教育落書き帳

教育とは何か…子どもの視点を尊重し、親、伴走者、市民の立場から語ります。子どもを語ることは未来への信頼と希望を語ること。

フリースクールの学び②…勉強を重視するフリースクール

2009年02月28日 | スクール活動

フリースクールの学び②…勉強を重視するフリースクール

▼初期に誕生したフリースクールを第一世代のフリースクールと呼び、その後に誕生した“ぱいでぃあ”のようなフリースクールを第二世代のフリースクールと、勝手に命名させてもらっている。しかし、そこにはかなり大きな違いがある。それは第二世代のフリースクールは第一世代のフリースクールの活動を見て、その問題点の考察と反省の上から出発しているからである。では、どこがどう違うというのか。 

▼これもまたフリースクールごとに違いがあるので一概に「こうだ」とは言えないが、第一世代のフリースクール活動が「反学校」「反文部省的教育」の色彩が強く、フリースクールやそれを支える親の団体が一種ギルド的な団結力で「子どもを守る」(その子どもたちの中には知的・身体的障害者が多かった)という意思で外部の圧力に抗していたり、独特の教条的論理が支配的であったりする(シュタイナー流とか宮沢賢治流とか)のに対して、第二世代のフリースクールの場合には、似たような教育理念はあるものの、その理念にしろ活動の実態にしろ、もっと自由でのびやかな視点に立っているように思う。  

第一世代のフリースクール活動が日本の教育に新たな道を切り開いた功績は大きいが、どこか頑なでイデオロギー的な色彩が強かった。確かに学校に様々な問題があり、子どもがその犠牲者であることも珍しくなかった。ところが、フリースクールが誕生した頃の不登校となった子どもの扱いは、“集団不適応”“問題児”“怠学”など「その子自身の問題」として処理されることが多く、親からの抗議もまともに受け入れられることは少なかったのである。 だから、そういう評価を下される子ども達を守る手段としてフリースクールが誕生したことは事の必然でもあったと言える。 

▼しかしまた、それが単に学校や教員の資質に起因する問題だけではなく、学校教育を超えた日本の教育制度の問題(帰国子女がしばしば遭遇する)であったり、その子自身の育ちやしつけなど家庭に起因するものであったり、精神的身体的な障害、親御さんや保護者の学校への対応の仕方に起因するものであったり…子どもが不登校となり、学校へ行けなくなる要因は実に様々である。そういう問題を第一世代のフリースクールがカバーし切れていたとは言い難かった。逆に、そのフリースクールやそれを支援する親御さんの論理に縛られて、そこに関わる子どもや親が自由に発言したり行動したりできなくなっている場合さえないわけではなかった。。(こういう問題はある小集団が外部に敵対的になったり独善的になったりする場合にはよく起きることで、自省的な視点も欠かせない。)  

▼そのような様々な不登校生に関する問題の中で、とりわけ問題であったのは学業の問題である。周知のように、日本の学校教育システムでは、学校教育法第1条にあるように、“勉強”の資格を認可するところは一条校をおいて他にないのである。学校とは“勉強するところ”であり“社会性を身につけるところ”というのがその建前である。だから、そこが「相談室」や「適応指導教室」であるならば、原則として“勉強を教えてはいけない”し“勉強を教えない”ところなのである。では、フリースクールではどうなのか。  

第一世代のフリースクールは、“子どもの居場所”“子どもの避難場所”としての機能を最優先させており、勉強とりわけ教科学習の指導については二の次というのがほとんどであった。むしろ、「学びからの逃走」と言われるなど、学校で行っているような教科学習は逆に子ども達に差別感覚を持ち込むものとして導入することに消極的でもあった。だから、第一世代のフリースクールはフリースクールと謳ってはいても、その内実はむしろ「フリースペース」に近いもので、その境界はかなりあいまいなものであったが、それでよしともされていた。それが“登校拒否”(“意識的に学校に行かない”という意味で、第一世代のフリースクールの担い手の人たちはこの呼称を好むことが多い)と呼ばれようと“不登校”(“学校に行きたくてもいけない”という意味のニュアンスがあるが、文部科学省をはじめ広く使われている)と呼ばれようと、学校を離れたそういう子ども達にまず必要とされたのは“居場所”であり“活動の場所”であった。  

▼しかし、フリースクールに対して“学校を離れた子ども達は学業をしなくてもいいのか”という問いかけはずっとあった。たとえそのフリースクールが“「学びの学園」というような呼び名で学校教育にとらわれない学びをしている”ということを強調していても、“実質は子どもの気まぐれにおもねているだけではないのか”という批判に耐えられないものが多かった。“子どもの自由意志を尊重する”とは言っても、子ども達は今まで生きてきた狭い経験の世界を通して考えているだけのことが多い。だから、ゲームが興味の大半を占める子は46時中ゲームばかりに没頭するし、自由気ままな雰囲気の中で成長期を何となく無為に過ごしてしまうということもないわけではない。  

月刊教育雑誌『ニコラ』(1995年7月号創刊)の編集をしていた頃から、当時あるフリースクールに通っていた女の子が、“自分はもうすぐ20歳になる。お陰で体はとても元気になったが、困ったことがある。自分は将来保母さんになりたいと思うのだけれど、今まで全く勉強をしてこなかった。だから、どうしたらいいか悩んでいる”というような相談が幾つも舞い込んいた。だから、自分が(第二世代の)フリースクールを始めてから、ここでは教科指導もしっかりやってくれるということを知って、他のフリースクールから転校してくる子ども達が何名もあった。また、私どもで定期的に「青少年の引きこもり広場(ぱいでぃあ広場)」を開いていたこともあって、中には、県内のトップクラスの進学校に進学しながら、精神的な悩み等で通学できなくなり、傷ついた心の翼を癒しにやってきた生徒達もいた。ところが、こういう関わりは第一世代のフリースクールでは想定されていない事柄であった。ここに第二世代のフリースクールの登場の必然性があったのである。 

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フリースクールでの学び① …日本の民間教育の歴史

2009年02月27日 | スクール活動

フリースクールでの学び① …日本の民間教育の歴史

▼読者の方は、フリースクールという学び場をどのようなものとイメージしているだろうか。また、そこでの“学び”というものをどのようなものとイメージしているだろうか。大部分の人は多分、かなりステレオタイプ化されたイメージを持っているのではないかと睨んでいる。どうせ学校教育から落ちこぼれた子どもたちなのだから…と。

▼大まかに言えば、その捉え方は半分合っているとも言えるし、半分は外れているとも言える。なぜなら、たとえば識者が“フリースクール”という言葉で一括りにしようと、フリースクールという教育施設はその数だけの設立の理念があり、どれ一つとしてまず同じものはないからである。それに、フリースクールの中にも歴史性というものがあり、第一世代のフリースクール、第二世代のフリースクールなど、そもそも設立の趣旨が違うことも多いからである。

第一世代のフリースクール、すなわち初期の登場したフリースクールは、“学校教育から子ども達を守る”“子ども達の側に立つ”というような理念で共通性があった。だから、初期の進学塾や学習塾がそうであったように、第一世代のフリースクールもまた学校と鋭い対立関係を持つ場合が多かった。事実、フリースクールの設立に参画した親達は学校側に対してそのような攻撃的な姿勢をとることが多かった。だから必然、学校の教員やPTAなど学校側の論理に則って行動する傾向の強かった親達には、フリースクールという存在自体が“反学校”的な施設と写っていたようである。

▼フリースクールという存在の登場(詳しく見れば明らかになるが、フリースクールは地域の学習塾の活動の中から生まれている)は、その初期から不幸な対立構図を持ち込んだとはいえ、日本の学校教育の中にエポックメイキング的な意義をもたらしたことは明らかである。

▼日本の教育の歴史を紐解くまでもなく、日本の社会には子ども達の教育に国家が乗り出してくる前に、奈良平安時代の昔から連綿と続く民間教育の歴史があった。英国等の貴族の子弟に対する教育はよく引き合いに出されるが、日本の場合にも──誰か系統的に系統的に研究した人はいないのだろうか──僧侶や貴族や豪族達の間では熱心な教育が行われていたということは、当時の資料からも明らかに読み取れる。たとえば、太安万侶にせよ清少納言や紫式部にせよそういう中から輩出した人達であったろう。フリースクールも民間の教育運動の一形態と考えれば、そのような民間独自の教育活動に行き着く。

▼ところが、明治の新政府が誕生し、欧米の列強に対抗すべく、明治5年8月の学制発布により徐々に教育の国家支配が浸透している中で、民間主導の寺子屋での個別教育に代わり、教育は国家が取り仕切るものという意識が一般的となり、今日では当たり前の授業風景となっている国家主導の学年別の一斉教育が行われるようになっていった。だから、産業の振興と共に教育内容も徐々に高度化し、巷間の教育熱が高まるのに比例して、学校教育から脱落する子ども達や“登校拒否”の子ども達が多数生まれるようになり、そこから子ども達を救済する教育機関としてフリースクールが誕生するに至るのは事の成り行きとして必然的な流れでもあった。そして、そのフリースクールが“学校教育から子ども達を守る”“子ども達の側に立つ”ということをその目標に掲げたのもある意味当然のことであった。その一方で、日本のフリースクール運動が不登校生のための受け入れ機関に特化されてしまい、本来のフリースクール運動が変質してしまったこともまた厳正な事実として受け止めなければならない。

▼そこで、日本のフリースクールの活動を考えるときには、本来のフリースクール運動とはどういうものなのか、国家主導の日本の近代教育が確立する前にあったという民間の教育活動とはどのようなものであったか、本来教育というのは何を目標としているのか…ということを再度確認しておきたいと思う。

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羅針盤もなく酩酊しラリっている政治指導者たち…中川氏辞任について

2009年02月19日 | 「大人のフリースクール」公開講座
とうとう中川昭一財務・金融相が辞任した。G7後の記者会見での様子はまさに醜態そのものだった。これが戦後1、2の経済危機に陥っている国の財務・金融大臣のとる態度か。弁解の余地はない。

が、麻生氏も危機感を実感していないのか、一旦は彼の続投を決めた。それが追い込まれ追い込まれて、もうどうしようもなくなって辞任した。そこで、与謝野馨経済財政相が財務・金融相を兼務するという。門外漢で詳しくは分からぬが、この危機的状況にあって兼務が可能なのであろうか。可能だとするなら、今まで何のために分けていたのか。それとも初めから要らぬ大臣・省庁であったのか。これで収めようとするその感覚が分からない。それほど自民党は人材が枯渇しているということか。

ちょうどこの時期に、クリントン米国務長官が来日した。日本を初外遊先に選んでのことである。それほどオバマ政権においても日米関係を重視しているということだろう。が、勘ぐって考えれば、クリントン氏は建前としては麻生政権と会いながら、本音では小沢民主党と繋がりをつけておきたかったのではないか。つまり、オバマ政権は自民党を見限り民主党と組もうとしているのではないか。そのことを読めなかったのか、小沢氏の態度が解せなかった。もし民主党がアメリカと対等のパートナーシップを結びたいのなら(小沢氏はそのようなことをクリントン氏に言っている)むしろ積極的に会っておく方が得策ではなかったのか。

郵政民営化に対する麻生氏の対応から、小泉氏も麻生氏に協力しない態度を見せ始めた。そんな中、次期首相候補に石破氏や野田氏の名前が取り沙汰されているが、果たしてそれで自民党は立て直せるのか。事は首相だけの問題ではない。首相を取り巻き支えるスタッフはどうなのか、ということだ。そういうことから考えれば、今の自民党は誰がなっても同じような問題が次から次へと起こってくるのではないかということである。つまり、自民党という党自体がもはや時代に応えられなくなってきたということである。

だが、これは自民党だけに限らないようだ。旧来の政党はどこも同じような問題を抱えているのではないか。たとえば、庶民の味方、弱い者の代表というような党にしても、党の指導者達は本当に庶民の生活を知っているのだろうか、もしかしたらそれは建前だけであって実態は半ば彼らの生活の代弁者ということを任ずることで、本当は彼らを生活の糧にしているだけではないか、もっと言えば弱者や貧者はただ彼らの活動のダシに使われているだけではないかと疑問に思うことがしばしば散見されるのである。それならばむしろ、我が党は富者や権力者の代弁者であると言っている方がよほど正直というものであろう。

そんなに大きなことだというなら、なぜみんな気づかなかったのですか」とは、リーマン・ブラザーズの破綻をきっかけに始まった金融危機について、かのエリザベス女王陛下が発した言葉だそうだが、「大量破壊兵器」にも例えられる今回の未曾有の金融危機について、「何かがおかしい」とうすうす気付きながら、「誰かが何とかしてくれるだろう」とやってきたことの結果であるともいう。この危機の到来に気付いている人は一部にはいたらしい。でも、誰がその警告に耳を貸しだろうか、とも言われる。そういう意味では、金融商品が人の手を離れて一人歩きしてしまっているのに、誰もとめることはできなかったということのようだ。 どこかのSF小説に出てきそうな話である。

そんな危機の中で、一国の代表や責任者が、羅針盤も持たずに酩酊しラリっている。向かい風や横殴りの風が容赦なく貿易依存国日本丸の船体に叩きつけている。船はよじれ断末魔の悲鳴をあげている。この船はついに沈没するのか転覆するのか、もはや船頭の姿も見えない

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今、大阪府の橋下知事が面白い!

2009年02月15日 | 教育全般

今、大阪府の橋下知事が面白い!

大阪府は2009年2月12日、YouTubeを利用して府政情報の動画ニュース「大阪府ムービーニュース」の配信を開始した。さらに「Yahoo! JAPAN」には公式チャンネルを開設予定だという。全ては大阪府の橋下知事の発案らしい。すでに文部科学省、農林水産省などではこのような利用を始めているが、都道府県レベルでは初めての試みのようだ。

大阪府は11年度以降、一般会計当初予算案で、10年連続の赤字を計上していた。それが新年度予算で11年ぶりに黒字予算に転じる見通しが立ったという。この間、職員給与を一般職で最大11・5%カットしたり、全国初の退職金の一部カットにも踏み切り、私学助成などの府民サービスも削減し、一部からは猛烈な反対もあったようだ。

橋下知事はこの他にも、様々な分野で物議を醸している。

たとえば、私立学校に対抗して、公立学校のエリート進学校づくりに力点を置こうとする施策に校長の7割が反対したことに対して、「頭にきた。僕はできないが、どうやって首を飛ばすか」と吼えている。公立高と私立高との競争の土台を整え、授業料の格差を減らすため、「教育バウチャー制度」の導入にも言及している。

それより前、今年5月の中間報告で政府の教育再生懇談会が「必要のない限り持たないよう保護者や学校が協力する」と提言したことを受けて、公立小中学校の携帯電話持ち込みを原則禁止とする方針をいち早く打ち出したのも橋下知事であった。

さらにそれより前、全国学力テストの結果公表を巡り、文部科学省が都道府県教委からの要請があれば、データ提供をしないとの方針を決めたことについて、「大阪は過度な競争とか序列化とかなっていない」として、「感心しますよ、このバカさ加減には。不思議な世界ですね、霞が関は」などと批判し、成績公表の必要性やその意義を強調していた。

橋下氏が若手弁護士としてテレビへの露出で知名度を上げ、その余勢で大阪知事選に討って出たとき、知力は優れているようではあったが、かつてはいじめられっ子であったというひ弱さを見せる場面もあり、興味とは別に「大丈夫かいな」という一抹の不安もなかったわけではない。今、日本の政治家にも叩き上げの若さが求められているのは確かだが、彼が政治家になるためにはちょっとエキセントリック過ぎる部分があるようにも思えたのだ

案の定、彼が知事になってから様々な物議や騒動が持ち上がった。

確かにその中には、彼が激情を抑えられなくて泣きながら訴えるような場面もあり、物の見方のバランスをかなり欠いているように見える部分もないわけではなかったが、この社会の滓(おり)や苔(こけ)のように淀んでいる悪弊を改革するためには、このような荒療治も必要なのかなという気がしないでもなかった。確かに、多少の紆余曲折は避けられないだろうが、その真摯な姿勢を見れば、まずは彼の思うように存分にやらせてみようではないかという気にもなった。

これは2世3世の政治家のオンパレードで、世界の孤児になりつつある日本の国政とは対極をなすものかもしれない。そしてこれは、「変革」「統合」「希望」という理想を掲げる一方で、果敢にアメリカの現実に向き合おうとしているバラク・オバマ米大統領とあい通じるものがあるようにも思える。インターネットの重視。タブーへの挑戦。そして、若さに裏打ちされた行動力…。

私は大阪人ではないが、「今、大阪が面白い!」率直にそう思う。だから、こういうような変革が日本の各地で烽火(のろし)のように沸き起こることを期待しないわけにはいかない。国家主義でもなく、市場原理主義でもなく、そして、既成の政党にも縛られない、草の根民主主義に基づいた烽火の炎が上がることを

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与えられたように子どもは育つ

2009年02月14日 | 教育全般

子どもは大人の思っているようには育たないものですね。

たとえば、辛い境遇の中で苦労して育った子どもを見れば、大人はこの子はこんな辛い体験をしたのだから、きっと立派な人間に育つのではないかと期待します。しかし、実際にはその子どもはそういう大人の期待通りにはなかなか育たないものです。逆にその子どもは育ちの過程で必要であった大事な要素を欠落したまま成長することにさえなります。そうすると、その子どもはむしろ欠陥の多い人間として大人になることになってしまいます。

また、その子の兄弟等に障害のある子がいるような場合には、親は障害のある子に眼を向けがちであり、健常な兄弟にも障害のある子を労わるように接することを当たり前のように期待することになります。そして、親はその健常な子が日々障害のある子に甲斐甲斐しく接している姿を見て、その子はさぞ心根の優しい子なのだろうと思いがちです。しかし、成長期の子どもはまだ大人のようにバランスの取れた思考(これも理想論ですが)ができません。それよりも、時には大好きな親を独り占めしている憎い兄弟と思ったり、いつもいい子を演じさせられてきたことの不満で気持ちがパンパンに膨らんでいるということも大いにあり得ることなのです。

このように、子どもは望まれたように育つのではなく、与えられたように育つものです。ですから、それが与えられなければ、それが欠落したまま育つことにもなりかねません。

別の例を挙げれば、両親の仲が円満ではなく、冷たい空気が家庭を支配していたり、子どもが母親のネグレクトに遭い、十分な母親の愛がないまま成長したとします。すると、可哀想なことにその子は十分に母親の愛情を知らぬまま成長することになり、それが当たり前の感覚として成長することにもなります。

これは決してその子の責任ではないでしょう。その子の責任ではないけれど、そういう境遇がその子の人間性を大きく規定してしまうことになってしまいます。そして、「自分がそういう人間に育ってしまった」と自身で気付いたときには、もはや自分ではもはやどうしようもないくらい大きく規定され形作られてしまっている自分を発見することになるわけです。つまり、子どもが親の庇護を脱し、自分で責任を持って行動できる年齢になったとき、彼は自分が自分の力ではどうにもならない仕方で規定されてしまっているのを発見することになるわけです。そして、そのように作られてしまった自分をもう元に戻すわけにはいかないのです。過ぎた時間は巻き戻せないのです。考えてみれば、これはとても恐ろしいことです。

ですから、親としてはその子の育ちの過程に欠けたものがないよう、細心の注意を払った子育てが必要になります。大人の庇護下にいる子どもはまだ視野は限られていますし、基本的に与えられたもの以外選択のしようがありません。選択するのはその子どもだとしても、選択する材料を彼の前に提示し、どう考えどう選択するのが賢明な方法であるかを例示するのは、他ならぬ親であり大人であるわけです。

新聞やテレビで、もはや取り返しのつかない事件を起こしてしまった若者の行状を見るとき、彼らの自己責任などという軽々しい言葉では形容できない、時に…自分でもどうにも自分を律することのできなかったという…彼らの深い呻きのような声を聞くような気持ちになることがあります。確かにとんでもない犯罪を犯したのは彼らです。しかし、なぜ彼らはそういう行動に至ってしまったのか。…そこにこの社会を構成している者の一人として、忸怩たる思いになることがあります。



子どもの心が読めない教師達

2009年02月08日 | 教育全般
教師が母子家庭児童に暴言
「家で朝ご飯を食べられないから、おかわりするのか」

昨日(2009年02月07日)の新聞等の報道でこういう記事が流れた。茨城県水戸市内の小学校の男性教諭(55)の仕業らしい。

小学校の教員として有り得ない言動である。酷い言い草だ。教師としての資格・資質に全く欠けている。この教委を庇う教委の言葉も見られるが、仲間内で庇い合うのはやめた方がいい。どこを向いて物を言っているのか。即刻退職にすべきである。弁解の余地はない。しかも、こういう言動は今回がはじめてのことではないらしい。この人にはもっと自分に相応しい場で働いてもらった方がいい。これ以上教職に留まることは、彼にとっても子ども達にとっても益はない。禍根を残すだけである。

何で教師の世界にはこういう人間が多いのか。新聞やテレビで、教師の不祥事が報道されない日はないくらいだ。人間の問題なのか、システムの問題なのか。

私の携わるフリースクール(ぱいでぃあ)にも、毎年母子家庭や父子家庭、離婚家庭などの子が来る。だから、そんなことを知らずにある子が何気なく両親や家庭のことを話していたら、相手から「家には父親は死んでしまっていないんだ」と打ち明けられて絶句するなどということもないわけではない。でも、不登校の子どもでもそういう子どもに対する配慮がある。いや、家庭生活や学校生活での辛酸をなめてきた子が多い分だけ、他人への配慮があるとも言える。それに比して、何だこの教師の態度は!それに何で教育委員会の連中までそんな教師を庇う姿勢を見せるのか

子どもはこの教師の言葉を否定している。なのにこの教師は勝手に決めつけ、この子を笑い者にしている。それに、もし朝飯を抜きで来ていることが分かったとしても、この言い草はない。逆に、「お前は育ち盛りなんだから、いっぱい食えよ。元気なのが一番の親孝行だぞ」くらいのことがなぜ言えないのかな。

これはある国立大学の教員養成学科(教職課程)の教授の講演会で聞いた話だけれど、経済格差が進行し、至る所で社会の破綻が起きている中で、教職志望の学生達は今の子どもたちの(特に問題児と言われる子どもたちの)生活の現場がどんなにすさんでいる実態があるかまるで知らないし、教職志望の学生達が育ってきた生活空間もそれとは無縁の領域の場合が多いとの指摘もあった。だから、それを理解する感覚が身についていないのだと。

公立学校で働く教員の子供たちは、父や母の勤める公立学校にはまず行かない。ほとんどが私立学校志向である。その中で公立学校に行っている子どもは、塾に行って一生懸命勉強したけれども残念ながら合格しなかった子どもたちである。おかしな話である。教員の親ははそこで食い扶持を稼ぎながら、「パパが働いているような学校には来るな!」と言っているのである。だから、そのことを口に出すか出さないかは別として、自分の勤務する学校は我が子を通わせるに値する学校とは考えていないのである。

だから、学校の教員による学校改革に関する言動もどこか空々しく、行動にも熱意が乏しい。これはそれを指導し支える教育委員会も同じか。教育関係者が言っていることは果たしてどこまでが本音なのか。

たとえば、不登校でスクール(ぱいでぃあ)に通うことになった学校の担任から電話がかかることがある。(生徒が不登校になると校長や担任が挨拶にやって来るところもあるし、全く無関心を装うところもある)。が、なかなかやって来ない。しばらく経ってからこんな電話が入る。「すみません。有給が取れなくて…。行けなくなりました」これ、どういうこと! 教員の世界は完全におかしい! 学校は教師のためにあるらしい!子どものためではないようだ。

昨年、県教委に話に行った。そこで話したことの一つは、「学校を離れた子どもにも義務教育費を有効に活用してほしい」そのために「教育バウチャー」を発行する方向で考えられないか?これは教育棄民の状態にある不登校の子供たちに学習権・教育権を保証する当然の措置ではないか。ということを言って来た。数名の保護者を伴って。

で、そこで返ってきた回答はというと…、実にお見事!と感心するものだった。「趣旨は分かるけれども、学校に廻る教育費の7割は教員の人件費なんですよね」と。つまり、「だから、クラスの生徒が不登校になったからと言って、人件費を減らすわけにはいかない。つまりその教育費をその子やその子の家庭に回すわけにはいかない」ということだった。一見、筋の通った話のように聞こえるけれども、これはずいぶんおかしい!教育公務員の奇妙なすり替えの論理がここにある。

たとえば、私立学校や塾を考えてみればいい。生徒の求めるものとまったくずれている授業をする教師や不登校生や中退者をどんどん出すような教師は、どうみたって勤務評定は下がり、時には首にもなるだろう。教師の授業のあり方、生徒指導のあり方が学校経営に直結し、彼らの給与にも鋭く反映するはずだ。だが、教育公務員には、そういう経営感覚はまるでない。給与は働きの優劣に関係なく当然の権利として支給されるものであるらしい。学校に通えなくなるような生徒をどれだけ出そうと、逆にどれだけ熱心に教育に誠心誠意を傾けようと査定に差がなく、給与にも差がない、ということなのか。それとも、差をつけてはならないということなのか。 

昨日、1週間ほど前に教育相談に来られたあるご家庭に電話を入れた。そこは母子家庭で、お母さんはリストラにあって失業し、お婆ちゃんの年金で何とかしのいでいるという。子どもはもう何年も学級に出られないでいる。週に1度程度、保健室か校長室に行っているだけだという。学校に行くということはこの子にとって駄目な自分を晒しに行くようなものだ。だから余計に人を怖がり、引きこもっている。もちろん、それを乗り越えるようなスキルもない。

 子どもは家庭の状況を考えて不登校になるわけではない。だから、困難な家庭の子も、生活保護の家庭の子も相談に来る。でも、自力でフリースクールに通わせるゆとりはない。このままでは、本人の人生も花開かず、国家でもって一生自立できない国民として保護しなければならなくなるかもしれない。

学校の教員は、子ども達のそういう現実を良く知って関わるべきであろう。それが不可能なら、そういう教員は学校現場には要らない。もっとましな代えはいくらでもいるだろうから。


伝統行事の節分・豆まきを楽しむ

2009年02月04日 | スクール活動

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「知ることは共に生まれること」(ポール・クローデル)
 connaitre = con + naitre

 伝統行事の節分・豆まきを楽しむ

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2月3日の昨日、ぱいでぃあ(フリースクール)で節分の豆まきを行った。

以前は毎年恒例の行事として行っていたが、ここ数年は行っていなかった。しかし、今年は遣り残しのビンゴゲームもあり、併せて楽しむこととした。

その前に、今の子ども達にもこの行事の意味が分かるように、「節分とは何か」「鬼とは何か」を説明し、同時に、古来この行事に日本人がどんな思いを込めてきたかも話して聞かせた。そしてまた、地方によっては「福は内、鬼は外」だけでなく、「福は内、福は内」とだけ言うところとか、「福は内、鬼も内」と言うところもあるなどとも話した。その後、全員鬼になってもらう子ども達に、豆まきでの振舞い方も説明し、いよいよ本番である。

古い年に別れを告げ、新しい年を迎えるにあたっての祈願を込めた行事でもあるこの春の節分は、まず子ども達が「鬼」となって豆をぶつけられて散り散りに退散し、今度は「福の神さまでーす」と言って堂々と入って来る。これで福に満ちた新年が始まるというわけである。いつもなら各自お面を作って(鬼の面だけでなく、お多福の面も作って)騒ぎに興じるのだが、今回はお面の用意はなく、出来合いの鬼の面が一個だけあった。

たったこれだけの、他愛のないといえば他愛のない行事だが、こういう行事でもそういうことさえ知らない、のっぺらぼうな空間に生きがちな今の子ども達にはそれなりに新鮮であったようだ。春夏秋冬、四季折々の様相がはっきりしている日本では、自然の運行を再確認する意味でも、たとえそれが取るに足らない些細な行事ではあっても、それなりにやることの意味はあると言えそうである。

ちなみに、使った「豆」は落花生、それと包まれたチョコ。各自が拾って食するためである。自分の年の数だけ食べる…ということもこういう場で伝えていく。

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NPO法人教育ネットワーク・ニコラ
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マスコミの「横綱の品格報道」もいい加減にしないかな!

2009年02月02日 | 「大人のフリースクール」公開講座

朝青ガッツポーズ問題に「何でや」逆質問(日刊スポーツ) - goo ニュース

マスコミの「横綱の品格報道」もいい加減にしないかな!

力士のリンチ殺人事件、ロシア人力士の大麻事件と続き、理事長も北の湖から武蔵川へと代わった新体制となり、相撲協会としては一丸となって不祥事の再発防止に取り組んできたはずだった。今回の若麒麟の大麻事件の発覚は、あらためて日本相撲協会の駄目さ加減を浮き彫りにした事件となった。これからすると「日本人力士が逮捕されたのは初めて」なんていう報道は、本来はどうでもいいことだ。

すっかりその陰に隠れてしまったが、その前に、「朝青龍のガッツポーズ」の問題が話題になっていた。それまでは新理事長を含め、人気が下落傾向にある相撲が、朝青龍の復帰によって国技館が連日の満員御礼になっているのを見て、相撲界における朝青龍の存在の大きさを再認識した発言をしていた。ところが、朝青龍が感極まって思わずガッツポーズをしたことをことさらに取り上げて、舅や小姑のようにいじいじと難癖をつけ、問題視する発言が飛び交いだした。「横綱としての品格がない!」のだとか!?

次から次と不祥事を引き起こす相撲協会の理事達に、あるいは内館牧子氏ややくみつる氏をはじめとする横綱審議会委員の人に尋ねたい。

「横綱の品格って何ですか?こうだという決まりがあるんですか?」「そういう考え(精神?)は外国人としての感性を培った人でも体得できるものですか?」「それとも、そういう難しいことはいいから、とにかくそういうポーズをとってくれればそれでいいということですか?」と。

正直言って、100%純粋種の日本人であるはずのこの私(でも日本人って、ほとんど混血ではなかったっけ?)にも良く分からない。彼らが朝青龍に無理難題として押し付けていることは、どうも時代遅れ、時代錯誤なのではないかなあ、とも思う。それよりも、様々な非難にもめげず勝利の栄冠を勝ち得て、感激のあまりガッツポーズをしたあの朝青龍の純真さ、無邪気さ、素直さに、惜しみない拍手を送りたい。「朝青龍、帰ってまいりました!」何て明快な喜びの表現だろう! この真正さの前では、伝統だの、神事だの、品格だの、相手への思いやりだの、みんな嘘っぽい。八百長っぽい!  だいたい横綱審議会委員の牧子さんやみつるくんの言うことの方が嘘っぽく品がなく見えて仕方がないんだけど、どうだろう?

話は少し変わるが、国技館前に朝青龍念願の「ワールドちゃんこ朝青龍」が開店したそうな。もちろんソロバンを弾いてのことだろうが、どこかのお兄ちゃんが出したちゃんこ屋は商売優先のように見えたが、この店は相撲を愛すればこそのように私には見える。この男は根っから「相撲という格闘技」が好きなのだ。ちなみに、ちゃんこだけでなく、寿司などの和食、モンゴル料理もあるとか。「ワールド」らしく外国人の客が多いのも特徴らしい。「相撲」にはあまり興味がないけれど(小さい頃に見たきり)、こんなちゃんこ料理屋なら行ってみたい気がする。