教育落書き帳

教育とは何か…子どもの視点を尊重し、親、伴走者、市民の立場から語ります。子どもを語ることは未来への信頼と希望を語ること。

毎年恒例の「(平和のための埼玉の)戦争展」の開催について

2013年06月01日 | 日本の教育
▼今年もさいたま市の浦和コルソ7 階ホールで「戦争展」(2013平和のための埼玉の)(7/25-7/29)が開かれる。毎年のことだが、今年も主催者からその案内を頂いた。寄付への協力の言葉も添えてある。市民団体からこういう案内をいただけば、よほど時代錯誤的なものでないかぎりなるべくその活動には協力することにしている。時間が許せば、ブログの紙面を割くこともある。
 
埼玉県知事が自民党出身の土屋義彦氏から現上田清司氏に代わって県の後援が外されたのは残念なことだったが、それでも市民の熱い応援もあって毎年の開催を維持してきたのは素晴らしい。が、戦前戦中世代が高齢化し没していく一方、戦争を知らない世代が社会の指導的立場に立つようになって、様々な問題が生じるようにもなってきた。
 
▼一つには、国内のナショナリズムの高揚に伴い、今までの歴史が《自虐史観》と揶揄され、上からの歴史の見直しが始まったことがある。実際に歴史教育を行う教育現場では、近代現代の歴史、とりわけ戦後の史実を明確にすることを避けてきたきらいがある。しかし、《自虐的》と考える国の指導的立場の人達の歴史の見方がそのまま国際社会でも通用するかといえば、そうは行かない。むしろ、《自虐史観》とするその見方そのものが国際社会では批判の対象となることが起きている。
 
▼「歴史」とは厄介なもの。数百年が経過し学術的にも比較的安定した評価を得られるようになったものはいいが、今なお時代の生き証人が健在な時には、それぞれの個人が置かれた現場での立ち位置によって大きく異なってくることがある。全体の評価の前に個人的な体験がまず優先する。そして、歴史とは基本的に《物語》である以上、そこに個人、地域、国家など様々な位相がある。同じ現実を前にしても、現実の捉え方、切り取り方などはみな異なる。だから、単に資料を調べたり証言を拾い集めたりするだけでなく、できるだけ生きている生身の人間に触れたい。生き証人が高齢化した今、残された時間はそんなには多くない。
 
▼ここで多くは触れない。是非、実際に足を運び自分の目で様々な物を見てほしい。生き証人の貴重な体験談も聞けるだろう。詳しくは下記を参照して頂きたい。
 
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