15 日本語で書かれた最古の手紙
手紙は往来であり消息であった。一方で、ふみ、としてとらえられるものがある。書状、書簡となるものである。手紙は近世になって一般に用いられた用語であると解説があるように、なにを最古とするのかは、もともと文、書、状、柬、箋、簡、牘、札、信などで表されるものがあったのであるから、それによって考えることになる。そこで、信書という分類があって、それは何かというと、時代を下げることになるが、現代の規定では、特定の受取人に対し、差出人の意思を表示し,または事実を通知する文書、2002年平成14年、改正郵便法、大辞林第3版、による定義がある。それを用いれば、差出人と受取人がいる形式で成り立つものであるから、同様の理解をして、ここに言う、日本語で書かれた最古の手紙としては、歴史をさかのぼれば、古代の貴族の習慣に、立文とするものがあったことに気づく。それを例にすることができるだろう。その内容は文であることから、消息また恋文を想像することができる。また、手紙を郵便の歴史で見ると、これも近代に整った郵便制度として知ることになるが、やはり古代にもあったのである。古代の通信として原初に行われたのは、人が口による伝達だったり、火や煙をあげたりすることであったりしたが、大化の改新後に律令により、駅制が登場する、その間を駅から駅まで駅馬や伝馬により、使者は馬を乗り継いで手紙を運んだのである。なお、古代には品物の伝搬に、木簡や竹簡を付けたりしていたので、これも手紙の類になるだろうが、日本語で書かれたかどうか、日本語を仮名交じりにみて、それを文とするかどうかによる。。
大辞林 第三版の解説
たてぶみ【立て文・立文・竪文】
①折らずに全紙そのままを横長に用いて書いた書状。立て紙を用いて書いた書状。
②書状を礼紙で包んだ上を別の紙で細長く包み,上下の余った部分を筋交いに折ったのち,さらに裏側へ折ったもの。ひねりぶみ。
http://yuubinnorekishi.seesaa.net/
>日本の通信制度は大化の改新後、大宝律令(たいほうりつりょう)により整いました。全国7つの幹線道路にほぼ等間隔で駅を設け、人や馬で手紙を運んでいました。江戸時代になると商業が盛んになり、手紙のやりとりがますます多くなったため、手紙を運ぶ制度として「飛脚」が発達しました。
手紙は往来であり消息であった。一方で、ふみ、としてとらえられるものがある。書状、書簡となるものである。手紙は近世になって一般に用いられた用語であると解説があるように、なにを最古とするのかは、もともと文、書、状、柬、箋、簡、牘、札、信などで表されるものがあったのであるから、それによって考えることになる。そこで、信書という分類があって、それは何かというと、時代を下げることになるが、現代の規定では、特定の受取人に対し、差出人の意思を表示し,または事実を通知する文書、2002年平成14年、改正郵便法、大辞林第3版、による定義がある。それを用いれば、差出人と受取人がいる形式で成り立つものであるから、同様の理解をして、ここに言う、日本語で書かれた最古の手紙としては、歴史をさかのぼれば、古代の貴族の習慣に、立文とするものがあったことに気づく。それを例にすることができるだろう。その内容は文であることから、消息また恋文を想像することができる。また、手紙を郵便の歴史で見ると、これも近代に整った郵便制度として知ることになるが、やはり古代にもあったのである。古代の通信として原初に行われたのは、人が口による伝達だったり、火や煙をあげたりすることであったりしたが、大化の改新後に律令により、駅制が登場する、その間を駅から駅まで駅馬や伝馬により、使者は馬を乗り継いで手紙を運んだのである。なお、古代には品物の伝搬に、木簡や竹簡を付けたりしていたので、これも手紙の類になるだろうが、日本語で書かれたかどうか、日本語を仮名交じりにみて、それを文とするかどうかによる。。
大辞林 第三版の解説
たてぶみ【立て文・立文・竪文】
①折らずに全紙そのままを横長に用いて書いた書状。立て紙を用いて書いた書状。
②書状を礼紙で包んだ上を別の紙で細長く包み,上下の余った部分を筋交いに折ったのち,さらに裏側へ折ったもの。ひねりぶみ。
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>日本の通信制度は大化の改新後、大宝律令(たいほうりつりょう)により整いました。全国7つの幹線道路にほぼ等間隔で駅を設け、人や馬で手紙を運んでいました。江戸時代になると商業が盛んになり、手紙のやりとりがますます多くなったため、手紙を運ぶ制度として「飛脚」が発達しました。