現代日本語百科   けふも  お元気ですか

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余生

2017-05-25 | まさごと
>一生の残りのいのち。人生のさかりを過ぎた後の生涯。残年。余命。上記引用に、日本国語大辞典の説明は、残りの命、その残りは,さかりを過ぎた後、となるが、その時とはいつか。中国語の虎に、hǔ kǒu yú shēng  虎口余生 成語・格言(形式)、九死に一生を得る、と見えて、これは、死ぬ境にあるようである。現代語で、職を退いてからとあるのは、社会活動の仕事を意味して、年をとり、1線から退くことであろうか。第二の人生には、>芸術は第二の人生である《阿部次郎「三太郎の日記」から》芸術は人生そのものを描くものとして、創作者のもう一つの生き方の表現である。日本国語大辞典  という解釈もある。さて余生をどう考えるか、生涯を送ってみなければわからないし、その一生には何がさかりであったか、仕事であったかと、振り返るときがあるかどうかである。死ぬ思いをすれば生き残ったということで、余生となるとは限らない。どうにも、残された人生と、そう思う時点で、余生が始まるようである。 . . . 本文を読む

日記に

2017-05-25 | 日記
>20060525 5月晴れ  カテゴリ:思い遥かに 晴れると暑い、蒸すようだ。 それなりの季節の推移のようだ。 権力の争いが始まった、ような報道だ。 ポスト、コイズミさん争いはのろしがあがった。 大手6銀行との呼び方に金融再編はそうなったのかとおもいつつ、3メガバンクだろうにと、その数をかぞえる。 見出しにあわせてよくみていくと、銀行と金融グループとなっている。 それならしらないのかと . . . 本文を読む

政治家の嘘が、政治の虚実であってはならない

2017-05-24 | ほんとうのところは
隣国の本大統領の裁判ニュースを見ていると、その犯罪の列挙に耳を疑ってしまう。韓国検察にはその罪状をあげて、国民に知らせる正義の行為が、元大統領の不正義とその行状をあったのだとする主張には、元大統領の出鱈目のでっち上げに過ぎないという反論があって、それが政治に入りぢられた韓国政界の実態をうそ寒くさえ覚える。隣国半島から大陸へ移せば虚実の駆け引きは独裁のもと、相変わらずである。ここかしこに政治の嘘が見えている。米国トランプ大統領が選挙遷移したというロシアとの政治接触には、勝てば官軍のふうもあって、しのぐ屋に見えていたところ、次々の証言と証拠調べによって。大統領が行ったことの傍証が形になりつつある。そうであるかどうかの嘘の実証になると、それは、噓をつき続けることにある結果である。政治は嘘をつくからとばかり言ってられないが、日本の政治家は与党サイドでどうにもバカがつくぐらいの政治を進めている。 . . . 本文を読む

教育文法 語に分ける

2017-05-24 | 日本語教育
教育文法は便宜の規則であるという。学校文法は規範文法であるので、学校の教科文法は例外を認めるものとなる。教育文法はもとより実用文法とは異なるが、実践文法であるには変わりがない。日本語教育文法は学習文法であるが、それは学習者のためのものでもない。日本語教師が知るべく、説明また記述文法となる。文法教科書を教育文法として見て、際立つのは、文科省による国語文法であった。国語文法はその実には古典文法であったのであるが、それを文語文法とするのに対して口語文法をもっぱらとする現代語文法を作り出してきた。国語に漢文が並列していたころの国語文法は漢文を対照とした古典文法の時期であったのであるが、それは文献解釈のための文法となっていたから、話しことばの文法と称する英語文法の引き写しとなるところ、橋本学説の文節文法が強く影響力を持ったので、それは現代文を分析するのに文法としてのわかりよい捉えかたであった。日本語の文節は話しことばの単位として、part of speech 、(《複数形》 parts of speech) 文法 品詞 である。音列に単語の切れ目を見て、語列にスペースを空けることなく、分かち書きにも相当する結果となる、文節に切る日本語は、その自然な、国語話者にとってのことであるが、漢字と仮名交じりの文を切り分けることができる。それは文節として語単位に品詞を見ることになる。 . . . 本文を読む

クイズ

2017-05-24 | 日本語百科
試験、考査、テストと、どれも評価となる。クイズはどうか。クイズの意味は、to question (someone) と to test the knowledge とあるようで、日本語では後者の、知識を問う問題、any set of quick questions designed to test knowledge の意味であると、と、説明が続く。>テレビ番組で、出題者が既知の事実に対して質問をし、解答者がその質問に答えるという遊び、あるいはその質問の意で使われることが多い。英語のquizがそのままカタカナ語として使われている。なお、『推理クイズ』『判断力クイズ』などのように、思考力を問う問題に対して「クイズ」の表現を使うのは、誤用である。 ウイキペディアより これによると、本来は教師が生徒に対して行う簡単なテストを意味し、アメリカでは現在もこの意味でも使われる、と言う。クイズは、当てもの、判じものなどの、日本古来のなぞ解きにマッチした語となったか。 . . . 本文を読む

思い出の記 旅券

2017-05-24 | まさごと
1985年から中国の出張は年をおって、1989年のときをのぞいて、ほぼ出かけている。訪問地は、大連、上海、北京、天津、南京などを旅行し、講義に出かけて、短期出張を繰り返した。パンフレットに寄せた随想があるので採録をしておこう。タイトルは、旅券がのこすところ 2008年1月に書いている。> 旅券がのこすところ1年である。1998年12月からの10年ものだ。そろそろ更新をしなければならないが、あと何回作成して使うだろうと、赤い表紙を見つめている。  この書き出しは旅券の期限が2008年までのものである。ふと、そうだと、いまの手元の旅券に気づいて、更新時期が2017年、この記事から10年をまた過ごしているから、その時期が来ている。皓にあるようにその後の1回、2回とすれば、もうすぐにも傘寿である。さて、文章に綴ったのは、次である。 > 出入国記録を繰ってみた。査証を必要とした渡航が8回ある。ほとんどが中国への業務であった。その査証を必要としたのは時期にも長期という方が適切だ。思い起こせば、1984年に在北京、日語教育専門家として中国訪問したのが始まりだった。それから数えると30回近くの往復がある。いまのより古い5年ものの旅券で日本語教育に関係したものでは、日語教学研究会の招請で集中講義、大学間国際交流協定の締結、協定による訪問と講義、そして中国政府奨学金を受けた留学がある。年に1回か、2回の旅行だったと、思い出して感慨深い。 . . . 本文を読む

通信革命は

2017-05-24 | 日記
革命だろう、手元のコンピュータ端末はスマートフォンという名で、人々に脳内革命をもたらした。スマートデバイス smart deviceである。携帯電話にその機能が付くのはいつからか。>1993年にアップルが米国内でNewtonを発売した際、このデバイスはPDA(携帯情報端末)と称された。この言葉・概念が一般化したのは1996年にPalmが発売したPalmPilotのヒット以降である。この時点では端末に通信機能は付与されていなかった。>『Smartphone』という言葉はまだ存在せず『電話ができるPDA』や『電話回線を利用して通信できるPDA』などと呼ばれていた。なおIBMやノキアではPDAではなく『Communicator』と称していた。>2011年に、Googleがモトローラ・モビリティを買収し、モジュラー携帯電話に関連する特許を取得した。これによってモジュール組み立て式スマートフォン(コードネーム:Project Ara)の開発が始まった。 . . . 本文を読む

共謀と共謀罪

2017-05-23 | 新語・社会現象語
委員会を通過し国会を待って成立する。共謀罪は、何かしらの犯罪の共謀それ自体を構成要件、ある行為を犯罪と評価するための条件とする犯罪の総称と、ウイキペディアにあって、組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律 という、通称は、組織犯罪処罰法、組織的犯罪処罰法であるが、なお、第二章 組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の没収等 に新設することが検討されている、組織的な犯罪の共謀 の罪の略称とする。共謀が罪になる場合を示すが、すでに情報処理高度化への対応をうたうので、取り締まりの状況が見える。マスメディアの論調では、共謀を論議することすら難しいほど、法案の是非だけを問いかける一方的な結果を要求する。組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律等の一部を改正する法律案を、どう解釈するか、未然のものに、具体性を持った議論が、なかなか、見えない。共謀することを意図せぬ共同謀議が権力によって監視され、逮捕に及ぶことがあることを起こりうるとする、それの危険視は当然として、いま、この事実においてメディアが共謀するものは何であるのか、その先にあるものはどういう事態であるか、その想像がない。 . . . 本文を読む

華清池、楊貴妃の碑

2017-05-23 | まさごと
この日にまつわる思い出は、源氏物語、本文の策定にかかわる。この碑の拓本を購入してすぐにも、1986年に論考に掲載した。論集その1、まさごとにある。その発見にも似た喜びを華清池、西安旅行で得たのである。1985年冬の観光地は寂しい風景だった。それは当然であろう、芙蓉の咲きほころぶ公園のころに再訪したことがあり、その季節とは差があってのこと、しかし、わたしには格別の思いがあった。温泉地なのだからどこで入浴するのかという探求心は、楊貴妃が浴びたという石造りの風呂桶に殺風景な感懐を得た。観光地の目玉にもなっていない、というころだったのである。いまの観光案内の写真と変わらない。そのいくつかで、公園の山に、ここが革命の戦士の集合地があったかと目を凝らしたりした。ほかのところも、寒々としたなかで、ふっと、そこに建ついしぶみに目を奪われた。楊貴妃の出浴の姿を彫り込んでいる。見慣れたと言えば、狩野山雪筆、長恨歌絵巻、17世紀前半のもの、複製、それは絵巻の一幅であったから、それと比して、いろはないものの、これは見事である。 . . . 本文を読む

思い出の記 西安の旅 1985年

2017-05-23 | まさごと
思い出を語る。話し出せば長いことになる。聞いている方も厭きてくるだろう。語り終えて何だったんだろうかと思う。どこかで繰り返しているかもしれない。1985年1月に西安に旅をした。西安は、そのあとに、2回か、3回か、訪ねている。懐かしい風景が変わっていくので、こういうことはどこもそうだろうけれど、初めての旅行の印象が強い。32年も前のことになるかと、自分ながら驚く。そのときの兵馬俑の写真集がある。カメラが難しい時代だったので、絵葉書などのものがかえって貴重だったりする。さて前置きにして、どうやって西安に旅したかを語るのも、思い出語りにあれば前後しながら話すことにして、日本語専門家の1984年8月から1985年2月滞在までの、いわば褒美だった、西安一人旅である。春節のあとに専家たちの南方旅行が組まれていたのだが、わたしには入試の業務が本務校であったので帰国しなければならず、一人での旅行をその旧正月の前に希望して7日ほどだったと記憶するが、西安と洛陽を旅程に組んだ。めざした地に、北京から西安への飛行機ということであるが、ここから話すことがそれこそ、びっくりするほどあった時代だし、冒険旅行にもなるつねで、勇躍、出かけてきたものである。。 . . . 本文を読む