読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

話の人

2008-07-18 14:24:20 | 歴史

「勝海舟は書より話の人だった。」と確か司馬遼太郎が書いていた。それを思わせる話がある。「氷川情話」に勝の次ぎのような事を言っている。「おれは、一体文字が大嫌いだ。何ひとつ修業したことはない。ただあの四年間、屏居を命ぜられたお陰で、少々の学問ができた」と。平治元年(1864)から慶応二年(1866)の間、軍艦奉行を解職されている時期が有った。その間、毎日、午前は西洋書、午後は漢書、夜は和書と決め、勉強していたと言う事だ。

黒孩子(へいはいず)

2008-07-17 09:31:12 | 読書

新潮新書「世間のウソ」日垣 隆著から
戸籍とは各個人の家族的身分関係を明らかにするために記載される公文書。夫婦とその未婚の子で編成され、各人の氏名・生年月日、相互の続柄(つづきがら)などを記載し、本籍地の市町村に置かれる。(国語辞典(大辞泉)から)

この戸籍の制度は日本、中国、台湾、韓国、北朝鮮にのみある制度だそうである。
一人っ子政策を採る中国では二人目の出産は許されない。二人目が生まれた場合は無籍となる。つまり戸籍が作れないのである。そうした子を黒孩子(へいはいず)と呼ぶ。黒孩子は出生が記録されないだけでなく義務教育は受けられず、その後あらゆる場面で差別を受ける。結婚、就職、入院などの場面でである。労働条件では最低限の生活を強いられる。このような子供達を中国南部広西チワン族自治区の玉林市の医療関係者五十二人が売り飛ばした事件が有った。子供の数は百十八人に及んだ。内百十七人が女児だった。2003年10月のことである。

お地蔵さん

2008-07-16 09:03:32 | 宗教

私が現在の地に引っ越してきたのは二歳のときで、今から六十二年前の事、近くの川に落ち、百メートルほど流され仮死状態で偶々その川で足を洗っていた人に救われた。そこにお地蔵さんの像が立っていた。地蔵信仰は平安時代の中頃から始まったと言われるがその時代の末期に成立した今昔物語に二十三話ほどの地蔵さんに救われたと言う説話が有って数年前、その今昔物語の地蔵信仰の説話だけを全部読んで見た。その説話に共通して語られるのは地蔵さんが小僧で非常に美しい姿で出て来ると言う事と命日が二十四日であると言う事だった。今でもその命日には各地で地蔵盆や地蔵祭りが年中行事として行われているが、衆生のそばに有って見守り、救うと言う信仰は数有る如来や菩薩のなかで群を抜いているのではないかと思う。

「百枚の定家」を読んで

2008-07-15 13:39:23 | 読書

「百枚の定家」梓沢 要著、新人物往来社はかなりの長編小説だ。作者紹介の記事を見ると女性だ。定家についてのかなり詳しい調査がしてあって現代の小説だが歴史小説とも言える。百人一首についても定家についても詳しい知識を得る事が出来る。殺人事件も最後の部分に出てきて推理小説の側面も有る。

新聞連載小説「親鸞」

2008-07-13 09:21:10 | 新聞

九月から中日新聞に五木寛之の連載小説「親鸞」が始まると言う。五木氏には多くの仏教関係の著作が有る。書店や図書館に有り、横目で見るだけでまだ読んでいない本の一つに岩波新書の同氏作「蓮如」がある。蓮如は宗教家と言うより政治家と言う感が有るためその本に手が伸びない。知り合いの人に、だから自分の家の仏壇には蓮如の像は掲げてないと言う人が居る。何れにせよ、来月から始まる「親鸞」には楽しみが持てる。

緩和された中国の一人っ子政策

2008-07-12 10:04:43 | 読書

新潮新書「世間のウソ」日垣 隆著より
1984年、アメリカからの人権侵害非難により中国政府は「一人っ子政策」を多少緩和したと言う。
両親ともに人っ子だった場合は二人目を産める。只し二人目を産まないと約束した者には「一人っ子父母栄光証」が与えられ500元の表彰金も与えられ、子が18歳になるまで学費の援助が得られる。
一人っ子を失った場合は二人目を産む事ができるが事故や病気で子を失った後、それでも産まないと宣言し中国の国策に忠誠を誓った者にはは5000元の表彰金が与えられるのである。これらの資金は一人っ子政策に違反した親からの罰金が充当されるのだそうである。
この他に1100万人以下の少数民族や労働力不足の農村では二人まで産めるという緩和策があると言う。中国にはおよそ55の少数民族がいると言う事だ。

中国の食品偽装

2008-07-11 10:23:24 | Weblog
活字中毒のモモさんと言う人が紹介している本
「中国ニセ食品のカラクリ」  富坂 聰著 角川学芸出版から
日本の食品偽装事件が後を絶たないが中国のそれはもっと強烈なもののようだ。モモさんのマガジンから文章を引用させて頂いた。
中国の「ニセ卵」作りは私も一度テレビで見たことがあった。日本では
卵の値段は物価の優等生と言われるくらい安価である為、偽の卵など
作っても材料費の方が高くつくのでは?と思うが中国ではそうでもないらしい。
偽卵の作り方は簡単で、殻は石膏の粉と食用パラフィンが原料で、中
身は海藻酸ナトリウムとゼラチン、みょうばん、でんぷんなどを
混ぜて作る。本物そっくりの卵になるそうだ。これはテレビで見た。
本当にその通りで見た目は見分けがつかない。これを、本物の卵の中に
紛れ込ませて流通させる。卵一個の値段が3円程度で、偽卵の製造コストは
0.75円。一日辺り1500個の生産が可能だそうで、そうすると、一日の利益が
3400円くらいになる。
たかだか3000円、と考えてしまいがちだが、農村では年間の現金
収入が1万円程度という家庭も多い。3000円は大金だ…。
他に偽のミルク、偽の牛乳は水道水に粉ミルク、食用の白い色素を溶かしたものが
混ぜられている。牛乳に水を混ぜると酸化するので、それを防ぐために洗剤や、ひ
どい話だが牛の尿を混ぜる例もあったという。


ある竜馬についての話

2008-07-10 09:30:19 | 歴史
「命も要らず、名も要らず、官位も金も要らぬ人は、始末にこまるものなり。この始末にこまる人ならでは、艱難を共にして国家の大業を成し得られぬものなり。」とは「南洲遺訓」にある西郷隆盛の有名な言葉だそうである。これは西郷が竜馬の事を言ったものなのか、この事を示唆する逸話が有る。大政奉還のおり竜馬は新政府役員の候補名簿を作成した。ところが竜馬はその名簿のなかに自分の名前を入れなかった。それに気付いた西郷は「こりゃー、どぎゃーしもうしたもんかいの。」と竜馬に尋ねたと言う。竜馬は「あしゃー、出ませんぜ。」「世界の海援隊でもやりますか。」と答えたと言う。この話は司馬遼太郎も書いているが、賀来耕三氏は「我に策あり」小説坂本龍馬のなかで「残念ながら、このセリフは史実ではない。大政奉還後、新政府の要員リストを二人が検討し合った、時間的な余裕はまったくといっていいほどなかった。」と書いている。「二人には別々のアリバイが存在した。」と言うのである。そうすると司馬遼太郎のあの竜馬と西郷のセリフはどんな資料に拠ったのだろう。

月日は百代の過客にして

2008-07-09 10:08:34 | 読書

「月日は百代の過客にして・・・」は芭蕉の「奥の細道」に出て来るがこれは李白の詩から引用されているらしい。ところが李白がその詩で言いたかった事は「生きている間に楽しんでおくのは良い事だ」と言う事のようだ。
「夫天地者万物之逆旅、光陰者百代之過客也。而浮生若夢、為歓幾何。古人秉燭夜遊、良有以也。」
天地はそもそも万物の旅館で、時は百代の旅人である。人生は夢の如くはかない。楽しめる時間はどれほど残されているか。古人が夜も惜しみ燭を点け遊んだのは理に適ったことだったのだと言う事だそうだ。

竜馬の事

2008-07-06 11:08:12 | 歴史

「夜溺(よばあ)たれ」と成人になっても人から言われ続け、姉の乙女からも「土佐の芋ほり」などと呼ばれた竜馬も江戸へ留学した。(後に脱藩する事になるが)土佐で目立つ事も無く、茫洋としたままだった竜馬を人は江戸へ行っても剣術修行だろうぐらいにしか思っていなかった。しかし竜馬は西洋砲術の大家、佐久間象山の私塾に入門した。嘉永六年(1853)の事である。この三年前、象山は江戸深川の藩邸で西洋砲術教授の看板を掲げていたのだ。その翌年、木挽町に場所を移したがその象山門下に勝麟太郎(海舟)、吉田松陰、橋本佐内、河合継之助など錚々たる人物が学んでいた事が有ったのである。