教育落書き帳

教育とは何か…子どもの視点を尊重し、親、伴走者、市民の立場から語ります。子どもを語ることは未来への信頼と希望を語ること。

「パウル・クレー展:終わらないアトリエ」を観ての雑感

2011年07月29日 | 絵画鑑賞

「芸術の役割は見えるものを表現することではなく、見えないものを見えるようにすることである」(パウル・クレー)

▼27日は東京国立近代美術館の「パウル・クレー展:終わらないアトリエ」に出かけた。学校はすでに夏休みに入り、クレーに興味のある一般の大人(日本人に人気がある)、家族連れ(夫婦・親子など)、先生の引率による中高生(修学旅行で来ているのだろうか?)、美術を志す画学生などで賑わう。それでも、土日ほどの混雑ではない。

▼クレーが画家として活躍した時代は、古典派や新印象派等の時代とは異なり、すでに世の中に写真機という文明の利器が登場していた。クレー自身、「アトリエ写真」という形で製作のプロセスを写真で記録に残すのに大いに活用している。ただし、写真の登場によって絵画に革命的な変化が起きたのは確かだろう。それまでの肖像画や風景画等を見れば分かるが、それまでの絵画には外部から見たままに写実的し記録するという役割もあった。絵画で描かれたものが「似ている・似ていない」という言い方はこうして生まれたのではないか。しかし、写真の登場によってそういう絵画の役割は劇的な変化を遂げることになる。単に視覚的に記録するだけなら、写真に勝るものはない。

▼だから、写真の登場によって、絵画は写実的な描写をするという役割から解放されたというか、永久に客観的に記録するという役割を失った。そのことによって絵画は新たな存在理由が求められることとなり、以後画家たちは内的必然による絵画表現の探求に乗り出す。たとえば、ピカソも完成された古典主義的技法からの脱却に新たな画家のあり方を求めたし、一時期同じバウハウスで仲間として過ごしたカンジンスキーの具象から抽象への試みも、このクレーの新たな線描と油彩の試みからのコラージュ的手法による解体や再構成の試みなども、そういう絵画表現活動に向けられた新たな返答の模索であったのではないか、と勝手に思っている。

▼今回のパウル・クレー展は、ところどころに実際に彼が活動したアトリエの写真を何枚か配し、4つの製作プロセスと特別クラスとで5部門に分け、良くも悪くも教化的な視点を強く打ち出した夏休み向けの企画となっていた。そのため、アトリエにカメラの視点を置き、その製作の現場に立ち会うという試みはある程度成功していると言える。しかし、逆にそのために彼の絵画の創造の秘密に深く分け入るというよりは、何となくその入り口で終わってしまったのではないかという感想も否定できない。

▼しかし、それでも彼自身が描いた素描をもとに新たに黒い描線を転写し、彩色していくという手法の説明はクレーの絵画制作の手法の一端をリアルに語る。彼の素描はそれ自体で完成品だ。線描に一筆書きの手法が巧みに取り入れられているのも注目だ。それ以降の製作プロセスの解説もコラージュ&コンポジション的手法の展開のバリエーションを上手く説明しているが、語りに落ちる趣も拭えない。もっと自由に作品そのものに語らせてはどうか。一枚の紙の裏表に別の作品が描かれていることの説明にしても、むしろ常識的な視点を当ててみることも必要だったのでは?画家の場合には彼に限らず習作としてはあり得ることだし、中にはそのまま独自の作品に展開していったものもあったろうくらいに。クレーの神聖化作業かなとも思え気になった。

クレーの作品には様々な音楽性がある。それは彼の線描にも色彩にも感じられる。様々な楽器が鳴り響き、交響的な音の重なり合いもある。彼の両親は音楽家であったようだし、クレー自身、自分でもバイオリンを演奏したようだし、バッハやモーツアルトを愛して止まなかったという。ポリフォニー、フーガ…多彩な音の響きがそこにある。しかし、なぜか会場で私が合うかもしれないと思ったのはエリック・サティの音楽であった。いや、近現代の音楽の中にはもっと相応しい曲があるかもしれない。もしかしたら、彼の絵画をイメージして描かれた作品などもあったりして。会場の売店で、「キミもクレーになれる」という子ども向けの塗り絵が売られていた。「おもしろいな!」と思った。会場でも子どもたちがクレーの作品を謎解きのように楽しんでいる光景もあった。そういう遊戯性も彼の重要な持ち味だろう。

▼さて、こういう絵画の鑑賞がどう子ども達の絵画に活かされるか。児戯的なことからはじめて見たい。
▼ちなみに、晩年のクレーに「死と火」という作品がある。あたかも原子力発電所を扱う人間の未来を予告するかのように。

■参考
東京国立近代美術館:「パウル・クレー:終わらないアトリエ」
パウル・クレー
クレーの画像
日本パウル・クレー協会
パウル・クレー
パウル・クレー
よく分かるパウル・クレー、音楽を描いた画家 :日本経済新聞

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「それでも原発は必要だった…」!?  怒れ東北人!

2011年04月17日 | 絵画鑑賞

※これも教育と無関係ではない…ですね。

▼「原発はいらない」─この気持ちはますます強くなる。今回の原発事故…これも日本の成長神話の成れの果てではないかと思っている。日本が明治新政府になって欧米の列強諸国に対抗し、日清日露の戦争に勝ち、第二次世界大戦の敗北の中から驚異的な立ち直りを成し遂げ、目覚しい経済的科学的成長を達成して今日に至っている。だが、そういう日本が一方では絶えず批判もされてきた。その成長の課程で日本という国はとてつもなく大事なものを失ってきたのだと。今日の精神的な荒廃はその結果であると。

▼しかし、そういう声は批判の論調として一定の支持を得ることはあっても、主流となることは決してなかった。現在、「失われた20年」などと言われ、政治経済とも低迷を続けていながらも、破綻することはなくそれなりの高原状態を維持してきたからである。そこに降って湧いたのが今回の大地震に続く福島第一原発の大惨事であった。「想定外の大事故」と専門家や原子力関係者は言うが、それを危ぶむ声は絶えずあったのである。が、政・官・財・学の利権と専門家の科学信仰に基づく傲慢と自惚れが、そういう声に耳を傾けようというセンサーを持たなかったのだ。

▼原発を推進するために政・官・財・学の連中は地元の住民にあらゆることをやった。その一端の事情が「女性セブン」2011年4月28日号の記事(「NEWSポストセブン」のネットの記事から)に載るようだ。今や日本の発電量の3分の1近くを占める原発。原発が建設される市町村には、電源三法に基づく巨額の交付金が交付される。原発一基でも35年間で1200億円にのぼる。地元の人達はその原発のおかげで立派になった言う。「おれたちのほとんどが原発に食べさせてもらってる」と語る。しかし、何もかにも打ち砕いたのもまた原発である。「それでもまさかこんなことになるとは…」これが率直な気持ちであろう。結局、その人達は利権に丸め込まれ、利用され、翻弄されてきたのである。

利権のために悪魔と取引をし、悪魔に魂を売り渡すという喩え話がある。人々の安全よりも原子力の利権を取った人たちはそういう類の人たちとは言えまいか。そして、己が食うために原発に「イエス」と言った人たちは、図らずも食のために主人に忠実を誓う番犬や餌付けされた家畜のように扱われてきたのである。以前、原発で働いていた人が地方でボロ雑巾のように蝕まれて死んでいった話をきいた。今回の原発の作業でも計数機を着けずに作業したり、その作業がどれほど危険なものか十分知らされずに作業しているものがいたように、安全教育が徹底していないと言うよりは、人間扱いされなかったことも多々あったようである。

▼都内に住むある東北出身の人が、都会の照明も繁栄もみな東北の人たちが寄与したものである、それなのにこういう事態になってもなぜ東北人は怒らないのか!!と憤っていた記事に触れた。こんな悲惨な状態になっても黙々と耐え忍ぶ姿は畏敬の念を超えて悲惨の極みである。人の尊厳がかくも踏み躙られ、それでもなお微笑を浮かべ「頑張ってるよ」と言う必要があるのだろうか。我々は釈迦でもキリストでもない。人としてのこの理不尽さに絶え切れない怒りの声をぜひ響かせて欲しいと切に思う。

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21世紀の国際社会で日本は生き残れるか

2010年05月24日 | 絵画鑑賞
▼国際社会で存在感を失う日本人
今日(2010年5月24日)の読売新聞の「思潮2010 5月」欄の見出しに「世界から姿消す日本人」、小見出しに「リスク取らず内向きに安住」とある。
お定まりの「今の若い奴らは…」論の一つと言えなくもない。一昔前ならば「また年寄りが…」と笑って済ませたかもしれない。「心配しなくても大丈夫だから」と。だが、今は笑い飛ばせなくなっている。それは杞憂でもなんでもなく事実だからである。
▼耐性に欠け、リスクを回避する若者達
ここには「異質なものに対する耐性」を失い、「リスク」を回避する日本の若者が紹介されている。国内だけではない。新聞の見出しにあるようなことが実際に国際社会の現場で進行しているのだいう。そして、その中で日本の存在感そのものが失われつつあるのだとか。
いろいろな意味で、この紙面で紹介されているイビチャ・オシム氏の日本人論は事の本質を捉えていて示唆的である。
「言葉を変えれば、自ら判断することの回避であり、リスクを犯すことの回避であり、責任を取ることの回避でもあった」
▼国際社会で先を越され始めた日本
アジアの中で、中国や韓国の存在感が高まっている。特に隣の韓国は先端技術においても日本を凌駕しつつあるようだ。これについて私的な例で申し訳ないが、個人的にも該当する事例がある。
例えば、私の愛用しているパソコンは小型のモバイル型の韓国製のパソコンである。ネットブック型だが、画面タッチ式のタブレットとしても使える。しかも薄型の標準電池と交換電池で約10数時間駆動し、アダプターを持ち歩かなくても十分だ。しかもストレージはSSDで、とても速く軽い。そういうパソコンを日本製で探したがどこにもなかった。韓国から輸入し日本語に対応させたものしかなかったのだ。
液晶テレビやスマートフォンにしてもそうだ。完全に韓国に先を越された状態だ。まだ国内では愛好者が多いが、国際社会に出れば「技術のソニー」も肩なしだ。やがてサムスン電子は日本をも席巻するかもしれない
▼日本の功罪から学ぶ韓国の人達
余談だが、私達の仕事場に2年連続で韓国からそれぞれ10人程度の訪問者があった。一つは、韓国で将来ワールド・リーダーを目指す中学生たちの一行。もう一つは、韓国のソーシャル・ワーカーの一行であった。私達の話を聞き、そして日本という国の社会、教育制度や福祉制度、そしてその病理を調査していった。
彼らに共通しているのは「アジアの先進国」としての日本からいろいろ吸収したいという欲求と同時に、日本と同じ轍は踏みたくないという思いである。言い換えれば、日本の功罪─日本の利点と病理を学ぶということ。それは日本を凌駕するための官民あげての戦略でもある。
▼非難の矛先は自分に向けよ
話をもとに戻そう。実のところ「出口なし」の日本の状況は今に始まったことではない。「そんな話はもう聞き飽きた」とも言える。問題はその先なのだ。実際のところ「今の若い奴らは…」という非難は当たらない。「日本人」全体の問題なのだ。「立ちあげれ日本」という政党が出来たが、「立ち枯れ」とか「立ち眩み」とか言って、自嘲気味に揶揄している場合ではないのだ。他人事ではない。我々自身に解決を突き付けられた問題なのである。
▼間違いを恐れずに挑戦すること
そのためにも、我々は多少のリスクには尻込みしない若者を育てなければならない。「挑戦」する若者を応援しなければならない。マスコミをはじめ、日本の社会全体が進むべき方向を示すことが必要だ。
今、ひとりの若者が飛び立とうとしている。それまでの学校教育の中でほとんど存在を認められなかった子どもである。私どものところに来た時、彼は「勉強のポーズ」を取った。テレビでお猿さんの「反省のポーズ」は知っていたが、子どもの「勉強のポーズ」は初めてだった。小学校6年間、中学校3年間、彼は学校でそれをやって来たらしい。先生にも「お客さん」扱いをされながら。これは何の病理か?
その子がやる気を出したきっかけは、自分でも認められる場があると知ったこと、そして、間違っても上から目線で咎められないと分かったことだ。
その子は今でも言う。「間違ったって、いいんだよね」。ある意味、日本はここからやり直すしかないだろう。
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