教育落書き帳

教育とは何か…子どもの視点を尊重し、親、伴走者、市民の立場から語ります。子どもを語ることは未来への信頼と希望を語ること。

「コボちゃん」10000回おめでとう! 

2010年06月15日 | 5歳の眼差し

▼コボちゃんに妹が誕生、おめでとう!
コボちゃんに待ちに待ったきょうだいが出来た。女の子の誕生である。6月14日時点でまだ名前は明かされていない。読者から募集した名前になるのだろうか。この赤ちゃんは3歳くらいまで成長するかもしれないと言われている。ということは、コボちゃんも同じく成長するのだろうか。今まではずっと「永遠の5歳」だったがコボちゃんが、8歳か9歳くらいまでは成長する? それもまた興味深い。
▼5歳の眼差しの問題について
「クレヨンしんちゃん」もそうだったが、「コボちゃん」の5歳という設定にも、重要な意味がある、と私は勝手に思っている。そして、勝手に「5歳の眼差しの問題」と名付けている。この辺の事情について、「こぼちゃんん」の作者・植田まさしさん自身が、6月14日の読売新聞で、今まではシニカルな4コマ漫画で人気を得てきたが、これまで「子どもは描いていなかったし、小学生より幼稚園児のほうがとっぴなことをするからと主人公を5歳にしたんです」と述べている。軽く語っているけれども、これはとても意味深い言葉だと私は思う。
▼「しんちゃん」と「コボちゃん」の違いとは?
ただし、同じ「5歳」とは言っても、しんちゃんとコボちゃんでは「5歳の意味」が大きく違っている。いや、「5歳というものに対する意味付け」が違っていると言った方が正確かもしれない。
これは大人の視点からは分かりにくいことかもしれない。しんちゃんとコボちゃんでどこが違うの?と思うかもしれない。が、世のお母さん方は「しんちゃん」を目の敵にすることはあっても、「コボちゃん」に目くじらを立てることはまずないのではないか。何故なのか。
逆を考えてみるといい。幼稚園や小学生の子どもは黙っていても「しんちゃん」を進んで読むかもしれないが、「コボちゃん」の場合にはそうは行かないのではないか。それは何故なのか。
▼ギャグ漫画と社会人としての眼差しと
その一つの答えは、「しんちゃん」は本質的にギャグ漫画であり、子どもの遊びの空間と同じくヴァーチャルな世界で成り立っているということ。登場人物の言動のすべてはそのお遊びを成立させるためにある。
ところが、「コボちゃん」は、新聞に毎日掲載される4コマ漫画であり、必ずコボちゃんが登場するとはいえ、すべてがコボちゃんの目を通して描かれてるわけではない。コボちゃんという5歳の子どもの目線に仮託した社会人としての大人の視線がそこにある。だから、間違っても反(非)社会的なオチで終わることはない。
▼家族構成の違い・成長物語か否か
その他にも、「しんちゃん」は核家族であるが、「コボちゃん」は祖父母やペットの犬猫と同居しており、望ましい伝統的な家族像に近い。それが両者に様々な違いを生んでいる。が、ここでは、あまり触れないでおく。機会を見て、もっと真正面から論じてみたい。
「クレヨンしんちゃん」の作者が不慮の事故でなくなり、連載が不可能になっただけに、同じ5歳の「コボちゃん」にはその分期待するものが大きい。しかし、今までは「永遠の5歳」であったコボちゃんも、妹が生まれたことによって、もしかするとある程度の成長物語になるのかもしれないな。そんな新たな楽しみも生まれてきた。
(続く)
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