読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

嫁が君

2008-12-31 13:27:07 | 読書

中村草田男の句に「年に一度はものに臆すな嫁が君」が有る。「嫁が君」とはネズミの事で正月三が日だけはネズミと言う言葉を使わず、それは大黒天の使いでもあるので嫁が君と言う忌み言葉で呼ばれると言う。俳句などの季語にもなっている。が何故、嫁なのかは「嫁が君」についての触れている日本語おもしろい」坪内忠太著 新講社のなかにも説明がない。嫁は「夜目」ではないかと説が有るが。

暖かい部屋か温かい部屋か

2008-12-30 08:25:29 | 読書

暖かい部屋か温かい部屋か。暖か温か、この場合どちらの漢字を使えば良いのか。暖かいスープか温かいスープか、ふところが暖かいか、ふところが温かいか。あたたかいを漢字変換すると両方の漢字が出て来る。これを決めるいい方法がある。それぞれの漢字の反対の漢字を入れて判断するのである。
暖かいの反対は寒いで寒い部屋となり、温かいの反対は冷たいで冷たい部屋となるがそうは言わないからこの場合は暖の方を選ぶ事になる。同様に寒いスープとは言わないからこの場合は温を使う。ふところは同様にして判断して冷たいとは言わないから暖かいとなる。温度を上げて、暑いか熱いで判断しても良い。

たらい回し

2008-12-29 09:23:45 | 読書

病院をたらい回しにされて助かる筈の命が失われたと言う事件が跡を絶たない。
たらいとは昔、洗濯や行水に使ったような桶を言うが、これを仰向けに寝て足で回す曲芸が有った。足で回しながら次の芸人へ渡すのである。渡し終われば前の芸人の役目は済む。責任が次の人に渡されるのである。ここから「たらい回し」と言う言葉が生まれた。それはともかく、医師不足も言われるが昔のように助産婦(師)の増加も図った方が良いだろうと思う。

国字は何時頃から出来たか

2008-12-28 10:12:04 | 漢字

日本で出来た漢字を国字と言う。辻、峠、裃、躾、その他魚偏の付く漢字は殆どが国字だ。中国文化が発生したのは海から遠い内陸部で有った。揚子江や黄河はあったが魚の種類は少なかっただろうから魚の付く漢字は会意文字としてはそれほど多くは生まれなかっただろう。一方、日本は四方が海に囲まれ豊富な種類の魚が見られ魚偏の漢字が多く作られた事は容易に理解出来る。
こうした国字の一部は奈良時代から既に使われていた事は解っているそうだ。710年から784年まで都は奈良の平城京にあった。その平城宮の遺跡から多くの木簡が発見され、その木簡の一つに鰯と言う文字が書かれてあったと言う。魚と弱との会意文字である。しかしこの平城宮の前の都の藤原宮跡から出た木簡にはこの鰯は「伊委之」と万葉仮名で書かれてあるものが発掘されている。この事から見て伊委之から鰯への変化の背景には漢文の学習が進み、その形式に従った文書を書く必要が出来たと言う事実が有ったと思われる。

有頂天

2008-12-27 09:20:43 | 読書

「有頂天」は仏に最も近い世界の事を言うのだそうだ。世界は下から我々の住む欲界、色界、無色界から成ると言う。上に登るほど仏に近付くが有頂天はこの無色界の最も上部にある界だそうだ。程遠い界に我々は住んでいる。

断腸の思い

2008-12-26 14:20:06 | 読書

中国は晋の時代、桓温と言う君主が船で蜀に向う途中のこと、家臣の一人が小猿を一匹捕らえた。怒った母猿は子を取り戻そうと追いかけたが船は岸を離れた後だった。母猿は岸に沿ってその船を追いかけた。百里ほど走ったところで川幅が狭くなり、岸から母猿が船に飛び乗ってきたが力が尽き、そこで死んだ。その母猿の腹を桓温が家臣に命じて開かせると腹は悲しみと怒りで腸がずたずたになっていたと言う。断腸と言えば永井荷風の日記に断腸亭日乗が有る。荷風37歳の大正6年(1917年)9月16日から、81歳で死去する前日の昭和34年(1959年)4月29日まで記されている。当時の東京の風景を知ることが出来る貴重な史料であり、日記文学としても有名で私も高校時代に国語の時間にその一部分を読んだ記憶が有る。関東大震災や東京大空襲などについても記されている。永井荷風も色々なことに断腸の思いだったのだろう。現代に住む我々もだが。

「カンガルー」の意味は「知らない」と言う意味ではなかった。

2008-12-25 09:42:31 | 読書

キャプテン・クックがオーストラリアに来た1770年頃、始めて見た動物をについて、「あれは何だ」と現地人に尋ねた。「カンガルー」と答えたためその動物の名がカンガルーになった。ところがその語の意味は「知らない」と言う意味だったのだと言う逸話が有る。私もそう思っていた。現地の言葉でカンガルーとは本当は「跳ぶもの」と言う意味だそうだ。がこれもネット上の百科事典「ウィキペディア」で言われている事で、実際にアボリジニーの人達やその当時の言葉を調べた上での事なのだろうかと思う。

虫が好かない

2008-12-24 11:33:53 | 読書

日本に仏教が伝来した頃、道教も伝来した。その道教の考えでは人の体内には三匹の虫が住んでおり、その人を監視しているのだそうだ。そしてその虫は時折、その人体から抜け出して天帝に監視して事を報告すると言う。江戸時代、この三匹の虫のそれぞれに更に三匹の虫の仲間が居ると言う考えが生まれた。九匹になるのである。この九匹が体内で動き、快、不快、上機嫌、不機嫌などの感情を引き起こすと考えられるようになったのだそうだ。ここから虫が好かないとか、腹の虫が治まらないとか、虫の居所が悪いとか、虫酸が走る、虫の報せ、虫がいい、泣き虫、弱虫などの感情表現が生まれたと言う事だ。

「山笑う」を反省

2008-12-23 14:16:47 | 読書

少し前、「山笑う」は五月に掛かる季語とか枕詞と言うようにブログに書いた事が有る。
山笑うは、早春の山々に芽吹き、山が明るく色づく様子を表した俳句の春の季語だった。
中国は宋の時代の禅宗の画家、郭熙(かくき)の「春山淡冶にして笑うがごとく」が出典だそうだ。「故郷や どちらを見ても 山笑ふ」子規。

続「覆水盆に返らず」の水

2008-12-18 09:52:33 | 読書

「覆水盆に返らず」の故事は、中国は周の時代、呂尚と言う人物がいた。太公望として知られるが彼は若い頃、本ばかりを読んでいて家庭の経済を省みなかった。このため妻は家を出て行ってしまった。しかし呂尚は後に周の文王に取り立てられ、更に斉の国王までに出世したのである。ここに出て行った妻が復縁を求めて来た。が彼は盆に入れた水を零して見せ「一度零れた水は盆には戻らない。」と復縁を拒否したのである。盆はやはり底は平らだが水を入れる浅い鉢を言う。京都盆地、奈良盆地と言う盆地の盆である。昔、息子が奈良の大学に居て、良く国道25号を走った。その名阪国道を天理の山から降りて行くとき下に天理の街が見える。盆の底に降りて行く感じがしたものだ。