『高校中退』について:不登校・中退からのやり直しの案内書---ヤブ睨みの読書感想
※再登録の拙文に加筆訂正しました。
▼昨年の暮れに、こんなタイトルの本が出た。
『高校中退』---不登校でも引きこもりでもやり直せる!---
NPO「高卒支援会」主宰:杉浦孝宣著(宝島新書)
本書の腰帯には、
-----------------------
「高校中退者 年間5万人 その多くがニート・引きこもりに……
29年年間支援を続ける塾講師が説く「再生」への道
---------------------
とある
▼本書は、「不登校・引きこもり研究」と称して、それを專門に研究してきた著者が、まだ年端もいかない大学生や、その道の知識や経験に乏しい門外漢の一般読者を相手に、したり顔(どや顔?)で説くという書物の類ではない。不登校体験を持つという著者自身が、この29年間、現場で見聞したり実践したりしてきたこと、現にいま不登校や引きこもりの状態で苦しみながら必死に出口を探している本人や保護者、教育関係者等に向けて発した問い掛けと道案内の書と言ってもいい。外見も新書版の体裁であり、警世の大文字を説くような内容の本でもない。しかし、その訴えるものは深く現場の問題に根ざしている。真剣に子どもの教育を考える者にとっては決して避けては通れない一冊である。
▼小学3年生の時に保健室登校をし、その後、養護学園に半年間ほど通ったことがあるという著者の不登校体験は、おそらく本書が生み出した一つの動機にはなっていよう。しかし、氏の場合、むしろそれを肥やしやバネにして、ものの見事に脱・不登校を成し遂げている。氏はその後、大学時代ををアメリカで過ごし、カリフォルニア州立大学で会計学を学んでいる。不登校からの立ち直りの見事な典型がここにある。その後日本に戻ってからは語学を活かし家庭教師のような仕事をしたようだが、やがて不登校・引きこもりの支援活動に専心し、現在に至る。
▼個人的な体験として過去に不登校の体験を持つ場合、それが貴重な体験として評価されることは日本の社会ではまだほとんどないが、不登校支援の仕事で活かされることがしばしばある。が、本人が完全に自己の不登校問題を克服し切っていない時、周囲に様々な波紋をもたらすことになる。「やっぱり不登校だから、こういう仕事をするんだ」というような見方が心ない偏見や誤解によってなされることもあるし、当たらずとも遠からずということもなきにしもあらずである。
しかし、それ以上の問題を孕むこともある。そういう経験を活かしてカウンセラーや学校の教員等になった場合、一見それが完全に克服されているかのように見えて、不登校や引きこもりの当事者を前にした時に、バランスを欠いてしまうことがしばしばある。フラッシュバックに襲われるとでもいうのか、PTSDを引きずっているとでもいうのか、個々のケースによって随分違い一概に決め付けることがあってはならないが、心すべきことで、無視はできない。不登校や引きこもりの当事者が二重の深みにはまることになりかねないからである。
▼しかし、氏の場合には、そのような個人的体験が見事に乗り越えられているばかりではなく、そういう体験があったればこそ、一般の人々には興味はありながらなかなか分かりにくい領域の不登校・引きこもり・ニート等の問題が、このように内側から鋭く照射される形で結晶することができたのだ。ここには、過去に当事者であった著者がカミングアウトして当時の自分やその状況が語られているだけでなく、現在に至るまで一向に改善の兆しが見えない日本の教育の問題点が鋭く浮き彫りにされている。
▼さて、本書の内容に触れてみよう。
著者が不登校・高校中退の立ち直り策として説くことは、次の三つ。それは極めて簡潔で的確。誰でも理解できるものだ
---------------。
(1)規則正しい生活をする
(2)勉強をする
(3)環境を変える
---------------
繰り返すが、これは不登校の理論書ではない。実態をリアルに把握し、あくまでも実践に役立てるための書である。
▼このような形で不登校や高校中退の子ども達を支援する一方、子ども達に関わる大人たちへの見方は時に鋭く厳しい。自ら行動する実践家としての眼差しがそこにある。
たとえば、日本の学校教育の問題点として、「労働の素晴らしさを教えるキャリア教育」を行っていないと批判する視点もそれ。そして、教育者自身に対しても、「教育者は不登校・高校中退を肯定すべきではない」と厳しく迫る。それでは不登校や高校中退の子ども達は「あっ、これでもいいんだ」と認められ受け入れられているように思ってしまうだろうと憂える。
▼一方で、高校中退の本人や親御さんには、「学校のセールストークを真に受けるな 学校は子どもの教育が第一ではない。高校はビジネスでやっているんだ」と指摘し、現実を曇りなく見るように促す。実際、日本の社会には家庭の問題から政治の問題に至るまで「互いに依存し合っていて誰も責任を取らない」共依存関係が出来ていると憤る。引きこもり、中退する子どもは、学校のカウンセラーを含め、大人が適切な指導、関わりを欠いた結果なのだと。
(「憤る」と筆者は書いているが、氏自身はいつもにこやかな表情で語り、決して憤らない。だから、この言い方は実際の印象とは大きく違っている。ここで使われている「憤り」等の表現はその内なる熱い思い推測してのものである)
●長らく自然体で子ども達と向き合ってきたからこそ言える言葉、それが随所にある。学校では社会が求める若者像と大きく違うことをやっている…。彼らは心の病気ではない。進路や人間関係が問題なのに…。
●定時制の統廃合などで高校中退の受け皿はどんどん削られつつある。だが、政府は引きこもりやニートの対策には熱心だが、それを生み出す原因となる不登校や高校中退への対策はあまり取られていない…。
▼そういう日本の社会の現実の中で、では具体的にどうすればいいのか?どうすれば不登校や高校中退の子ども達は立ち直れるのか?そう杉浦さんは考える。
ヒントは以外にも、元不登校や高校を中退した子ども達にあった。過去はどうあれ、現在、元気にやっている彼等の姿がそこにあった。氏はそういう子ども達に注目した。「小中学校で失敗しても、高校で生活習慣や基礎学力を身に付ければ社会で役立つ人材が育つ!」 そこから導き出された三つの方法、それが先に紹介したものである。
▼杉浦さんは、中学時代まで不登校であった子、高校を中退した子、それでも高校だけは卒業したいという子---そういう子ども達を救済する道を幾つかに整理している。
その代表的な方法が次の三つ。
(1)一つは「高卒認定試験」をうけるための「高卒認定予備校」。
しかし、一般に高卒認定試験は卒業の資格は得られ、大学進学には役立つが、一般社会では大検と時と同じで高卒とは認められない。
(2)次に、通信制高校。
しかし、その進級・卒業率は極めて低い。そのまま社会参加につながることは少ない。そこに誕生したのがサポート校という存在(文科省は正規の高校とは認めていない)。高校生のセーフティネットにはなっているが、高卒資格を得るためには「通信制高校+サポート校」という高額の学費がネックである。
(3)そして三番目が東京都や大阪府にある公立高校への転校制度。
東京都では学期ごとに補欠募集の試験がある。高校中退者は高校一年生が多いが、その救済制度ともなっている。私立全日制高校にも同じような制度があるが数は少ない。
▼氏は長年、東京都の高校転入試験を受ける生徒の支援を行ってきた。ただし、転入は誰もができるわけではない。生徒を採る高校では学校の価値を高めるレベルの生徒を欲しがる。その逆はまずない。
そうは言っても、不登校や高校中退を対象とする都立高校があること自体が大きな救いである。東京都では転校の受け入れが柔軟な単位制の昼夜間定時制の新宿山吹高校がある。入試の際には内申ではなく教科試験の点数で評価してくれる。またチャレンジスクールと言って不登校や中退者向けの支援教育を行う高校が5校ある。作文と面接で合否を決めている。
著者の杉浦さんはこういう学校が東京、大阪だけでなく、全国に広がることを願っている。
▼この後の「第4章」では「小・中・高、教育現場の実態は?」では、この問題に一章を割いている。そこでは「ブラック企業化する公立小中学校」「予備校がコンサルタントする高校」「高校教師は経験・勉強不足が多い」「理事長が熱心なぐらば学校は変わる」「なんでもアウトソーシング
の高校って」「変化を好まない教育界」「単位を事実上抹消する地方の高校」「門前払いする地方定時制高校」「学業を続けさせてくれない高校」「茨城から東京へ、そして転入」と、小見出しがある。教育界には門外漢には「アンビリバボー」なことが山ほどある。その幾つかに触れている。でも、ここでは拡散し過ぎるので取り上げない。その中の一つには、こんなのもある。
「教育もアウトソーシングされていて、生徒の管理もアウトソーシング。心理的なケアはカウンセラーに丸投げし、そのカウンセラーは心療内科と精神科に丸投げする。その結果は、向精神薬漬けです。---(略)」。
(本当はこの辺を掘り下げてみたい気もする。)
▼※以下の本書の残りの半分は、
・「僕は不登校児童だった」という、いわば今の仕事をするようになるまでの体験談(不登校であることをカミングアウトできた人は強いという見本でもある)、
・「実例から見る高校中退、そして『再生』」、
・補章1・高校中退を報じた月刊宝島の記事、
・補章2・資料 文科省「学校基本調査」ほか
と続くが、ここでは省略する。
(不登校や引きこもりの実態を知りたい人には、「実例」紹介が役立つだろう。)
本書を手にして読んでほしい。
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※この書評は客観・公平ではない。独断と偏見に彩られている。それを承知でお読みください。
※一度アップしたものを、操作ミスで全部削除してしまい、復元できなくなりました。この拙文は、一度完成させた文章を再現する形で書いたもの。ですから、最初の文章とは違っている部分もあります。ご容赦を。どなたか先の文を保存されてましたらご連絡を。そちらをアップします。
※再登録の拙文にさらに加筆訂正しました。
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http://www.os.rim.or.jp/~nicolas/
※再登録の拙文に加筆訂正しました。
▼昨年の暮れに、こんなタイトルの本が出た。
『高校中退』---不登校でも引きこもりでもやり直せる!---
NPO「高卒支援会」主宰:杉浦孝宣著(宝島新書)
本書の腰帯には、
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「高校中退者 年間5万人 その多くがニート・引きこもりに……
29年年間支援を続ける塾講師が説く「再生」への道
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とある
▼本書は、「不登校・引きこもり研究」と称して、それを專門に研究してきた著者が、まだ年端もいかない大学生や、その道の知識や経験に乏しい門外漢の一般読者を相手に、したり顔(どや顔?)で説くという書物の類ではない。不登校体験を持つという著者自身が、この29年間、現場で見聞したり実践したりしてきたこと、現にいま不登校や引きこもりの状態で苦しみながら必死に出口を探している本人や保護者、教育関係者等に向けて発した問い掛けと道案内の書と言ってもいい。外見も新書版の体裁であり、警世の大文字を説くような内容の本でもない。しかし、その訴えるものは深く現場の問題に根ざしている。真剣に子どもの教育を考える者にとっては決して避けては通れない一冊である。
▼小学3年生の時に保健室登校をし、その後、養護学園に半年間ほど通ったことがあるという著者の不登校体験は、おそらく本書が生み出した一つの動機にはなっていよう。しかし、氏の場合、むしろそれを肥やしやバネにして、ものの見事に脱・不登校を成し遂げている。氏はその後、大学時代ををアメリカで過ごし、カリフォルニア州立大学で会計学を学んでいる。不登校からの立ち直りの見事な典型がここにある。その後日本に戻ってからは語学を活かし家庭教師のような仕事をしたようだが、やがて不登校・引きこもりの支援活動に専心し、現在に至る。
▼個人的な体験として過去に不登校の体験を持つ場合、それが貴重な体験として評価されることは日本の社会ではまだほとんどないが、不登校支援の仕事で活かされることがしばしばある。が、本人が完全に自己の不登校問題を克服し切っていない時、周囲に様々な波紋をもたらすことになる。「やっぱり不登校だから、こういう仕事をするんだ」というような見方が心ない偏見や誤解によってなされることもあるし、当たらずとも遠からずということもなきにしもあらずである。
しかし、それ以上の問題を孕むこともある。そういう経験を活かしてカウンセラーや学校の教員等になった場合、一見それが完全に克服されているかのように見えて、不登校や引きこもりの当事者を前にした時に、バランスを欠いてしまうことがしばしばある。フラッシュバックに襲われるとでもいうのか、PTSDを引きずっているとでもいうのか、個々のケースによって随分違い一概に決め付けることがあってはならないが、心すべきことで、無視はできない。不登校や引きこもりの当事者が二重の深みにはまることになりかねないからである。
▼しかし、氏の場合には、そのような個人的体験が見事に乗り越えられているばかりではなく、そういう体験があったればこそ、一般の人々には興味はありながらなかなか分かりにくい領域の不登校・引きこもり・ニート等の問題が、このように内側から鋭く照射される形で結晶することができたのだ。ここには、過去に当事者であった著者がカミングアウトして当時の自分やその状況が語られているだけでなく、現在に至るまで一向に改善の兆しが見えない日本の教育の問題点が鋭く浮き彫りにされている。
▼さて、本書の内容に触れてみよう。
著者が不登校・高校中退の立ち直り策として説くことは、次の三つ。それは極めて簡潔で的確。誰でも理解できるものだ
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(1)規則正しい生活をする
(2)勉強をする
(3)環境を変える
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繰り返すが、これは不登校の理論書ではない。実態をリアルに把握し、あくまでも実践に役立てるための書である。
▼このような形で不登校や高校中退の子ども達を支援する一方、子ども達に関わる大人たちへの見方は時に鋭く厳しい。自ら行動する実践家としての眼差しがそこにある。
たとえば、日本の学校教育の問題点として、「労働の素晴らしさを教えるキャリア教育」を行っていないと批判する視点もそれ。そして、教育者自身に対しても、「教育者は不登校・高校中退を肯定すべきではない」と厳しく迫る。それでは不登校や高校中退の子ども達は「あっ、これでもいいんだ」と認められ受け入れられているように思ってしまうだろうと憂える。
▼一方で、高校中退の本人や親御さんには、「学校のセールストークを真に受けるな 学校は子どもの教育が第一ではない。高校はビジネスでやっているんだ」と指摘し、現実を曇りなく見るように促す。実際、日本の社会には家庭の問題から政治の問題に至るまで「互いに依存し合っていて誰も責任を取らない」共依存関係が出来ていると憤る。引きこもり、中退する子どもは、学校のカウンセラーを含め、大人が適切な指導、関わりを欠いた結果なのだと。
(「憤る」と筆者は書いているが、氏自身はいつもにこやかな表情で語り、決して憤らない。だから、この言い方は実際の印象とは大きく違っている。ここで使われている「憤り」等の表現はその内なる熱い思い推測してのものである)
●長らく自然体で子ども達と向き合ってきたからこそ言える言葉、それが随所にある。学校では社会が求める若者像と大きく違うことをやっている…。彼らは心の病気ではない。進路や人間関係が問題なのに…。
●定時制の統廃合などで高校中退の受け皿はどんどん削られつつある。だが、政府は引きこもりやニートの対策には熱心だが、それを生み出す原因となる不登校や高校中退への対策はあまり取られていない…。
▼そういう日本の社会の現実の中で、では具体的にどうすればいいのか?どうすれば不登校や高校中退の子ども達は立ち直れるのか?そう杉浦さんは考える。
ヒントは以外にも、元不登校や高校を中退した子ども達にあった。過去はどうあれ、現在、元気にやっている彼等の姿がそこにあった。氏はそういう子ども達に注目した。「小中学校で失敗しても、高校で生活習慣や基礎学力を身に付ければ社会で役立つ人材が育つ!」 そこから導き出された三つの方法、それが先に紹介したものである。
▼杉浦さんは、中学時代まで不登校であった子、高校を中退した子、それでも高校だけは卒業したいという子---そういう子ども達を救済する道を幾つかに整理している。
その代表的な方法が次の三つ。
(1)一つは「高卒認定試験」をうけるための「高卒認定予備校」。
しかし、一般に高卒認定試験は卒業の資格は得られ、大学進学には役立つが、一般社会では大検と時と同じで高卒とは認められない。
(2)次に、通信制高校。
しかし、その進級・卒業率は極めて低い。そのまま社会参加につながることは少ない。そこに誕生したのがサポート校という存在(文科省は正規の高校とは認めていない)。高校生のセーフティネットにはなっているが、高卒資格を得るためには「通信制高校+サポート校」という高額の学費がネックである。
(3)そして三番目が東京都や大阪府にある公立高校への転校制度。
東京都では学期ごとに補欠募集の試験がある。高校中退者は高校一年生が多いが、その救済制度ともなっている。私立全日制高校にも同じような制度があるが数は少ない。
▼氏は長年、東京都の高校転入試験を受ける生徒の支援を行ってきた。ただし、転入は誰もができるわけではない。生徒を採る高校では学校の価値を高めるレベルの生徒を欲しがる。その逆はまずない。
そうは言っても、不登校や高校中退を対象とする都立高校があること自体が大きな救いである。東京都では転校の受け入れが柔軟な単位制の昼夜間定時制の新宿山吹高校がある。入試の際には内申ではなく教科試験の点数で評価してくれる。またチャレンジスクールと言って不登校や中退者向けの支援教育を行う高校が5校ある。作文と面接で合否を決めている。
著者の杉浦さんはこういう学校が東京、大阪だけでなく、全国に広がることを願っている。
▼この後の「第4章」では「小・中・高、教育現場の実態は?」では、この問題に一章を割いている。そこでは「ブラック企業化する公立小中学校」「予備校がコンサルタントする高校」「高校教師は経験・勉強不足が多い」「理事長が熱心なぐらば学校は変わる」「なんでもアウトソーシング
の高校って」「変化を好まない教育界」「単位を事実上抹消する地方の高校」「門前払いする地方定時制高校」「学業を続けさせてくれない高校」「茨城から東京へ、そして転入」と、小見出しがある。教育界には門外漢には「アンビリバボー」なことが山ほどある。その幾つかに触れている。でも、ここでは拡散し過ぎるので取り上げない。その中の一つには、こんなのもある。
「教育もアウトソーシングされていて、生徒の管理もアウトソーシング。心理的なケアはカウンセラーに丸投げし、そのカウンセラーは心療内科と精神科に丸投げする。その結果は、向精神薬漬けです。---(略)」。
(本当はこの辺を掘り下げてみたい気もする。)
▼※以下の本書の残りの半分は、
・「僕は不登校児童だった」という、いわば今の仕事をするようになるまでの体験談(不登校であることをカミングアウトできた人は強いという見本でもある)、
・「実例から見る高校中退、そして『再生』」、
・補章1・高校中退を報じた月刊宝島の記事、
・補章2・資料 文科省「学校基本調査」ほか
と続くが、ここでは省略する。
(不登校や引きこもりの実態を知りたい人には、「実例」紹介が役立つだろう。)
本書を手にして読んでほしい。
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※この書評は客観・公平ではない。独断と偏見に彩られている。それを承知でお読みください。
※一度アップしたものを、操作ミスで全部削除してしまい、復元できなくなりました。この拙文は、一度完成させた文章を再現する形で書いたもの。ですから、最初の文章とは違っている部分もあります。ご容赦を。どなたか先の文を保存されてましたらご連絡を。そちらをアップします。
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