0831 よさよさとフォーティーズからスリーポイント抜け出して、よいさよいさとぞろ目を続けるのか、よっさよっさ43-43の記録はどこまでも、右ひじにデッドボールを受けてしゃがみ込んだ、その瞬間は球場に緊張が走る、ちょっと前の左手首に起こったことも同様だった、それほどに鉄の腕でもあるまいし、エルボーガードを直撃したかに見えるのは救いで怪我は避けられた、テレビ画面にも伝わる感情、感動は何なんだ、フル稼働するその姿は何か、痛々しくなってきたのは前チームとの違いでDHの役割の難しさ、か。
寿限無とは無限寿命という。無量寿とは寿命無限すなわち寿命の無量をいう。なぜか、阿弥陀仏は無量寿仏であるからその本願を遂げる。
寿限無寿限無五劫の擦り切れ、というところ、この呪文の意味を解くのは難しくない。ただその発想にある時間の観念を説明しきれないから、とらえてみても、それがころも用の羽で、ひと払いをして擦り切れるのはどんな盤石なのか、しかもそれが五劫思惟の時のことだとすれば、法蔵菩薩の願力修行には寿限無である。
>阿弥陀仏が法蔵菩薩であったとき、五劫という長久の時間、思惟して、建立する浄土やその浄土を荘厳する清浄な行を選取したことをいう。
ごこうしゆい/五劫思惟
法蔵菩薩はこの五劫思惟の後に、世自在王如来の前で四十八願を起こし、それを成就して阿弥陀仏となった。
その時間の長さは、劫 kalpaの音写語である劫波の略 長時と意訳
喩えて、芥子劫、磐石劫
世界が形成されていく間を成劫といい、成劫のはじめを劫初と称して成・住・壊・空の四劫を一大劫
現在の一大劫を賢劫、もっとも近い過去を荘厳劫、すぐ未来の一大劫を星宿劫と呼ぶ
https://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/劫
無量寿仏は阿弥陀仏のこと
阿弥陀経に、かの仏の寿命、およびその人民、無量無辺阿僧祇劫 あそうぎこう なり
阿弥陀仏の寿命が無量であること
amitāyusなどの訳語
阿弥陀仏をインドの発音
訳すと無量寿覚
阿弥陀仏の寿命が量り知れないというだけではなく、その救済のはたらきも時間的な限定が存在しないことを意味
寿命無量であるから、第十八願によって一切の衆生を救済することができる
仏の功徳を論ずるに能持所持の二義
https://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/寿命無量
https://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/無量寿
https://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/無量寿仏
https://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/無量寿経
WEB版新纂浄土宗大辞典より