教育落書き帳

教育とは何か…子どもの視点を尊重し、親、伴走者、市民の立場から語ります。子どもを語ることは未来への信頼と希望を語ること。

投票所と投票時間の確認を

2007年07月28日 | 「大人のフリースクール」公開講座

BabaPapaです。

 梅雨も過ぎ、ようやく暑くなりましたね。選挙戦もいよいよ最後の熱い戦いが繰り広げられているはずですが…

その影響でしょうか、いろいろなところで時間繰り上げ、投票所変更の措置が。
え、え、ほんと?うそ!…知らなかった人は要注意ですね。

広報やサイトでも変更を知らせていなかったり、隅っこに申し訳程度に載せていたり… 何だかきな臭いにおいがするな…。末期的状況すら想起させますね。

例えば、岡山県なんか。何で?何で?何で?住民の皆さんみな納得しているのだろうか。その理由を。投票という国民の権利の根幹が危険にさらされている感じです。

みなさん、よーく投票時間と投票所を確認しましょう。

いや、余計なことでしたか…。

でもね、日本国憲法を土台に築いてきたものを否定して、戦後レジームからの脱却をはかることがとるべき道だとも思えないのですが…。

お年寄りの中には、この法治国家の中にあっても、水戸黄門的超法規的パターナリズム的判断を信条とする人もおられるようですし、判官贔屓を粋と考える御仁もあるやも知れず…うーん、何とも言えないですねえ。

でも、老いも若きも男も女も、今後の日本を選択するのは、この投票にかかっていることは確か。 選挙方法も公明正大でありたいものです。

※よろしければ、ブログの記事だけでなく、今までのあの記事のバックナンバー等やサイトの記事もご覧になって下さい。

「いきいきニコラ」
http://www.os.rim.or.jp/~nicolas/


サントリー美術館、東京ミッドタウン見学・体験記

2007年07月08日 | 「大人のフリースクール」公開講座
◆サントリー美術館、東京ミッドタウン見学・体験記

[フリースクール・ぱいでぃあ]の毎月恒例の行事に野外見学・体験学習のイベントがある。毎年少しずつ内容は違っているが、基本的なコンセプトは「教科書を捨てて町に出よう、野に出よう、自然の中に分け入ろう」ということ。「学ぶべきことは教科書だけではない。本は至る所に開いている」とも言っている。 基本的にそういう発想・考え方があるので、教室から野外に出て学びの方法や感覚を変えてみると言うことを大いに奨励している。だから、なるべく適切な機会を捉えて教室外に出ることを大事にしている。

たとえば、今年の3月には建設されてまだ間もない新国立美術館や日本人の注目度の高い六本木ヒルズに出かけてみたし、初夏の花の季節には県内一の規模を誇る川口グリーンセンターに菖蒲等の花や植物を愛でに出かけもした。そして、そういう場所では、当の目的の見学だけでなくそれに付随する様々なものも同時に学ぶとことが出来るのである。 教室外の学びに出かけることによって、学校内の教科書を中心とする二次的なまがい物を学習するだけでなく、現実の社会を構成する様々な本物に直に触れ、学ぶことはとても意味のあることだ。

今の子ども達には、将来社会人をやっていく上で最も基本的な感覚や行動様式となるはずのものが身についていないことがとても多い。だから、彼ら一人ひとりに電車に乗ることから始まり、町中で適切に振る舞い、小さな社会人を演じてみることは、社会で必要とされる資質を身に付ける上で意義のあることだと考えている。

今回、見学の中心はサントリー美術館開館記念のテーマ「水と生きる」であり、日本の豊かな自然環境の源である「水」を日本の美術の様々な表現を通して考えるものとなっていた。その他にも「アジアのデザイン」、プロの写真家や有名人の自慢の一枚を観る企画、ミッドタウンの至る所にある彫刻等のアート、広々としたミッドタウン・ガーデンや日本庭園など、観るべきものは実にたくさんあった。

そして、特筆すべきはそれらが一体となった10ヘクタールに及ぶこの街の空間全体が大きな芸術作品そのものとなっていたことである。安藤忠雄など著名な建築家や都市工学の専門家等が感性の粋をかけて作り上げた見事な都市空間がそこにあった。そして、単に建物や施設だけでなく、木立や竹一本一本をはじめ何気ない他の観葉植物に至るまで、完璧にデザインされた空間の芸術がそこにあった。

たとえば、かつてのレンブラントやゴッホなどの時代の絵画や芸術というものは、恭しく額縁に入れられるて法外な値段で飾られている。そして、卑俗な日常の空間からは鋭い一線を引かれてそこにある。それは眺めるものであり、鑑賞するものである。ところが、マチスなどフォービズム以降の近現代の芸術の動向を見たなら明らかにその変化に気付くことだが、やがて絵画・芸術は鑑賞されるための額縁から抜け出し、人間が生きている空間の領域にまで広がって来ているのだ。

もはや芸術は非日常的な空間においてただ眺めて楽しむためのものではなく、建築やインテリア、空間構成、素材の配置など、生きて生活する日常という空間の領域においてこそ豊かな感性の翼を広げることを人々に求めているのだ。日常の空間・環境そのものが芸術なのである。それを見事に演出しているのが、この東京ミッドタウンという空間であった。

だから、フロア、壁、天井、照明、商品の展示、色彩の配置、建材や植物の一本一本の配置に至るまで、何一つ無用で無駄なものがない。そういう空間を作り上げていた。そしてそれは単にそこに配置された物や建築物にとどまらず、そこに集う人々の存在も含めて言えることであった。 眺めること、感じること、想像すること、生きること…、生活することも含めて、全てが環境芸術を成り立たせるために作り上げられた空間となっていた。これは六本木ヒルズにもなかったコンセプトである。ここではこの都市全体が芸術作品なのである。確かにこれは今までの日本にはどこにも見られなかった新しい空間である。

サントリー美術館では、日本人と水の関わりを東海道五十三次や在原業平を主人公とした伊勢物語絵巻などの国宝の日本画などをふんだんに使い展示していた。おそらく欧米人にとっては単なる「水」でしかないかも知れないが、渡し船や太鼓橋の風物や、形なき水を様々な「流れ」「形」として捉えたり、藍や青などいくつもの染色を使い分けるた織物を織るなど、美術、工芸、生活、風俗習慣に至るまでいかに日本人の感性や生活が深く水をと結びついていたかを改めて考えさせてくれる美術展であった。そして

この六本木周辺は今やアート・トライアングルと言われ、黒川紀章氏の手がけた新国立美術館・森美術館・そしてこのサントリー美術館という3つの美術館が建ち並ぶ。しかし、かつての自然が消えたわけではなく、幾つかの公園に姿を変えて生き続けている。自然と伝統と現代が融合調和して、どうより豊かな感性を発信していくか…そういう場かも知れない。

それで、最後に、その伝統が残る場所として、「乃木坂駅」の由来でもある乃木希典大将の邸宅を訪れた。地下鉄千代田線のすぐ近く、通りに面した深い木立に囲まれた一角がその場所であった。乃木大将については深くは知らない。日露戦争で多大な犠牲者を出し、国民の間でも英雄と見るか無能と見るか意見の分かれるところであろう。彼が可愛がっていたという馬の小屋がそのまま残っているのが印象的であった。この邸宅で1912年9月13日、明治天皇の大葬の夕に、妻とともに自刃で殉死した。

「犬も歩けば棒に当たる」というが、旧乃木邸から乃木坂駅に行く途中で純白の長いドレスの花嫁衣装に身を包んだモデルが写真撮影をしている現場に出くわした。かと思うと、通りすがりの店の中では黒柳徹子さんが誰かと談笑している姿があった。自然と伝統と近代と融合している場とはいえ、やはりここは東京のミッドタウン、赤坂・六本木なのである。

いじめ自殺、学校外での場合にも適用

2007年07月07日 | 「大人のフリースクール」公開講座

児童・生徒が学校での災害や事故などで志望した場合、「災害共済給付制度」の死亡見舞金が支払われる。しかし、学校管理下でのいじめが原因で自殺したと認定された場合でも、これまでは学校外で自殺したケースは対象から外されていた。従来は、自殺の理由と場所が「学校管理下」であることを支給要件に定めていたからである。昨年10月にいじめを苦に自宅倉庫で自殺した福岡県筑前町の中学生森啓祐君の遺族などが強く見直しを求めていた。

文部科学省は5日、所管する独立行政法人・日本スポーツ振興センター(東京)の災害共済給付制度を見直し、過去2年間の事例にさかのぼって適用される。見舞金は最高で2800万円支払われる。障害などの後遺症がある場合は上限3770万円支給される。 ただし、塾やスポーツクラブなど学校外の活動に起因するいじめ自殺については、従来通り支給対象とはならない。

教育改革の歩みはのろい。当たり前と言えば余りにも当たり前のことが、ようやく一つ改正される