現代日本語百科   けふも  お元気ですか

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万葉語り24

2014-02-26 | 万葉語り
万葉集の成立には原本がある。それには伝承されている逸話を記録する。それが歌としての詞の宇宙であったのである。うたは、芸術、技術、文芸といってもよいが、叫びでもあったろう。題詞をつけた、一つのその小宇宙には物語があったろう。をみのほきみ、伊勢の国のいらごのしまに流さゆる時に、人のかなしびて作る歌、第23番歌である。そして第24番歌は、麻続王、これを聞きてかなしびて和ふるうた、とある。かなしびはは、哀傷、感傷の文字遣いに同じ訓をつけている。のちの編者は左注に、右は日本紀をかんがふるに、として、麻続王に罪あり、因幡に流す、ひとりの子をば伊豆の島に流す、ひとりの子をば血鹿の島に流す、を引いている。伊良湖に流されたのではなく。歌によって誤り記した、と注釈する。 . . . 本文を読む

1000年後の日本語

2014-02-26 | 日本語あれこれ百科
読めるか、読めないか、言語には世代間の継承ということがあるので、人々が伝え続ければ、読めるとなる。父母の語を学び、それを子孫に伝えていけば、民族がある限り、ことばは伝えられて1000年後にも読める。日本語について、この地域で3世紀また4世紀に使っていた日本語があったとすれば、その日本語を記録する文字がなかったので、それから時を経て、8世紀初めまで近隣の言語を日本語に取り入れ記録を作ることになる。それでもその日本語が、いまから読めるかとなると、漢字ばかりで書かれた神話を読むことは、後世になって訓読をして読むことになる。歌謡を記録して日本語で書かれたとするが、それを読み解くには時代を経てからのことであるが、その通り読んでいたかは、後世の言語としてのものになる。万葉集の歌に、茜草指武良前野逝標野行野守者不見哉君之袖布流 とあって、これを日本語として読むのは定訓として読み定める作業があってからのことである。日本語を発音表記する工夫は、漢字に対して仮字を作り出したことから、日本語の和歌は読めるようになった。万葉集を経て古今和歌集が作られた、その少し前のことである。およそ1110年前の日本語が読めるのである。 . . . 本文を読む

失墜する

2014-02-26 | 日本語新百科
現代日本語「誤」百科 943 銀行の失墜 を例題にしている。コラムの解説は、失墜 の語義について、この例題では表現内容の不足としている。銀行の信用の失墜 とでもするとよい、と説明するようである。辞書の例文の通りである。失墜について、検索をかけると、信用の失墜、信頼の失墜というふうに、銀行、金融関係がヒットする。その一方で、銀行の信用だけではない用例もあって、その文脈をたどって意味内容を理解する例もある。その権威、ブランドイメージである。それはまさに、そのまま名とともに失墜するわけであるから、例題のように、銀行の失墜といった場合にも、銀行に対する信用イメージから、それを含む銀行そのものが金融取引において低迷して失墜することが起こるのである。 . . . 本文を読む

万葉語り23

2014-02-25 | 万葉語り
万葉集の雑歌が天皇の代を題詞に編集する。万葉集のいわば万代の集である。この語にこめられた願いのように、よろずよであるなら、ここまでで、いまの代では藤原の宮まで6代である。万葉集の名義という。代の解釈がわかりよい。葉をことばに例えて、万の言の葉と見ることもわかりよいだろう。この第22番歌では、明日香の清御原の宮の天皇の代となる。この歌が詠まれた背景には、天武天皇とおくり名された大海人皇子と王位継承の争いが起こっていた。さきの天智天皇の子、それは大友皇子であるが、叔父と甥が皇位継承をめぐって激突した壬申の乱である。この歌は、大海人皇子と額田王との間に生まれ、大友皇子の妃となった十市の皇女が伊勢神宮に参詣した時の歌である。波多の横山の巌を見て、ふふきの刀自が作る歌   かわのへの ゆついはむらに くさむさず つゆにもがもな とこおとめにて    . . . 本文を読む

日本語文法文章論

2014-02-25 | 日本語文法文章論
日本語文法は文の単位に論を作ってきて、橋本文法では文節をその下位単位とした。文法家は学校文法に採用された文節による主語述語の構成また要素を批判してきた。そこには文節を用いる有効性を否定しかねない議論がある。文節が分節によるもであることを知ると、その音韻の区切りは文法議論に意味をとらえていることになる。分かち書きをしない日本語に自立する語と付属する語とを一つのまとまりとし、一区切りとしたことは日本語文法の単位を明らかにしたので、その功績は認めるところである。その単位に学校文法が自立語付属語を用いたために、その語の単位に、自立すると、付属すると、ふたつを取り混ぜて違ったものを一つに説明してしまったことが学校文法をわかりにくくしてしまったのであるが、もとより、語を語以下の単位で接頭語、接尾語としてしまったのも、同じような扱いであったために、説明が難しくなった。 . . . 本文を読む

BYOD(Bring Your Own Device:私物端末の学内利用)

2014-02-25 | わくわく
九州大学がBYOD(Bring Your Own Device:私物端末の学内利用)で、PCの必携化をしたというニュースである。2013年度からとあって、すでに実施の様子だが、いまひとつ、理解できないところがある。ニュースには、国立の総合大学として国内で初めて2013年度の新入生から個人所有のPC必携化に移行した九州大学ともあり、どうも学内でのPC利用のファイアウオールを確立して、可能としたことがあるようだ。 http://wp.techtarget.itmedia.co.jp/contents/?cid=13749 >同大学の情報統括本部では発足以来、学生・職員のICT利用基盤となるネットワークや全学共通認証基盤(SSO-KID)をはじめ、電子メール環境、教育情報システム、各種ホスティングサービスなどの整備・運用に取り組んできた。  というものである。この導入事例のポイントは、BYODにある。このキーワードについて見ると、ウイキペディアでは、次のようである。日本語では、私的デバイスの活用、私有IT機器の業務利用、自分の所有するデバイスを持ち込む、といったような、その持込みについての職場環境の解決が問題である。 . . . 本文を読む

日本語で書かれた最古の手紙

2014-02-25 | 日本語あれこれ百科
手紙は往来であり消息であった。一方で、ふみ、としてとらえられるものがある。書状、書簡となるものである。手紙は近世になって一般に用いられた用語であると解説があるように、それを最古とするのは、もともと文、書、状、柬、箋、簡、牘、札、信などで表されるものである。信書という分類があって、現代の規定では、特定の受取人に対し、差出人の意思を表示し,または事実を通知する文書、2002年平成14年、改正郵便法、大辞林第3版、による定義を用いれば、差出人と受取人がいる形式で成り立つものであるから、同様の理解をして、ここに言われる日本語で書かれた最古の手紙としては、歴史をさかのぼれば、古代の貴族の習慣に、立文とするものがあったので、それを例にすることができるだろう。その内容は文であることから、消息また恋文を想像することができる。手紙を郵便の歴史で見ると、これも近代に整った郵便制度として知ることになるが、やはり古代にもあったのである。古代の通信として原初に行われたのは、人が口による伝達だったり、火や煙をあげたりすることであったりしたが、大化の改新後に律令により、駅制が登場する、その間を駅から駅まで駅馬や伝馬により、使者は馬を乗り継いで手紙を運んだ。 中世の通信 平安時代には駅制はおとろえ、駅そのものも廃絶しました。 . . . 本文を読む

五輪が閉会

2014-02-25 | きょうのニューストピック
師崎―伊良湖フェリー廃止 名鉄海上方針 採算見込めず 20140225中日新聞トップ記事、見出しである。リードには、名鉄海上観光船(愛知県南知多町)は、知多半島の師崎港(南知多町)と、渥美半島の伊良湖港を結ぶカーフェリー航船を九月末で廃止する方針を固めた、とある。記事左の見出しは、新大名古屋ビルヂング 三越伊勢丹が出店 とあり、記事には、大手百貨店の三越伊勢丹ホールディングス(HD)は二十四日、名古屋駅前で三菱地所が建て替え工事中の高層ビル「大名古屋ビルヂング」に新規出店すると発表した、と見える。ソチ2014 熱闘17日笑顔で幕 とある。  . . . 本文を読む

解釈する

2014-02-24 | 日本語百科
解釈という語を文学上の技術としてとらえることがある。百科事典の記述では、Hermeneutik、ドイツ語から文献解釈として説明する。 いわく、テキスト解釈の方法と理論を扱う学問である。テキストは、文字で表現された文書や文学作品だけでないようであるが、作品など解釈をするあらゆる形式の言語作品まで含まれ、語について解釈学の語源は、解釈するを意味するギリシア語、hermēneueinにさかのぼる。古代ギリシア、文献学の補助学として成立したそうである。そこで、いきなり受験用の英文解釈を思い合せるなどすると、解釈するという語の用法の広がりを思わざるを得ない。その解釈を憲法解釈に当てはめ、解釈改憲という語句とすると、その、解釈する、とhどういうことであるかと考え込んでしまう。 . . . 本文を読む

万葉語り22

2014-02-24 | 万葉語り
万葉秀歌のひとつ、額田王が作る歌、これはあでやかな歌である。第20番歌、すめらみこと、蒲生野に遊猟したまふ時に、と題詞に見える。第21番歌には、ひつぎのみこの答えたまふ御歌、とある。そして、明日香の宮に天の下知らしめす天皇、おくりなして天武天皇といふ、とある。天皇と皇太子は、すめらみこと、ひつぎのみこ、それぞれ、天智天皇と皇太弟、大海人皇子である。  あかねさす むらさきのゆき しめのゆき のもりはみずや きみがそでふる   むらさきの にほへるいもを にくくあらば ひとづまゆゑに あれこひめやも    . . . 本文を読む