教育落書き帳

教育とは何か…子どもの視点を尊重し、親、伴走者、市民の立場から語ります。子どもを語ることは未来への信頼と希望を語ること。

〈大学生の不登校〉と日本の教育--日本の不登校・引きこもりから見えてくるもの

2013年08月30日 | 日本の教育
金沢:兼六園にて

▼もうだいぶ前のこと、読売新聞の教育メールの回答者をしていた時にも軽く触れたことだが、以前『ぱいでぃあ広場』という《ひきこもりの広場》をやっていた。そこには高校中退者や高校卒業後にアルバイト等をやっている青年もいた。でも、参加者の大部分は明治、上智、早稲田、中大、青山等の四年生大学の学生やその経験者。彼等は今で言うところの《大学生の不登校生》のハシリであった。(世間で大学生の不登校が話題になるのはそのずっと後のこと)

▼高校からそのまま、予備校を経由して、あるいは高校には行かず大検でバイパス的にとか、大学に進学した方法は様々だったが、当時の多くの高校生が憧れたような大学に自力で入学した彼等だった。だから、学校的知力はそれなりに高い学生達。しかし、そこに辿り着いてみると、そこは自分の思っていた大学のイメージとは随分違っっていた。大学に入ることを目的にひたすら勉強してきた彼等、だからこそ起きたことかも知れない。大学には入ったもののそこで何をすればいいか分からない…。大学では誰もそのことを教えてくれない…。当然のことながら、そんな彼等に友達が出来るはずもない。全ては自由だったが、自由をどう使っていいか、皆目分からない…。誰も教えてくれなかった…。

▼大学に入るまで学習塾や予備校などで絶えず教えられて来た彼等は、受け身で勉強をすることが常態となり、勉強とは教えられたことを覚えることだと思っていたようである。自分で考えることはほとんどして来なかった。大学受験まで誰かが必ず声をかけてくれていた。が、大学に入ったとたん--極めて当たり前のことだが--もうそこは誰かが親切に教えてくれる世界ではなかった…。
 考えるのも自分なら、やるのも自分。そういう世界は初めてだった。中には大学を終え就職する段になって初めて、仕事をするにはどうすればいいか、自分は誰からも教わっていなかったことに気付く人もいた。
 笑い話でも作り話でもない。実際にそういう大学生達が《ぱいでぃあ広場》にやって来たのである。

▼ここで《ぱいでぃあ広場》とは何かについて簡単に説明して置きたい。
 1999年に埼玉県岩槻市に全国引きこもりKHJ親の会が設立された時、代表の奥山雅久氏から、私達の不登校支援の月刊雑誌『ニコラ』を〈全国引きこもりKHJ親の会の機関誌として活用させてはくれまいか〉という申し出があった。その時は〈『ニコラ』はあくまでも不登校という未成年の学齢期の子ども達を対象とする雑誌で、成人も対象とするのは難しい〉とお断りした経緯があった。しかし、〈その代わりに教育ネットワーク・ニコラとしても出来るだけの応援をしたい〉ということで、岩槻の公民館で開かれる毎月の本部会合になるべく参加すること、フリースクール・ぱいでぃあの会場で毎月1回『ぱいでぃあ広場』という引きこもりの青年の集いを開くことを申し出たのであった。この関係は代表の奥山雅久さんが国会への請願や法整備も一通り成し遂げ成し遂げこの世を去られるまで続いた(同行して文科省や厚労省にも行ったことがある)。教育ニコラ15周年の集いに余命幾ばくかの病をおして参加して下さったのが生前お会いした最後となった。

▼この大学の不登校生問題は子ども達が心の問題を解決しないまま先送りした結果には違いない。が、それ以上にもっと深刻な日本の教育問題を露呈したものであろう。不登校生として否定的な評価の眼差しに晒されて不本意な形で小中高時代を過ごした子ども達がいる一方、現在の日本の学校教育の中で最も称賛すべき出来る生徒、頭脳優秀な生徒と評価されてきた子ども達もいたのである。共に日本の教育システムの容認される枠から落ちこぼれてしまったりはみ出してしまったりした子ども達である。
 いつから日本の教育システムはこんな狭量なものになってしまったのか。枠からはみ出たことで生きる方向が見えなくなることにも問題はあるが、柔軟性を失った人為的な枠があたかも絶対であるかのように、そこから外れた子ども達を教育棄民の状態に追い込むことは文化的先進国として取るべき方法ではあるまい。大学の不登校生達は日本の教育行政の狭間に落ちた犠牲者とも言えるのではないか。

▼足が悪いとか目が悪いとかいうのであれば外見から誰でも容易に判断が出来る。そのことは変えようのない事実として受け容れるしかないだろう。事実、それさえ分かり合えば、そしてその補助さえあれば、その人は他の人と何ら遜色のない人間的行動を取れるのである。
 しかし、不登校や知的・精神的障害を抱えているような場合には、なかなかそれが難しい。専門の医者でさえ3分間診療では正確な判断は難しかろう。まして事情の知らない部外者や素人ではそれがさらに困難なことだ。
 これは単に日本の教育界だけでなく、社会全体が異質異色の存在を認めず、排除する空気がとても根強いことにある。《出る杭は打たれる》--この諺は今でも生きている。
 以前、全国引きこもりKHJ親の会にABCやBBCの取材が入った時、アメリカやイギリスにも引きこもり(social withdrawal)の青年がいないわけじゃない。でも、日本の場合は特殊だと言った。だから、「引きこもり」という言葉を英語等に訳すことは出来ず、〈hikikomori〉として世界共通語となってしまった。そういう特殊性が日本の社会にはある。

 
▼では、こういう不登校やひきこもりのような事態に突き当たったなら、具体的にどう行動すべきなのだろうか。
 〈人は変わろうと思えばいつでも変われる〉という言葉がある。これは本当であろう。しかし、年齢と共に変わりづらくなってくるのもまた本当である。だから、正直、〈大学生の不登校〉というのは容易に変わることは難しい。遡ればその淵源は〈高校→中学→小学→園児時代〉と遡るかも知れない。その先送りの結果が今かも知れないのだ。でも、不可能ではない!
 〈いつやるの?今でしょう!〉という言葉がある。彼らにとって〈今〉とは何だろうか?もうそれは知ることはできない昔の話で、知ることに意味があるとも思えない。むしろ〈やはり封印したままにして置いた方が良かった〉ということになる危険性さえある。
 当時、〈もう勉強はしたくない、仕事もしたくない〉と訴えるある大学生に聞いたことがある。〈じゃあ、何がしたい?〉と。〈遊びたい〉〈どうして?〉〈今まで馬鹿になって遊んだことがないから…〉〈じゃあ、思いっ切り遊んでみれば!〉
 彼等はとても素直だ。それを実践した。会に集まったメンバーで飲み歩いたり、バカをやって騒ぎまくったり、みんなで企画して遠足に出掛けたり…今まで〈いい子〉で封印されていたものを引き剥がし、好きなように行動した。そうして少しずつ今までの作られた自分を壊していくように見えた。そして、数ヶ月経った時、その中の一人が訊いてきた。〈どこかアルバイトの口ないですかね?〉それはやがて彼が社会参加するための前触れであった。

▼今こうしている間にも次々と新たな不登校の子ども達や引きこもりの若者達が生まれているのかも知れない。そして、その半分以上は本人達のせいではないかも知れない。教育環境や社会のシステムの特殊な価値観が作り出していることも多分にある。根本的に変えようと思うならば、そういう社会の根幹にメスを入れ、ひっくり返すしかないかも知れない。しかし、また同じ毒キノコが生えて来ないとも限らない。ならば、どうする!?
 ●〈君子危うきに近寄らず〉という。剣豪武蔵も逃げた。総大将義経も逃げた。逃げるのはより良く生きるためである。犬死すべきではない。他人の無責任が言動で自分を殺すべきではない。
 ●自分の生命なのに当てにならない他人の言動に任せるな。放射能で死にたくなければ放射能から自ら離れべき。〈やってくれない〉と嘆いても未来の扉は開かない。自ら行動する以外に助かる道はない。
 ●HIVに感染し重篤化すれば、たとえば風邪でも死の危険がある。しかし、一般に風邪菌で死ぬことはまずない。それくらいには負けない体力や免疫力があるから。同じく不登校の場合も、多少の攻撃では負けない体力を付けておくことも必要である。

▼〈フリースクール・ぱいでぃあ〉ではだいたい上記の考え方に基づいて、心身の無理のない増強によって、不登校からの脱却を図っている。
 障害のある子ども達を中心に引き受けているフリースクールもあるが、それはそれで意義のある関わりだと思う。しかし、〈ぱいでぃあ〉での支援の仕方とは別である。
 また、医師と連携は取り合い情報は交換し合うが、フリースクールは病院やクリニックではない。もっとオープンな教育的関わりによって不登校の子ども達の再起を実践している。
 不登校の子ども達は学校教育の視点からは中々見えない豊かな個性を持っていることが多い。むしろ個性的であったからこそ不登校になったとも言える。その個性を見つけること、それを認めること、それを評価すること、それを発掘すること…フリースクール・ぱいでぃあでは、いつもそういう視点で子ども達を見ている。

******************************************************
「いきいきニコラ」のサイト
http://www.os.rim.or.jp/~nicolas/

「フリースクール・ぱいでぃあ」のサイト
http://freeschool-paidia.com/

「ぱいでぃあ通信」(不登校・フリースクール応援マガジン)(ブログ)
http://paidia.blog106.fc2.com/
******************************************************
↓良ければクリック

にほんブログ村 教育ブログへ


にほんブログ村




『はだしのゲン』問題の意味するもの--教育は民のもの

2013年08月19日 | 日本の教育
『はだしのゲン』問題の意味するもの・追記

▼松江市の教育委員会が劇画『はだしのゲン』に閉架書籍扱いの措置を取るよう口頭で要請したという報道は教育に関心のある保護者や教育関係者の間ではもう周知のこととなった。よく知られた原爆漫画ということもあってか、またSNSの時代ということもあってか、マスコミでの扱いはいざ知らず、情報の拡散が意外に速かった。しかしこれは、誤解や批判があったから撤回すれば済むというような簡単なことではない。

そもそもこれは教育委員会が〈子どもに触れさせない方がいい〉と言って《悪書追放》のような形で扱うようなマンガであるのかどうか、それはヒトラーのやった《焚書》と同じではないのか、一体誰の権限でそういうを措置を決定をしたのか--と話は発展する。。
 それよりもさらに解せないのは学校の校長や一般教員の態度である。何が正しく何が解せないのか、自主的に判断することを全く放棄している。よく《事件は現場で起きている》と言われるが、教育界では現場の当事者である教員自身が骨抜きなのだ。

▼だから、学校の教室の壁にどんな立派な標語を掲げようと教育の中身は絵空事に過ぎない。これでは子ども達の教育に何か期待できるわけもない。可哀想なのは子ども達である。そこには大人のモデルになれる教師がいない。彼等は自ら行動方針を立てられず、ただ上からの指示を待っている。こうして学校教育の現場で支持待ち人間がつくり出される。これでは教育というもの内実において欧米の子ども達に敵うわけがない。(もう一国に都合のいい子どもをつくる時代ではない)

▼その結果どうなるか。放射能汚染された地域から動けない福島の子ども達を見るといい。〈地産地消〉とか〈地域で育つ〉とか聞こえはいいが、実際には政治経済優先の文科省の号令に従ったまま(教育も原子力も文科省の許認可だ)子ども達の生命が危険にさらされたままに放置されている。その責任を教師達が取れるはずはない。また、そんな方向に持って行くべきでもあるまい。
 かつて国の命ずるままに教え子達を戦場に送り出した教師たちがいた。敗戦受諾の直前まで生きていた子もいた。その教師たちは戦後も言われるままに〈自主的に!〉かつての教科書に墨を塗り、〈民主主義の世の中になった!〉と子ども達に説いた。そんな教育や教師達とどんな違いがあるか!

▼はからずも今回、日本の学校教育の〈主体性〉なるものが明らかになった。教育を学校任せにしてはいけない。学校に子どもを任せて安心してはいけない。
 明治5年、日本に学制が発布される前、子ども達の教育は家庭が責任を持ってやっていた。国家が保証した教科書がなかろうと、子ども達を立派な社会人に育て上げたのである。子どもは自ら教育されることを要求する学習権を持ち、保護者はそれを実現するための教育権を持つ。教育は国家の専有事項ではないのである。国家に任せっ切りにして戦争に突入した歴史を忘れてはならない。
 もう一度教育の原点に立ち返り確認したい。公教育の変革を百年河清を待つかのように願っても未来はない。それが嫌であれば、自ら動くべきである。行動するべきである。不登校の子ども達が自分たちの存在をかけて行動しているではないか
 その意味で今回の松江市の教育委員会の行動は、我々に良いキッカケを与えてくれた。ちなみに、今、当の教育委員会には、多くの非難や撤回の要求が来ているそうである。

(松江市の教育委員会の委員等はつんぼ桟敷に置かれたまま、教育長が審議にかけず突っ走ったらしい)
******************************************************

「いきいきニコラ」のサイト
http://www.os.rim.or.jp/~nicolas/

「フリースクール・ぱいでぃあ」のサイト
http://freeschool-paidia.com/

「ぱいでぃあ通信」(不登校・フリースクール応援マガジン)(ブログ)
http://paidia.blog106.fc2.com/

******************************************************

↓良ければクリック




劇画『はだしのゲン』を無料鑑賞しよう!--原爆の正しい理解の一助として

2013年08月18日 | 日本の教育
◎この夏休みを機会に、このブログ『教育落書き帳』の性格を少し変えようかなと思っている。
 今まではほとんど不定期な形でアップして来たが、今後はまるべく多く、少なくとも週に一度程度は必ずアップするという形でやっていきたいと思う。


▼その第一弾として、まず、世界的にも知られる故・中沢啓治氏原作の劇画『はだしのゲン』が島根県松江市の教育委員会から市内の全市立小中学校で閲覧規制がかかった問題を取り上げ合いと思う。

(アニメ『はだしのゲン』から)

▼8月16日付のマスコミの報道によると、島根県松江市の教育委員会が、原爆投下時の広島を描いた漫画『はだしのゲン』に対して子ども自身が自由に閲覧できない「閉架」の措置を取るよう松江市内の全市立小中学校に要求したという。
 その理由として市教委は、旧日本軍がアジア人の首をはねたり、女性を乱暴したりする場面があることをある市議から指摘され、暴力描写が過激過ぎると自主判断したらしい。しかし、作者自身が生前語っていたところでは、それは子ども向けに作者が実際の残虐さを弱めて表現してあるという。

▼原爆投下から既に68年がたち、被爆者の平均年齢は78歳を超える。当事者から被曝の体験を聞ける機会が年々少なくなっている。その意味でもこの作品は子ども達に戦争体験をバトンタッチする重要な役割を持つと言える。

▼広島の平和記念式典で広島市の松井一実市長は「無差別に罪もない多くの市民の命を奪い、人々の人生を一変させ、また、終生にわたり心身を苛み続ける原爆は、非人道兵器の極みであり、『絶対悪』です。」と述べた。正にそのような思いが作品には描かれている。

▼生前、作者中沢啓治さんは、出来るだけ多くの子ども達に読んでほしい願い、『はだしのゲン』の著作権の対価を求めることなく翻訳を認めた。その結果、『はだしのゲン』に共感した日本や海外の読者がボランティアで翻訳を行い、今や原爆マンガの古典として様々な言語に翻訳されて広く海外でも読まれるようになった。全編が英訳された最初の日本漫画でもあるという。

今回の松山市教育委員会の措置は、こういう世界の動向にも、国際化を目指す教育にも逆行するものだ
 幸か不幸か、そういう一市教委の要求とは裏腹に、かえってそれが刺激となってか、今までは手にしたことがなかった子ども達まで読み始めている。英訳の10巻本が飛ぶように売れているとか。
 昔の為政者が行ったように(ヒトラーもそうだった)焚書すれば国民の耳目を塞げる時代は終わった。むしろ火に油を注ぐことになろう。それが健全な国民意識の作用というものだろう。その意味では、今回の松山市議の時代錯誤的半教育的な行動は、逆に原爆に対する国民の意識を高める起爆剤になったのではないかと思っている。

※なお『はだしのゲン』の動画は、現在、無料で動画GyaO!で見られるようになっている。夏休みの原爆学習として観てみることをお勧めする。
それこそが現在もなお放射能汚染下で苦しみながら生活を続けている福島の人達と繋がることにもなるだろう。そこで日夜作業している人達もいる。
 ちなみに原爆で苦しんでいるのは今や日本人だけでなく原発の燃料製造や管理に携わっている多くの人達の問題でもある。

******************************************************

「いきいきニコラ」のサイト
http://www.os.rim.or.jp/~nicolas/

「フリースクール・ぱいでぃあ」のサイト
http://freeschool-paidia.com/

「ぱいでぃあ通信」(不登校・フリースクール応援マガジン)(ブログ)
http://paidia.blog106.fc2.com/

******************************************************

↓良ければクリック





 

2013年度《保護者のための不登校セミナー》(官民連携による)のお知らせ

2013年08月07日 | 不登校
【2013年度《保護者のための不登校セミナー》(官民連携による)のお知らせ】

◎昨年に引き続き、今年度も《官民連携による「保護者のための不登校セミナー」》を開催いたします。現在、その作業を進めており、今日(平成25年(2013年)8月7日の午前中にも、そのための打ち合わせがありました。(民間の場合には、この他に民間団体だけの打ち合わせもあります)

▼今回の話し合いで(県教育局、県教育委員会、2つの親の会、3つのフリースクール)ほぼその全容が出来上がりました。私どもは出来るだけ縁の下の力持ちならぬ黒子に徹し、偏りの内容最新の注意を払っています。と同時に、せっかくの《官民連携会議》という場です。それを最大限に活かしたいとも考えております。

▼ただし、生産的かつ建設的なあり方は、徒に対立したりおもねたりすることではなく、不登校に対する県の方針や具体的な対応のあり方を正確に理解すると共に、不登校の子ども達と絶えず接している者の側からも率直な思いを伝えかつ具体的な可能な対応を求めることではないかと思っております。

▼幸い、昨年度の場合、官主催のセミナーを1回、民主催のセミナーを1回、計2回のセミナーの開催で約700名程の参加をいただきました。また、参加者から具体的な要望の読み取れるアンケートも取らせていただきました。その結果、2回のセミナーは概ね好評であったようで私どもの良かったと思った次第です。その中には《教育行政がここまでやってくれるとは思わなかった》と言われた方もおりました。互いの情報を交換することの大切さを再認識しました。

▼ここに完成した配布用のチラシを紹介します。
 なおものとPDFファイル形式のものは、県教育局のホームページ(「保護者のための不登校セミナー」PDFファイル)にありますので、それをご覧ください。お子様のためによき情報が得られることを願っております。

******************************************************
「いきいきニコラ」のサイト
http://www.os.rim.or.jp/~nicolas/

「フリースクール・ぱいでぃあ」のサイト
http://freeschool-paidia.com/

「ぱいでぃあ通信」(不登校・フリースクール応援マガジン)(ブログ)
http://paidia.blog106.fc2.com/
******************************************************
↓良ければクリック

にほんブログ村 教育ブログへ


にほんブログ村