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昔、大野晋氏の「日本語の年輪」と言う文庫本を読んだ事がある。新潮文庫だったと記憶している。それによれば言葉と言葉は網の目のような繋がりが有ると言う内容が書かれてあり、それが記憶に残っている。例えば「思う」と「考える」は似たような意味の言葉であり「~へ行こうと思う」と「~へ行こうと考えている」はどちらでも言える。しかし「今夜の献立を考える」とは言えるが「今夜の献立を思う」とは言えない。一つの言葉の意味内容の円ともう一つの似た言葉の意味内容の円は重なり合っていて、重なっている部分はその似た言葉のどちらでも使えるがその意味内容の重なっていない部分は使用する言葉はどちらかに限定される。その重なった部分が網の結び目なのである。同じ大野晋氏の「日本語練習帳」岩波新書を読んで言葉について同じ事を感じた。