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司馬遼太郎が信長は「積極的な」と言う修飾語をつけて無神論者だったと書いているが、同じ司馬遼太郎のライフワークで「街道をゆく」43の「濃尾参州記」のなかで信長が桶狭間で今川との戦に行く直前に「信長は清州城であの有名な逸話の「敦盛」を詠い舞った後、熱田神宮に行き、戦勝を祈願した。」と書いている。そして信長はそこで「社殿の奥に、金革の音(鎧が摺れる音)がした。」と言い、神明の加護を得たと言うのである。尤もこの時の起請文などはなく、これは自軍を奮い立たせるための戦術で信長はやはり無神論者だったのだろうか。