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「自由」はフランス革命以来の世界的価値観である。この語は幕末に日本に出来た。福沢諭吉は「西洋事情」のなかで「総(すべ)て其国に居り人と交わりて気兼ねなく遠慮なく自力だけ存分のことをなすべしとの趣意なり。英語に之をフリードムまたはリベルチと云ふ。未だ的当の訳字あらず。」と「自由」の語に注をつけている。彼がこの注をつけなければならなかった理由が有った。西洋生まれのこの「自由」の概念が漢語としての「自由」とはまるで違った意味だったからだ。中国は三国時代の魏の末、王朝を乗っ取る司馬氏一族の企みが露見し王朝は危機に迫られていた。そんな中、王朝の二人の将軍が司馬氏討伐の建議を上奏した。司馬氏を告発したその文中に「権を専らにして勢を用い、賞罰自由なり」とあった。権勢を欲しい侭にして自分の好き勝ってに賞罰を決めていると言うのだ。つまり漢語本来の「自由」は勝って気ままで周囲の事など意に介さない事を意味したのだった。福沢がその「西洋事情」のなかで「自主任意、自由の字は我儘放盪にて国法をも恐れずとの義に非ず。」と「自由」と言う語を使うに当たってその語を定義し直す必要が有ったのだった。