兆し
ところが、驚くことに今回の鳩山氏の場合に限らず、政治家の事務所というのはその金額が数百万、数千万、時には数億万の単位になろうとも、経理に関してはまるでザルで杜撰な場合が多いのはなぜか。あえて明確に処理しない方策がとられていると言えなくもない。こういう膿は今後至る所で出していかなければならない。しかし、なぜこういうことが今までまかり通ってきたかといえば、それは結局のところ国民がそれを許容してきたからである。やはり、国は国民に合った政治や政府しか持つことは出来ない。それが今回、小沢氏や鳩山氏の献金問題を契機にして脚光を浴びるようになったということは、ある意味政治の進歩であり、おそらく自民党政権では不可能であったことであり、政治のチェンジを示す出来事として評価すべきことかもしれない。

▼旧態依然のマスコミの悪アガキの姿
マスコミはこの時とばかりに鳩山政権叩きに奔走し、民主党と言えども自民党と何ら変わりはないということを国民に示そうとしているかのように見える。しかし、大事なのは相手を批判すればそれで批判者の株が上がるわけではないということ。言い換えれば、批判するということは、やがてはその何倍もの風圧となって自分に返ってくる覚悟を持つことでもある。こういう一連のマスコミの報道の姿勢が、逆に旧態依然たる物差しを抜け出ることのできないマスコミの悪アガキの姿にも見えてくるから不思議だ。

▼政治的貧困の日本の風土の中で
見方を変えてみよう。今、鳩山氏の偽装献金が問題になっていて、さすがは大資本家のボンボンの金銭感覚は庶民とは違う、という側面は大いにある。しかしそれでも、貧乏人の私がそういう彼を庇うところがあるとすれば、その金は私腹を肥やすために使われたものではないということに尽きる。我欲に長けた他の政治家のように彼は闇金を肥やす術を知らなかったのかもしれない。また、そんな発想を持つ必要もなかったのかもしれない。だから、彼にとって政治は算術ではなかった。しかし、実際の政治には莫大なカネがかかる。それに、彼がいくら企業献金から個人献金への変化を訴えても、そもそも殆どの日本人は私腹を肥やすことには熱心でも他人のためには金を出そうとはしない。この傾向は特に資産家に強い。だから、彼は何億ともいう金を新しい政治の実現のためにつぎ込まざるを得なかったのだ。改めて問う。鳩山氏批判を繰り広げるマスコミを支持する資産家や小金持ちのうち、一体どれだけの人が他人のためや、この国の政治のために自らの資産を投入してきただろうか。

▼政権交代の必然性
キリストの聖書のヨハネの黙示録の一節には、イエスの言葉として「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい」という有名な言葉があるが、そういうことが今の鳩山由紀夫首相批判にもそのまま当てはまるのではないか。鳩山首相の所信表明演説に対する各党の代表質問で、民主党の財政試案に対する自民党の谷垣氏の批判に対して「あなた方に言われたくない。(中略)こんな財政にしたのは誰なんだ」と言い、普天間飛行場の移設問題に関しても「今まで10年以上結論を出さなかったのは、どの政権なのか」と言い放ったことがあった。言うまでもなく、政権は交代すべくして交代したのだ

▼マスコミの「正義」を検証しよう
これは資産家か否かの歪曲された話(もちろん大きな命題だが)ではない。この国は何を求めどこへ向かおうとしているのか、何を選択し何を行おうとしているのか、という問題なのだ。そこで、マスコミも何を目的に、何を言おうとしているのか…とくと検証する必要がある。もしかして、それは古い物差しを振り回しているだけなのではないか…ということもなくはない。それに、場合によっては、マスコミの報道は国民を覚醒に導くのではなく、洗脳によって固定的な見方に導くことだってないわけではない。思えば60数年前、私たちは大政翼賛的なマスコミの「正義の報道」によって、戦争・敗戦という苦い経験を舐めている。

▼現代に相応しいマスコミの報道のあり方
マスコミはなるべく事実を客観的に報道することに徹するべきだ。それが難しいなら、自分たちの報道の姿勢を明らかにし、必ずしも客観的報道ではないことを素直に認めるべきだろう。それが現代に相応しいマスコミの報道姿勢のあり方だと思う。マスコミには報道の自由だけでなく、報道の価値付けの自由も、報道しないで見ぬ振りをする自由もある。だから、今さら言うまでもないことだが、マスコミの報道=客観的ではないのである。それに、もはや国民の声(=頭)をマスコミに代弁してもらう時代でもない。我々もまずはそういうマスコミの言葉や報道をしかと検証することから初めなければならない。

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村


現代のマスコミ報道のあり方を考えるー偽装献金問題の報道から

2009年12月27日 | 社会

現代のマスコミ報道のあり方を考えるー偽装献金問題の報道から

▼驚くべき政治家の事務所の経理の杜撰さ
とうとう鳩山首相の元秘書二人が偽装献金事件で起訴され、首相は「誠に申し訳ない」と陳謝した。これは今後の政権運営にとって相当の痛手であろう。人が集まり人が動くとなれば、どんな組織でも金銭も動く。ポスター一枚作るにしても費用がかかる。だから、組織と名の付くところでは、法人のような公的な組織ではなくても経理は大事な仕事である。これなしには組織は動けない。だから、組織のあるところにはその大小にかかわらず必ず経理の責任者が必要であり、規模が小さくて大して金額の出入りがある仕事ではなくても経理に弱ければ税理士など経理の専門家に依頼することも多くなる。それが天下の政治を司る組織であれば当然、事務所には経理の責任者がいるはずであり、それが出来なくてどうして税金に基づく政治を行うことができるだろうか。

▼日本の政治の変化の兆し
ところが、驚くことに今回の鳩山氏の場合に限らず、政治家の事務所というのはその金額が数百万、数千万、時には数億万の単位になろうとも、経理に関してはまるでザルで杜撰な場合が多いのはなぜか。あえて明確に処理しない方策がとられていると言えなくもない。こういう膿は今後至る所で出していかなければならない。しかし、なぜこういうことが今までまかり通ってきたかといえば、それは結局のところ国民がそれを許容してきたからである。やはり、国は国民に合った政治や政府しか持つことは出来ない。それが今回、小沢氏や鳩山氏の献金問題を契機にして脚光を浴びるようになったということは、ある意味政治の進歩であり、おそらく自民党政権では不可能であったことであり、政治のチェンジを示す出来事として評価すべきことかもしれない。

▼旧態依然のマスコミの悪アガキの姿
マスコミはこの時とばかりに鳩山政権叩きに奔走し、民主党と言えども自民党と何ら変わりはないということを国民に示そうとしているかのように見える。しかし、大事なのは相手を批判すればそれで批判者の株が上がるわけではないということ。言い換えれば、批判するということは、やがてはその何倍もの風圧となって自分に返ってくる覚悟を持つことでもある。こういう一連のマスコミの報道の姿勢が、逆に旧態依然たる物差しを抜け出ることのできないマスコミの悪アガキの姿にも見えてくるから不思議だ。

▼政治的貧困の日本の風土の中で
見方を変えてみよう。今、鳩山氏の偽装献金が問題になっていて、さすがは大資本家のボンボンの金銭感覚は庶民とは違う、という側面は大いにある。しかしそれでも、貧乏人の私がそういう彼を庇うところがあるとすれば、その金は私腹を肥やすために使われたものではないということに尽きる。我欲に長けた他の政治家のように彼は闇金を肥やす術を知らなかったのかもしれない。また、そんな発想を持つ必要もなかったのかもしれない。だから、彼にとって政治は算術ではなかった。しかし、実際の政治には莫大なカネがかかる。それに、彼がいくら企業献金から個人献金への変化を訴えても、そもそも殆どの日本人は私腹を肥やすことには熱心でも他人のためには金を出そうとはしない。この傾向は特に資産家に強い。だから、彼は何億ともいう金を新しい政治の実現のためにつぎ込まざるを得なかったのだ。改めて問う。鳩山氏批判を繰り広げるマスコミを支持する資産家や小金持ちのうち、一体どれだけの人が他人のためや、この国の政治のために自らの資産を投入してきただろうか。

▼政権交代の必然性
キリストの聖書のヨハネの黙示録の一節には、イエスの言葉として「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい」という有名な言葉があるが、そういうことが今の鳩山由紀夫首相批判にもそのまま当てはまるのではないか。鳩山首相の所信表明演説に対する各党の代表質問で、民主党の財政試案に対する自民党の谷垣氏の批判に対して「あなた方に言われたくない。(中略)こんな財政にしたのは誰なんだ」と言い、普天間飛行場の移設問題に関しても「今まで10年以上結論を出さなかったのは、どの政権なのか」と言い放ったことがあった。言うまでもなく、政権は交代すべくして交代したのだ

▼マスコミの「正義」を検証しよう
これは資産家か否かの歪曲された話(もちろん大きな命題だが)ではない。この国は何を求めどこへ向かおうとしているのか、何を選択し何を行おうとしているのか、という問題なのだ。そこで、マスコミも何を目的に、何を言おうとしているのか…とくと検証する必要がある。もしかして、それは古い物差しを振り回しているだけなのではないか…ということもなくはない。それに、場合によっては、マスコミの報道は国民を覚醒に導くのではなく、洗脳によって固定的な見方に導くことだってないわけではない。思えば60数年前、私たちは大政翼賛的なマスコミの「正義の報道」によって、戦争・敗戦という苦い経験を舐めている。

▼現代に相応しいマスコミの報道のあり方
マスコミはなるべく事実を客観的に報道することに徹するべきだ。それが難しいなら、自分たちの報道の姿勢を明らかにし、必ずしも客観的報道ではないことを素直に認めるべきだろう。それが現代に相応しいマスコミの報道姿勢のあり方だと思う。マスコミには報道の自由だけでなく、報道の価値付けの自由も、報道しないで見ぬ振りをする自由もある。だから、今さら言うまでもないことだが、マスコミの報道=客観的ではないのである。それに、もはや国民の声(=頭)をマスコミに代弁してもらう時代でもない。我々もまずはそういうマスコミの言葉や報道をしかと検証することから始めなければならない。

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村