ネオミリタリズム、これは造語のつもりであった、あったというのは、検索をかけたらヒットして、新軍国主義でブログを書いているのがあった。ネオ・ミリタリズムが、ネオナチを連想させる。ネオナチ Neo-Nazism、ドイツ語では、Neonazismusは、ナチズムを復興しようとする、第二次世界大戦後の社会的あるいは政治的運動の総称のようである。その類似性の運動も含めて、イデオロギーとしても捉えられる。ヨーロッパでは、ナチスを擁護する発言や人種差別、反ユダヤ主義などを法律で禁止するところがある。この語の持つイメージは、ナチズムのシンボルを想起させるが、それをも禁止している。このおどろしい動きに重ねあわせるわけではないが、ファシスト、極右のことがらは歴史ではない、現実があるのである。 . . . 本文を読む
報道の自由、その度合いについて世界各国、地域の順位付けをして、日本は59位だそうだ。国境なき記者団、RSFパリ、の報告書による。12日に発表のニュースから、1位はフィンランド、2位オランダ、3位ノルウエーと続く。日本は東アジアで台湾、韓国を下回る自由度となった。福島の事故報道で、情報の透明性が欠けると昨年に順位を落として53位だったのをさらに悪くしている。それには特定秘密の保護法に、原子力問題を取材する記者の活動がより危険になるとしている。フリーランスや外国人記者への圧力、また偏見があるとされた。対象国は180カ国、アメリカは46位で、昨年から14ランク落としている。英国が33位、フランスが39位、韓国が57位である。中国は習政権で記者の逮捕、外国メディアへの締め付けがあると、175位である。 . . . 本文を読む
それは会話の中で、スイートは好きかと言われたことによる。スイートは好きである。だからそう答えた。そのスイートの語の響きに思い合せてそれは何をイメージするのだろうかと思った。好きだよと言ったのだから、そのときのイメージにはチョコレートがあり、バレンタインデーも近いことだしとか、きかれたことにあらぬ連想をしていたのか、砂糖菓子と思えばそれでよかったのだろう。そう思って、デザートを食べることであった。そこで、スイーツという発音を思い出した。検索をして、また驚くことになる。菓子やデザートは、女性向けメディアではしばしば、スイーツと言い換えられる、とかなんとか説明があったから、もう少し見ると、どうもわたしたちの使うような語ではないと思うような結果になった。女性同士であるか、それをまたネット用語でスラングとするのである。2007年のことであるらしい、もう6年も前であるから、一般化するようなことがあったかどうか、である。スイーツ(笑)、というふうに表記するので、スイーツ脳がなんであるかは思考形態を揶揄したものだというように、ずいぶんとスラングとなると極端なことである。スイートと言っておけばよいか・・・。 . . . 本文を読む
渡部暁「銀」 20140213中日新聞トップ記事、見出しである。ソチ2014 複合NH 20年ぶり と見える。リードには、ソチ五厘六日の十二日、ノルディックスキー複合個人ノーマルヒル(NH)で、渡部暁斗(北野建設、長野県白馬村出身)が銀メダルを獲得した、とある。お改行で記事中見出しに、強さ求め 復活の一歩 とある。記事左の見出しには、スノボ10代 笑顔輝く 「歴史に残る」「やりきった」 とある。記者会見の様子を伝える。平野は15歳、平岡は18歳、若い二人のコメントは自然体だ。その下の記事見出しには、鉄道網を再検証 愛知県予算案 リニア効果活用へ とある。記事の書き出しには、愛知県は、二〇二七年に予定されるリニア中央新幹線の開業で東京名古屋間の移動時間が大幅に短縮される効果を生かした街づくりを進めるため県内の鉄道網の再検証に乗り出す、とある。
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辞書などで「日本語」を「日本語」で定義することは可能なのか、答えは、可能である。いくつかの辞書から、その説明を定義として見る。その記述に触れることは、日本国内、日本人同士で使われる言語として、ほかに、海外の日本人移住者の間で話される、日本語の国語、古来日本民族が用いてきた言語、日本国の公用語などが、見える。詳しく地域を指定して、次のように、日本語はユーラシア大陸の東の端に浮かぶ日本列島(北海道,本州,四国,九州などからなる〈本土列島〉と琉球列島)において、1億2000万の住民により話されている言語である、とする世界大百科事典の説明もある。すると、この問いは何をきいていることになるのだろうか。metalanguage 高次言語のことをさしているのであろうか。つまり日本語を説明するには、説明のための次の言語が必要であるというようなことだ。対象言語の構造や真偽を一段高い次元から論じる言語のことをさしているとすれば、対象言語について、その対象の言語では説明が可能かどうかということである。対象言語と高次言語を同じくする場合には、つまり、日本語は日本語である、日本語は国語である、というふうに、対象言語が使えるので、やはり可能である。、 . . . 本文を読む
万葉集が編集されたと見られるのは伝わる20巻の構成にある。それを当初の成立に見出すのは部類と題詞にある。題詞によって示されるのは、万葉集にある伝承の歌とされるのは、それは時代的に、雄略朝までさかのぼる形で載せる歌がある。そして第1668番歌は第1515番歌と、あきらかに同じ歌が小異を持ちながら編集を経て注記されていることが分かる。このような例を挙げれば、万葉集の全体には、現在成立している全20巻にこの記載が及ぶこととなる。題詞によって示されるのは、どこで、いつの時代に、誰がを記す作歌事情と見られる。それはまた、左注によって必要なときには考証をほどこしていることがわかる。 . . . 本文を読む