教育落書き帳

教育とは何か…子どもの視点を尊重し、親、伴走者、市民の立場から語ります。子どもを語ることは未来への信頼と希望を語ること。

親は子どものパシリ(執事)やメイドになるな(2)…北海道旅行から考えたこと(補遺2)

2009年08月20日 | 「大人のフリースクール」公開講座

親は子どものパシリ(執事)やメイドになるな(2)…北海道旅行から考えたこと(補遺2)

 ▼学校から「来るな!」と言われた子
 ここに、まだ中学生という義務教育段階の子ではあるが、学校からははっきり「来るな!」と言われてしまった子がいる。だから、もう学校に居場所はない。ただ学籍があるだけで、学校とは完全に切れてしまっている。卵が先か鶏が先か、両者に言い分はあろうが、中学生が公立学校から一方的に登校を拒否されるというのは尋常ではない。当然、教育権や学習権の観点からも問題がある。
 中学生としては奇天烈な服装をし、髪を金髪に染め、幾つものピアスをし、腰パン姿で街を歩き回り、昼間は寝て過ごして夜には街中を徘徊し、同じような仲間と愉快に過ごし、左腕には常時包帯が巻いてある、という出で立ちである。どこでどう間違ってしまったのか定かでないが、こういうツッパリの子は本質的にはナイーブで弱い子なのだ。自分ひとりで自分を支えられない子がほとんどだ。中学生には似つかわしくないそんな服装は、そういうひ弱な自分の内面をひた隠す仮面に過ぎない。ガングロ(顔黒)のメイクの場合と同じである。激しく露出することで本当の自分を隠すのである。
 左手首の包帯もリストカットの痕隠しであったり、馬鹿な根性焼きであったり、○○命であったりするが、同様の心情である。昼寝ているのは昼間に付き合う友達がいないからであり、夜出かけるのはそこなら自分と同じような境遇の仲間がおり、自分の話を受け止めてくれるからである。

▼誰が自分を分かってくれるか
 そんな悩みや相談があるなら、専門のカウンセラーのところに行けばいいではないか、と教師や一般の大人は思うかもしれない。が、子どもはそういうところに連れて行かれても、1時間~1時間半の間、大抵の場合、カウンセラーの心証を壊さないように良き相談者を演じるだけである。学校では大部分の子ども達が良き生徒を演じるように。カウンセラーが幾らにこやかに受容と共感の“技法”を持って迫ろうと、「ちょっとこれから火をつけてこようと思うんです」とか「みんなで○○をぶちのめして来ようと思うんです」などと言おうものなら、カウンセラーはたちどころにその仮面を脱ぎ捨て、通報するような態度に出るだろうことを本能的に知っている。第一、そこには専門的に考え抜かれた周到な技法はあるかもしれないが、発する言葉やその感覚が自分とはまるで違うのである
 それに比して、夜の世界の仲間は自分の言葉にじっくり耳を傾けてくれ、実感で自分を受け止めてくれる。ここにいる仲間は自分と同じ言葉を話し自分と同じ空気を吸っている!自分のことを本当に分かってくれるのはここだけだ!本物のカウンセラーがここにいる!そんな気持ちにさえなる。他愛ない夜の世界のお喋りには、そんな媚薬のような魔力があるのだ

▼子ども達を飲み込む闇の世界の陥穽
 だが、子どもはそれが自分を掴まえる大きな陥穽かも知れないとは考えない。その子の周りにいるのはほとんど犯罪の予備軍なのだ。タバコ、酒、無意味な馬鹿騒ぎ…、今問題になっている薬の世界までほんの少しである。いざとなれば、そこに屯している連中にとって子どもに有無を言わさずに従わせることなど赤子の手をひねるようなものだろう。
 そしてさらに、インターネットや携帯サイトの世界が不気味な口をあけている。学校裏サイトが問題になっているが、プロフ(自己紹介サイト)などには平気で自分の写真や連絡先、学校の仲間や交友関係まで詳細に載せていることが多い。無防備である。まるで警戒心がない。単純極まりない。が、ここまで来ると、もはや自分やその取り巻きの仲間の問題にとどまらなくなる。たとえば、出会い系サイト等で見知らぬ人と出会いどんな事件に巻き込まれてもおかしくない。糸の切れた凧はただ風に飛ばされるままである

▼変身のための猶予期間
 私たちのフリースクールはどんなところか、インターネットの紹介サイトやその記事、紹介本などを見れば大体の察しがつく。だから、大抵の場合はそれに相応しいタイプの不登校生たちがやってくる。だが、たまにそうではないタイプの子が来ることがある。
 確かに、趣旨の違いはあっても一応どんな子どもでも居場所となるのがフリースクールという場所である。それでも、場合によっては受け入れ条件を設けることがある。たとえば「○○までにうちのスクールの趣旨に合うようにしようね」というように、変身のための猶予期間を設けたりすることもある。普通は1ヶ月~3ヶ月という期間である。

▼夜の世界にのめり込む子ども
 実際にそうして引き受けたK子の場合、それまで全く手付かずであった教科学習やスポーツ等の身体活動にも熱心に取り組み始めた。相変わらず保守的な見方をする人からは奇異に映る外見の問題はあり、他の生徒(普段着の通学を勧めているが、全体的に派手ではない)との違いは際立っていたが、その姿勢は周りからはそれなりに好意的に受け止められていた。そして、母親からもぱいでぃあに入ってから本人の行動に大きな変化が見られ、夜の仲間との付き合いも止め外泊もなくなったとのことであった。
 しかし、3ヵ月後のぱいでぃあの旅行は一般の社会人と共にする旅行であり、それまでには普通の社会人の一員としての身なりに戻すように求めていた。ところが、旅行の日程が近付いて具体的な話を詰めていく中で、実はその子の生活態度は何ら変化しておらず、両親が私達に偽りの報告をしていたことが分かったのである。しかもそれだけなく、逆に自信を回復した彼女は臆することなく夜の仲間と付き合う傾向を強め、プロフでのカミングアウト(自己表出)も放置しておけない段階にまで及んでいたことが分かったのである。
 子どもが元気になるのは喜ばしいことだが、そういう世界に入って行かせるのはぱいでぃあの本意ではない。単に子どもの言い分に任せるのではなく、社会人としてのコモンセンス(社会感覚)を体得することを重視しているところは、もしかすると他のフリースクールとは違うかもしれない。

▼「子どもがそう言っているから」
 ところが、その話し合いの中で、両親のとった姿勢は最終的に「子どもがそう言っているから」と言うものであった。こちら側で問題にしたのは単に社会人と一緒の旅行だけのことではない。中学生の段階での茶髪やピアス等の問題を不問に付すということは、フリースクールの中ではある一定の条件で可能ではあっても、やはり他では通用しない
 確かに、たとえばビートルズが日本にやって来た当時は、その音楽やファッションは大人たちから不良扱いされた(この夏、改めて「ジョン・レノンミュージアム」を訪れた)が、今はその音楽も歌詞も風俗も半ば古典的な扱いを受け、学校で使用する英語の教科書の中にも登場するようになっている。そういうような社会の変化は今後も確かにあるだろう。だから、今学校から追放されるようなファッション等がいつどういう扱いを受けるか分からないところがある。だから、「そんなに頑なにならなくても…」という意見もあるだろう。

▼現実認識と子の声の尊重
 しかし、子ども達は今を生きており、今社会の現実はどうであるかを親子共々しっかり認識していなければならない。もしそういう覚悟の上での決断であれば、それはその人の決断として尊重しなければならない。そして、その結果もまた受け入れなければならない。悪法も法なのである。現在の社会のルールもまた然りである。
 そういう現実を踏まえて、「このままではお子さんはみすみす選択肢の乏しい袋小路の生き方を強いられることになりますが、親としてそれでもいいのですか」と何度か念を押した。しかし、最終的な答えは「子どもがそう望んでいるから」というものであった。

▼親の責任とファミリー・ルール
 これは見方によってはやはり養育権(監護権)の放棄とでも言うべきものだろうか。欧米であれば各家庭にはファミリー・ルールというものがあり(日本にも少し前までは「家訓」というものがあった)、門限や社会の約束事を守ることなどを子どもにきっちりと遵守させる。このように親は未成年の子どもに対して絶対的な権限と責任を持っている。だから、「子どもがそう望んでいるから」などという応えはまずないだろう。「何寝言を言ってるんだ。あんたはあの子の親だろう」の類だろう。
 しかし、日本では恣意的な形での親の権限が極めて強い。だから、私たちとしては子どもの気持ちは子どもの気持ちとして受け止めるが、親御さんの口からはそういう形で我が子を社会の荒波に放り出した場合(まずあり得ない想定だけれども)のその責任とリスクの大きさ等について率直な意見を交換したいと思った。けれども、ついにそれは叶わなかった。「子どもがそう望んでいるから」…親御さんの口からはただその言葉がくり返されるだけであった。

▼子ども達とフリースクールの現状
 私たちは学校から離れて不登校となったどんな子どもでも引き受けたいと思う。心の弱い子ほど道を外すのである。支えが必要なのである。しかし、現実には、行政からの教育支援が一切ない中で、思いある人々の手弁当でかろうじて成り立っているフリースクールという民間の組織においては、自分を責め自分を苦しめてしまうナイーブ系の不登校生達と、援助交際(売春)や親父狩り(恐喝)などの非行に走る子や暴走族など夜の世界の仲間とつるんでしまう子ども達を同じ空間に置くわけには行かない。また、他人を排除し唯我独尊で自分さえよければの我利我利亡者とか、自分の周りはみんな敵というような思いでいっぱいのこのままでは将来犯罪者になりかねないような子とかをそのままの状態で「いいよいいよ」と引き受けるわけにはいかない。(そういう子たちにはそういう子たちに合った別の居場所が必要なのだと痛切に思う)

▼生まれながらに悪に染まった子はいない
 フリースクールでの不登校ってあるんですか?」とは時折訊かれる問いである。最近では、韓国から日本のフリースクール活動の研究に来た子ども達にも訊かれた。残念ながら答えは「イエス」である。どの子であれ生まれながらに悪意を持ってこの世に生まれてくる子はおらず、人の世に生まれ育つ中で、育ちの環境の中で染まってしまという現実がある。大人たちの壊れた羅針盤や狂った羅針盤が子ども達にそういう状況をもたらしているのは確かだ。子どもたちの姿はこの社会を正確に映し出す鏡なのだ。だが、それはもう一介のフリースクールが扱える領域を超えている

▼旅行に行けた子ども達
 だから、振り出しに戻るが、今回の旅行は望む人がみな参加できたわけではない。特に小学生の子ども達は今回、お留守番の役をお願いすることになった。一般の社会人と寝食を共にして大丈夫かどうか、ここでいつも悩まされる。本人が幾ら望んでもダメなものはダメだし、必要な子には多少臆していても敢えて挑戦させることもある。旅行は子ども達が普段の生活を離れ大きく飛躍できるチャンスの時なのだ。
 正の世界があれば負の世界もある。実数の世界もあれば虚数の世界もある。同じく、日常の世界の裏面には非日常の世界がある。そういうことを知る意味はとても大きい。これはいつものことでもある。しかし、そのためには、子ども達がそれぞれ抽象思考の翼を持っていなければならない。

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親は子どものパシリ(執事)やメイドになるな(1)…北海道旅行から考えたこと(補遺1-1)

2009年08月17日 | スクール活動

親は子どものパシリ(執事)やメイドになるな(1)…北海道旅行から考えたこと(補遺1-1)

 「北海道旅行から考えたこと」を4回連続で書かせてもらったが、実はこれが全てではない。ここでは、旅行中の話ではなく旅行前の話をしてみたい。

▼社会研修のためのお泊り旅行
 繰り返しになるが、ぱいでぃあでのお泊り旅行は敢えて修学旅行とは位置付けないし、その趣旨でやっていない。それは一般の社会人の仲間入りをさせてもらって、社会人としての基本的なあり方を学習させてもらい、自分たちがそれを習うための旅行なのである。勿論、旅行という非日常的な営みを楽しみながらのことである。

▼フリースクール活動の理解
 だが、残念なことにここの所をよく理解されない方々がいらっしゃる。また、私どものフリースクールの活動をよく理解されないまま入って来られる方もたまにいらっしゃる。いや、最初から理解するつもりなどさらさらなかったのだと言った方がより正確かもしれない。

▼日本を取り巻く教育状況
 たとえば、フリースクールでは今でもボランティア的な活動を行なっているところが多いが(では、「何のためにボランティアを?」と問われれば「自分のため」とでも応えるしかないが、今はビジネス目的で参入するところが多いようだ)、だから、参加される方には“出来るだけ”「フリースクールを共に創っていく」ことをお誘いする。ところが、残念なことに、何事も金という世の中の反映か、「費用を払っているんだから、後はお任せ」(進学塾と勘違い?)とか、「我が子が少しでも問題になることがあれば…」と、クレーマーとかモンスター・ペアレンツの役割だけはしっかり果たそうと構えている人がないわけではない。そういうタイプの人たちには大体において「一緒にやりませんか?」と誘いをかけても協働歩調を取ることはまずない(あればとても嬉しい)。それが良くも悪くも現在の日本を取り巻く教育状況である。

▼社会人としての自分づくり
 フリースクールに救いを求めてやってくる親子は、まず第一にその子が安心していられる居場所を求めている。その子はというと大抵の場合、自己卑下やマイナス感情でいっぱいである。だから、まずはそういう思いをしっかりと受け止めて、そこから少しずつ無理のない安定と向上、言い換えれば「自分壊しと自分づくり」を支援していくことになる。そして、やがては自分の足で立ち、思いのままに行動できるようになって行けるよう願っている。その目指す先にあるのは人としての喜びを享受できる社会人としての自分である。フリースクール・ぱいでぃあで心と身体の回復とその活性化を図り、進学進路を切り開くために出来るだけの学習支援を行い、同時に社会人としての常識やコモンセンスを体得するよう様々な試み(毎月の社会見学体験学習や宿泊旅行もその一つ)を行なっているのもそのためである。

▼フリースクールとは何か
 もとより私たちのフリースクールは少年院や感化院(その後、救護院→児童自立支援施設)ではない。以前、戸塚ヨットスクールという人の家畜化を目的とする矯正施設のような団体があって(どこかの知事が支援する会の会長を勤めていたのは驚きだった…)、子ども達をまるで家畜か野生動物のように扱い、死者まで出すに至って社会問題化したことがあったが、子ども達をただ更生させなければならない問題児や犯罪者とみなすようなフリースクールはまともではない(しかし、今でもそういう施設を求める多くの親御さんがいるのが現実のようだ)。また、フリースクールというところは問題児の収容施設でも隔離施設でもない(でも、病院も学校もどこか犯罪者を収容する刑務所のような施設に似ているような気がする。建物のイメージから来るのだろうか、機能から来るのだろうか)。

▼包み隠さず話し合うこと
 だから、フリースクールで引き受ける場合には、それなりの時間をとって十分に話し合い、情報や意見を交換し合い、さらに体験入学も行い、両者が納得の上で(一番の決め手は、本人がここでやりたいということ)初めて入学の手続きとなる。だから、フリースクールの側もご家庭の側もまずは求めることを包み隠さずに話し合うことがとても大切だ。私たちは単に子どもを引き受けるだけでなく、その子がここで疲れや傷を癒し、やがて自分の足でしっかりと立ち、自分の翼で力強く羽ばたいて行くことを願っている。そういう社会人になるための自立支援の学びと活動の場としてこのフリースクールがあるのだ。

▼子どもの下僕を演じる親
 ところが、「弱い我が子を守る」「傷ついた我が子を保護する」という強い思いが、逆に親御さんの子どもへの対応を見誤らせ、思わぬ方向への展開を招くことがある。幸いにして、フリースクール・ぱいでぃあに救いを求めてくるご家族はマスコミをにぎわすようなネグレクトや虐待のケースはまずない。しかし、子ども可愛さからなのか子どもを不憫だと思うからなのか、「子どもの意思を大事にしたい」と思うあまり、子どもの言いなりになり子どもの下僕のように振舞ってしまうケースがないわけではない。そうなるとそこに、尤もであろうと理不尽であろうと、親は自分のことは何でも聞いてくれると見抜いて幼児性の万能感に浸りきる子どもと、子どもの言うことには何でもはいはいと行動してしまう今流行のメイドか執事(コンシエルジュ)のような親、という主客が転倒した奇妙な関係が出来上がるのである。

▼子どもを尊重するということ
 ここで子どもはあたかもお姫様か小皇帝かのように振舞い遇される。そして、親や保護者は本来自分達が果たすべき責務やプライドをとうに失ってしまっている。その行動の基準となっているのはただ「子どもがそう言うから」「子どもがそう望むから」ということ。ちょっと聞くと、子どもの言動を尊重するという原点に立った物言いのようにも聞こえる。親として非の打ち所がない返答のようにも聞こえる。が、果たしてそうだろうか。こうすれば本当に子どもは次代を担う人間として心身ともに健やかに育つことができるだろうか。逆ではないか。昔から「かわいい子には旅をさせよ」と言ってきたのは単なる言葉の綾ではないだろう。

▼子どもをダメにする方法
 ここには社会人としては未完成の未成年の子どもを養育するという親としての最も重要な観点が抜け落ちている。生物学的な営みの結果として親とはなったが、我が子に人として生きていくために必要な教育を施すという歴史的社会的な親としての義務を完全に放棄している。まだ人として未成熟な子どもに、意のままにさせていたらどうなるか。子どもは今の年齢でわずかに判断できる興味や関心の小窓を通して世間を眺め、易きに堕した気ままな選択をするだけだろう。これは「子どもをダメにする最良の方法」と言われていることと同じである。それは「子どもの言うがままに、要求のままに行って、要求する物を与え続けること」だという。その分だけ、子どもは自分の手足や頭脳を使って努力することを厭い、自他に挑戦するチャンスをみすみす捨てているのである。たとえば、「リンゴの皮も向けない子ども達」はこうしてつくられる。

▼変わりようのない自分に気付いた時
 これはこれで、子どもの興味や関心、子どもの存在そのものを商品化しようとする大人の格好のターゲットになっている現実がある。これは逆の意味で立派な子ども虐待のようにも見える。このような育ちをさせられた子ども達は、後で自分の無力感や無能力感に苦しむことになる。でも、子どもが自分でそれに気付いた時にはもう遅い。「人はいつでも変わり得る」というのは半分真実であり半分は偽りである。このような場合には、もう容易には変わりようのない自分を発見するだけである。

…(続く)…

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北海道旅行から考えたこと…(4)旭岳連峰での10人の遭難事故について

2009年08月09日 | スクール活動
(4)旭岳連峰での10人の遭難事故について

▼大雪山系での遭難ニュース
 私達が旅行から戻って1週間後のこと、私達が旅行の最後にロープウエイで上った旭岳連邦の山々で(トムラウシ山や美瑛岳)、中高年の登山者達10名の遭難と死亡のニュースが飛び込んで来た。例年にない異常気象による天候の急変、中高年中心の登山者集団、北国の登山に似つかわしくない不十分な装備、そしてガイドの未熟な状況判断…そういうものが重なり合ってあの遭難事故は起きたようだった。亡くなった人たちはみな道外の道産子ではない人たちで、天候によっては真夏でも冬山並みになる北国の山の厳しさを知らない人たちであった。それに加え、あの人たちは無茶な縦走を激しい風雨の下で強行したのである。
 私達の場合はあくまでも観光旅行の一環であり、目的がツアー登山とは根本的に異なる。旭岳山上の散歩にしても1時間で楽に回り切れる全くの観光客向けのものであった。それで、少し前に自分達も行って来た場所であり、遭難のニュースに驚くには十分であった。私達が行った時は幸い空も晴れており、山登りの経験のない者でもそれなりに散策を楽しめたものだ。それでも、山上はガスと噴煙で曇っていて、とても寒かった!

▼北海道の自然の予備学習を
 これはあらかじめ今回の旅行の参加者には特別に時間をとって確認していたことであるが、世界自然遺産の知床半島を含む今回の北海道東部旅行そのものは朝晩に多少関東よりは肌寒くなることはあるが、あまり気温差は関係ないこと、特に富良野などの内陸部は熱しやすく冷めやすい内陸性の気候なので場合によっては30度を超えて逆に関東よりも暑くなることもあることなどを伝えていた。だから、普段は半袖のシャツでも構わないが、野山を歩くので必ず長ズボンであること、履き慣れた歩きやすい靴であることなどを徹底させた。その上で、3日目の旭岳の姿見の池等の山上散策においては長袖のシャツの着用や防寒具の装備を厳守させたである。
 
勿論、私達は風雨の中での散策までは想定していなかったが(ロープウエイそのものが運行しないだろうし)、大体において高度が100m上げるにつれて温度は0.6度ずつ下がることを、単なる言葉だけではなく子ども達に当地の現在の麓の温度から割り出す計算をさせていた。そのように、私達は無謀なことは一切するつもりはなかったし、行く前から山上での自然の厳しさは認識させていたので、参加者でその用意をしていない者はいなかった。

▼自然の体感的理解
 ただ、こういうことは実際に体験していないとやはり感覚的に分かり難いところがある(逆に、10人の遭難者の場合には中途半端な経験が仇となったところもある)。その点、私達の場合には若い頃から北アルプス等の夏山登山には何度も挑戦し、縦走もしているので凡その感覚は把握していた。それに、私の場合は高校の卒業までは北海道の東部(北見)で過ごし、その気候についてはその様々な面を体感している。雌阿寒岳や十勝岳の猛烈な噴火による天変地異(火山灰が止め処なく降り注ぎ、昼間なのに夜中のように暗くなった)も経験している。十勝岳の夏山登山も行なっている。勿論、冬の北海道の自然の厳しさも承知している。太陽が隠れれば瞬く間に何もかにもがガチガチに凍て付いてしまう。
 だから、自然に対する変な驕りは自分にはない。道産子であればどこにいても大雪(たいせつ)の山並みは見えるし、人もまたこの大きな自然の営みの中で生かされていることを実感していた。10名の遭難者の中に、そういう自然に対する畏怖というようなものがあったなら、アホなガイドの指示に諾々と従うのではなく、あたら命を落とさずに済んだのではないかと思うと実に残念である。

▼自分の器=旅の土産
 北海道旅行に関する記述は、他にも様々な指摘すべき点はあるが、一応今回で終わりとする。そして、これはあくまでも私から見た旅行の記録である。実際に子ども達の一人ひとりは何を見たのだろうか。
 「旅のしおり」にも書いたことだが、「人は自分の器にあったものしか旅から持ち帰れない」のだ。だから、何を持ち帰ったかによって、その人たちの器も量られる。しかし、すぐに花実を付けるものもあれば、晩秋や厳冬の中で花実を付けるものもあるので、軽々しく人を判断することは出来ない。花実を付けない場合だってあるやも知れぬ。それもまた一つのあり方だろう。その後の子ども達……どんな花実を付けるか、付けないか…実は誰も分からない。それぞれが自分に相応しい成長をすることをただ願うばかりである。 

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北海道旅行から考えたこと……(3)子どもの生きる世界…体験の大切さ

2009年08月08日 | スクール活動
(3)子どもの生きる世界…体験の大切さ

▼子どもたちの生きる世界の狭さ 
 今回の北海道旅行を終えて改めて感じることは、子どもたちの世界の狭さである。どうもこれは不登校生だからということではないようである。むしろ「学校」という純粋培養というか無菌室というか、社会から半ば隔離されその中で育ったことによる今の子ども達に共通の特徴かもしれない。これは子ども達が問題ということではなくて、大人たちの教育観の反映ではないかとも考える。それをひとことで言うならば、「子ども達は学校以外の世界に興味や関心を持てない世界を生かされている」ということである。

▼何でも見てやろう!聞いてやろう!  
 限られた日程と費用との中でのせっかくの北海道旅行ではあったが、子ども達は自分達の世界に設けられた小さな窓からわずかに興味や関心を引くものを、自分を安全地帯に置いたまま、ちらちらと眺めているだけのようにも見える。「書を捨てて街に出よう!」と言ったのは劇団・天井桟敷を率いたかの(劇作家というべきか詩人・歌人と言うべきか)寺山修司であったし、「何でも見てやろう、聞いてやろう!」と言ったのはかつてフルブライト留学生となってアメリカを闊歩して歩き、べ平連(ベトナムに平和を!市民連合)を率いて戦後日本の市民活動の礎を築いたとも言える作家のあの小田実であった。フリースクール・ぱいでぃあが学校を離れた子ども達(不登校生達)に「もっと広いもっと自由な新たな学びの方法」として取り入れているのも、彼らのこのやり方から来ている。

▼不登校生たちの思いとは
 もちろん、彼らのように特異な才能に恵まれた人間と不登校生とが同一に論じられるわけはない。しかし、学校を離れた子ども達は大なり小なり学校という空間に違和感を感じ、そこで自分は学ぶことは出来ない、生活を続けることは出来ないという思いを抱いた子ども達であるはずだ。その意味では、もっと囚われのない場所で学びたい、自分をやり直したいと考えた子ども達でもあるはずだ。だが、いま社会の中で生きている大人の視野と中学生くらいの子どものそれとは大きく異なる。子ども達は今まで自分が生きてきた世界しか知らないのである。その範疇の中でしか選択することはできないにだ。

▼体験を通して現実を見る
 そういう子ども達に必要なのは、身体丸ごとの体験を通して感じること考えることであって、限られた知能の小窓を通しての疑似体験を通して考えることではない。ぱいでぃあが行なう旅行は、単なるお遊びでも、知識の延長でもなく、いわば改心(回心)とか転向とでも呼ぶべき精神や感覚の脱皮の体験をするためである。だから、その意味で、2泊3日というささやかな旅行ではあるが、単なる日常の延長ではなく非日常の体験の旅でありたいのだ。そういう非日常の体験を通すことで、再び日々自分達が生きることになるこの日常的現実が新たな様相を帯びて眺められるようになるやも知れぬからである。

▼社会人と共にする旅行
 この3日間、44人の社会人の一員となっての旅であった。ぱいでぃあの旅は普通の社会人と一緒であるというのが、学校のお誂えの修学旅行とは大きく異なる。学校での旅行は終始学校の範疇の視野での旅になる。しかし、ぱいでぃあの旅は敢えて社会人との旅に参加し、子ども達に社会人としての行動を学んでもらうことを重視している。同時に社会人の方々にも陰に陽に協力してもらうことになる。向こうから問わない限りこちらから敢えて表明することはないが、必ず「どういうグループか」と聞いてくる何組かの人たちがいる。そして、こちらの活動を了解しそれとなく距離を置いて協力してくれる。しかし、子ども達には社交辞令というものと大人が仕事としてやっていること、親身になって言っていることとその場の空気を読んでの振る舞いというものとの区別がまだつかないこともある。だから、話の分かる親切なガイドさんなどと思って気安く寄って行くと、図らずも温室のカバーが外されたむき出しの社会の現実に触れることになることもある。彼(彼女)らはサービスで仕事として如才なく振る舞いはするが、フリースクールのスタッフではないのである。

▼子どもたちの脱皮のきっかけになれば
 そんなこんなの3日間の子どもたちの旅行体験が、初めての新鮮な体験やその風土や人との出会いなどを織り交ぜながら、今後にどう引き継がれて展開していくのか興味深いものがある。束の間の分離ではあったが「子離れ・親離れ」という観点からも、子どもたちの脱皮のための一つのきっかけとなればいい思っている。

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北海道旅行から考えたこと……(2)午前様で電車は満員

2009年08月05日 | スクール活動
○午前様で電車は満員

▼深夜便で羽田空港へ
 7月9日、北海道旅行からの帰りの千歳空港発の便は深夜便。意外に早く羽田空港に着いたが、時刻は既に23時過ぎ。荷物を手にしてから(そこで生徒の一人の父親に対面し一人をタッチする)羽田空港からモノレールで浜松町に出た。そして、そこからJR京浜東北線に乗って一路南浦和へと向かった。

▼電車の中で翌日に
 その帰りの電車はおそらく終電に近いもの。途中の電車の中で時計の針は12時を回り、翌日へと日にちが変わった。車内で我々は半分ふざけながら「おはよう」を言い合った。こういうことも中学生の子ども達には初めての経験だろう。普段ならとうに寝ている時間だ(たぶん)。生徒達は互いに親と連絡を取り合い、駅で待ち合わせする人、少し遅くなるが家庭まで送り届ける人などに分かれた。この子達はまだ中学生で未成年。安全とは言っても一人で帰すわけにはいかない。家で待っているなら迎えに来れば…とも思うが、責任は最後まで果たさなければならない。

▼朝帰りの客で電車は満員
 ところで、この電車は何でこんなに人々々で立錐の余地もなく込んでいるのか。さらに、赤羽駅からは余計に込んできた。この人たちは今まで何をしていたのか?考えるまでもなく、この電車の乗客はみな朝帰りの客である。この中には退社後仲間達と酒を飲んで遅くなったという人もいるかもしれない(確かに酔っている人が何人もいる)が、中には今まで会社で残業していたという人もいるようだ(大部分の人が青ざめたシラフの顔である。携帯で何かを見ている人もいる)。

▼日本の社会を高めかつ崩壊へ導いたもの
 そのどちらにせよ、この人たちには家庭生活というものがないのだろうか。あっても顧みるに値しないということだろうか。会社に入ったら家庭を顧みたくても顧みられないということだろうか。どう見たって顧みられた行動ではないのは確かだ。そのほとんどの人が会社勤めのサラリーマンのように見える。企業戦士と言えば格好はいいが、会社のためには個人の生活を犠牲にした人たちと言ってもいいだろうか。時折、アメリカ映画に見るような、何が何でも家庭を守る、場合によっては国家とも対峙する、という発想はここにはない。ああ、こういう人たちが、こういう人たちのいる会社や組織が、日本の物質文明の隆盛を招来し、また日本の家庭を崩壊に導いたのだ。改めてそんなことを考えた。「こういう生活は送りたくないな」とは、旅を共にして、帰りの電車の中でふと漏らしたある子の言葉である。その子の素直な感想なのかも知れない。

▼大人の社会に希望はあるか
 大人の都合で振り回され自分の生き方を見失いかけた子ども達…。旅という非日常の行為の中で束の間忘れていた不如意な日常の営み。そこから再び意欲と希望を持って生きていくわけだが、その日常生活でのモデルとなる大人たちの現実の一側面を今、子ども達は見ているのだ。「自分達はやがてこんな大人になるために努力しているのだろうか…」そんなことを考えた子どももいたかもしれない。今本当に問われているのは子どもたちの教育のことではないのではないか?大人たち一人ひとりの生き様こそがが問われているのではないか。そんなことを考えた帰路であった。

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北海道旅行から考えたこと……(1)食の大切さ

2009年08月04日 | スクール活動
北海道旅行から考えたこと…①食の大切さ

▼スクール活動の一環としての旅行
 今回、私たちは7月7日~7月9日の3日間、2泊3日の北海道東部初夏の旅を行なった。参加者は私たち教師2名と子ども達。フリースクール・ぱいでぃあとしては2度目の世界自然遺産知床散策&クルーズ、摩周湖・阿寒湖・根釧原野・花畑牧場、富良野・美瑛・旭岳巡り等の旅行である。旅行は子どもたちの希望をそれなりに叶えたものであり、ぱいでぃあの毎月の社会見学体験学習の成果を実践するものでもあった。だから、それ自体はぱいでぃあの学習活動の一環との位置付けであった。

▼旅では「食」が問題になる
 しかし、旅には旅の準備が必要であり、ただ身体を移動させればいいというわけにはいかない。普段の生活が、たとえそれが学校を離れた不登校の子ども達であっても日常生活の延長にあるとすれば、旅というものはその大小を問わずやはり非日常の営みである。普段の自分をそのまま持ち込むというわけにはいかない。と同時に、普段ではまるで問題にもならなかったことが改めて問題にもなる。その一つが「食」の問題であった。 (子どもたちのほとんどは今回飛行機に乗るのが初めてなら、親元から一時的に離れて旅をするということ自体が初めてという子ばかりだった。必然的に子ども達は学校・家庭・友だち・近所という空間の中で生活し思考していたことになる)

▼旅行と食の問題
 食わず嫌いや食の偏り、食のアレルギーなど、食に偏りがあると、旅の先々でいかに大変な思いをしなければならないか、今回の旅行で骨身に沁みて感じた人たちがいたかもしれない。これは普段は自分の好きなものを食していればまず問題になることはないが、みんなで旅行するとなると、そのことが大きな課題として考えなければならなくなる。旅の先々でホテル等が自慢の料理として出してくるものが食べられないのだから。

▼食のアレルギーと食の偏り
 アレルギーの場合にはどうにも仕方がないところがあるが、恣意的な食の偏りや食わず嫌いの場合には、今までの生育の過程で何とか手立てはなかったのかという気にもなる。しかも、本人がまだ親の庇護下にいる時には、それが本人の個人の問題と処していいものかどうか。やはり親の関わり方の問題も考えなくてはいけないだろう。ただし、ここで言いたいのは責任の所在がどこのあるかということではなく、子どもの食の偏りは単にその場で摂取する食事の問題にとどまらず、その子の今後の食生活全般、ひいては現実生活での生き方そのものにも関わってくる問題であるということである。個人の嗜好のレベルの問題として処すればそれでOKというわけにはいかないだろう。

▼食と生き方の問題
 他のほとんどの人たちが「おいしい!おいしい!」「幸せ~!」と感じ、食せる喜びつまりは健康に生きてあることそのものの喜びを見出している時に、食の偏りのある人はその喜びを共に享受出来ないばかりか逆に自分には不要な排除すべきもの不適なものという対応になってしまいかねない。これはその人を責めると言うことではなく、そのようにしか関わることが出来ないということの侘しさ辛さ思うのである。くどいようだが、食の問題が単に食の問題にとどまらず、本人の今後の生き方そのものを狭めることにもなってしまうことを老婆心ながら危惧するのである。

▼食の理解と新たな課題
 この頃、盛んに「食育」の大切さが叫ばれている。そういう中から逆に食の偏りやアレルギーの問題もクローズアップされるようになってきた。その結果、魚介類がダメ、卵がダメ、牛乳がダメ、蕎麦がダメ…などということが段々理解されるようになってきた。そういう理解の乏しかった昔は、生徒の我がままのように看做されて居残りさせられてまで食べることを強要されたりもしたものだ。今、そういう無理解な教職員の対応はあるまい。そのことで救われている人も多いのではないか。しかし、それでもやはり、この問題は今後も続く。問題は何も解決していない。むしろ複雑化したといってもいいだろう。今回の旅行を通じても、このことは強く感じられたことであった。まだ、事前に申し出た子の場合には不十分とはいえ、ホテル側と交渉することができた。しかし、それを申し出なかった子どもの場合には、皆と同じものが出てきたわけで、今更どうにも対応できないことにもなった。

▼食はその国の文化問題である
 さらに、この食の問題は個人の嗜好にとどまらず、その国の文化や民族の営為とも大きく関わってくる。今回のように国内の旅行ならまだいいが、海外の国に行きそういう問題に出くわすと、単に個人の嗜好では済まなくなることも出てくる。その食を嫌い排除することが、その国や民族の文化や社会的伝統を拒絶する行為とみなされてしまうこともないわけではない。ある社会では、それを「食べた」ということがその社会や文化のあり方を了解し同意したということを意味することもあるのである。食の問題はそこまで発展してしまう。

▼食育と不登校の問題
 単なる小旅行で生じた問題をそこまで引っ張るのは問題があるかもしれない。しかし、この問題は未解決の問題として今後も考えて行かねばならない。それにしても、教育の問題を考える上で「不登校と食育」というキーワードはとても大きな視点であることを改めて考えることとなった

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