読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

飛行士も意識変化

2009-03-31 15:07:13 | 読書
臨死体験によって死を恐れなくなったと言う意識変化は子供が臨死体験をしたときでも起こるが宇宙体験を通しても宇宙飛行士に意識変化が起こると言う。飛行士エド・ミッチェルもそうした一人で彼によれば「宇宙の本質は物質ではなく霊的知性なのだ。この本質が神だ。」「人間は物質的レベルでは個別的存在だが精神レベルでは互いに結合されている。人間のみならず、世界の全てが精神的には一体である。」と述べている。この辺のところはよく理解出来ないが、引退したNASAの宇宙飛行士に牧師になる人が少なくないらしく、こうした意識変化が起きている事は本当の事だろう。

七福神

2009-03-29 08:55:18 | 読書

七福神は殆ど外国人だそうだ。日本的な風貌を見せる大黒天でさえ出雲の大国主命だと思われているが実はそれは中世以降に習合が起こったもので元はインドの神なのだそうである。えびす神は日本製らしく、この信仰の始まりは日本各地の漁村にあった。日本の殆どの漁村には古代から漂着した死体に神を感じる風習があったらしく、その死体に豊漁を祈るようになったと言う事らしい。これが小脇に魚をかかえ、釣り竿を持つにこやかな表情のえびす神の信仰に繋がったに違いない、と司馬遼太郎が「この国のかたち(三)」文藝春秋社に書いている。

鍼治療とエンドルフィン

2009-03-28 11:12:17 | 読書

強力な鎮痛作用と快感作用を持つ物質が体内で自然の生産されると言う事が解ってから今まで謎だった現象が説明できるようになった。その一つに鍼麻酔がある。鍼を打つと何故麻酔なしで手術が出来るのか。昔、中国でこの模様が放映され日本でもテレビなどで流され見た事が有るが中国共産党のプロパガンダと見て、私は信じなかった。鍼麻酔は現象としては認められていたのである。がその合理的な説明は出来なかった。しかし特定の場所に鍼を打つと体内で大量のエンドルフィンが分泌され痛みの感覚が遮断される事が解った。西洋医学でもヒトの脳の中脳中心部を電気刺激すると鎮痛作用が有る事は解っていたがこれもそうする事によってエンドルフィンが放出されている事が解ったのである。プラシーボ効果、戯薬効果と言うのもこれで説明が可能なのである。この薬はよく効くと言って患者に飲ませると効く事が有るがこれも説明できなかったが鎮痛剤のプラシーボを与えて血流を調べて見るとエンドルフィンが分泌されている事が解ったのである。心理的な思い込みが生理的変化を起こしていたのである。立花隆著「臨死体験」から

エンドルフィン(脳内物質)

2009-03-27 10:20:58 | 読書

脳内に麻薬と同じ働きをする物質が発見されたのは1975年の事で、所謂、脳内麻薬物質は既に二十種以上が発見されている。その内最も有名なのがエンドルフィンである。内因性モルヒネを意味する。つまり体内で出来るモルヒネである。その構造も作用もモルヒネそっくりである。アルファ、ベーター、ガンマなどの幾つかの種類が有りベーターエンドルフィンが最も強くモルヒネの十倍以上の強さが有ると言う。鎮痛作用と快感作用である。
立花隆著「臨死体験」から

文章日本語の変化

2009-03-26 09:10:47 | 歴史

鎌倉時代、流浪の下級官人であった頼朝をかつぎ鎌倉幕府を作った社会がその幕府によって土地所有が安定し、現実化したとき現実を現実としてみる精神が一般社会に広まったとき文章日本語もまた変化したと言う。平安時代の宮廷の漢文は文章博士(もんじょうはかせ)により細かく形式を整えていた。が鎌倉時代では幕府の公式記録の「吾妻鏡」でさえ、その文章は機能的で飾り気無く、意味が通じる事だけが重要視されていた。文体は漢文に似てはいたが日本語そのものであった。
他にこの十三世紀の文章変化の最大のものに親鸞の語録「歎異抄」がある。親鸞の談話を唯円と言う農民同然の僧が文章にしたものである。私的なメモと言うべきもので平安期の文章のように形式を衒う必要は無く、信心についての素朴な疑問を親鸞に説いて貰い、唯円は自分の出身地である常陸の国に戻って同信の徒に報告しなければならない必要からあいまいさのない実用文であらねばならなかったのである。

明暦の大火2

2009-03-25 10:21:35 | 歴史

この火事に懲りた幕府はこれを機に江戸市中の区画整理をやり直した。寺を移転させ、大名屋敷を他所に集中させ、道を広くして防火帯を作り火事が燃え広がるのを防ぐようにした。その広場に静岡から火伏せりの神、秋葉権現を招致した。今は電気店街になっている秋葉原にその名が残るのみである。現在の上野広小路の「広小路」も又当時出来た道の名残である。さらに本妙寺は当時の老中、阿部忠秋から、出火以来「供養料」を毎年貰うようになった。これは多額の金で大正まで続いていたそうである。阿部忠秋の屋敷は本妙寺の隣にあり、法華経の触頭(幕府からのお達しを宗派内に伝える役目)にまで出世し、法華経の寺の中では群を抜く力を持つようになった。一つこれから疑える事が有る。出火元は本妙寺ではなく本当は阿部屋敷だったのではないかと言う事である。実はこのことは昭和の末になってから本妙寺がその寺報に書いているのだそうだ。

 

明暦の大火

2009-03-24 09:48:04 | 歴史

明暦の大火は四代将軍家綱の時代の事で有った。江戸の町は急速に発展し、城下は混雑した状態となり、加えて大名家の相次ぐ取り潰しにより武士は職を失い町に溢れた。何かを求めて浪人たちは江戸に向かい、そうした者が集まりスラムに似た町が勢い増えざるを得なかった。奇妙な事が有る。この明暦の大火の火元と言われた本妙寺は取りつぶしにはなっていないのである。それどころか同じ場所に再建が許されたのである。明暦の大火で焼けた寺はどれも江戸市中では再建が許されず、全て江戸市外への移転を強制されたのである。従って現在に到るも当時の江戸市中だった千代田区や中央区には寺が殆どない状態になっている。

 

脳内物質

2009-03-22 09:47:32 | 読書

臨死体験における幸福感や恍惚感はエンドルフィンという脳内物質によって説明出来るのではないかと最近言われるようになったそうだ。
脳は神経線維が複雑に走査する神経回路で出来ている言わば精妙なコンピューターと見られて来た。つまり脳の中の情報伝達は神経回路を走る電気信号によるものと考えられてきた。が最近は脳は複雑な電子機械と言うより精密な化学機械と見るべきだと言われるようになって来た。脳内での情報伝達はその電気信号だけではなく、神経伝達物質と呼ぶ化学物質が大きな役割を果たしているのだ。その種類は非常に多くまだ全てが解明はされていないそうだ。この物質は百万分の一グラムとか十億分の一グラムという極めて微量で効果を発揮するものでこうした物質を発見するのに研究者は三万から五万頭のブタや羊の脳を磨り潰すと言う事だ。このエンドルフィンと言う脳内で生産され脳内で消費される物質も五十マイクログラムを抽出するのに同様の量の動物の脳が必要と言う。

漱石の臨死体験

2009-03-21 09:31:37 | 読書
漱石は四十三歳のとき、胃潰瘍で伊豆の修善寺で療養中に吐血し生死の境をさまよった。
(それが原因で四十九歳で死去している)
漱石は「思い出す事など」の中で書いている。「大吐血後五、六日経つか経たないうちに、時々一種の精神状態に陥った。それから毎日のように同じ様子を繰り返した。遂には来ぬ先にそれを予期するようになった。そうして自分とは縁の遠いドストエフスキーの享けたと云ふ不可解の歓喜をひそかに想像してみた。それを想像するか思い出すほどに、余の精神状態は尋常を飛び越えていたからである」漱石はこの状態を形容して「魂が身体を抜けると云っては語弊が有る。霊が細かい神経の末端に迄行き亘って泥で出来た肉体の内部を軽く清くすると共に官能の実覚から遥かに遠からしめた状態であった。」「余の心は己の宿る身体と共に、布団から浮き上がった。」ここにドストエフスキーが出て来るのは彼がてんかん持ちで、発作が起きるたびに至上の恍惚感を味わった事を漱石が幾度も書いているからである。

続「訓練で臨死体験が出来るようになる?」

2009-03-20 13:38:03 | 読書

立花隆著「臨死体験」から
臨死体験を訓練して出来るようになったと言う山口県宇部市の小森さんは始めこうした能力を開発するようになったのは二十七、八歳の頃、金縛りの状態になったとき、死んだ恋人の幽霊に逢う体験が切っ掛けだったそうだ。その幽霊は生きた人間そのもので体温も有り、呼吸も感じたと言う。小森さんはそれは当然、幻覚であろうと思ったが幻覚でもいいからもう一度その恋人に逢いたいと思った。そこでどうしたら良いか判らなかったが、金縛り状態になる事がかぎだろうと思い、呼吸を止める事を体を絶対に動かないようにしてやったそうだ。そのうち目の前に紫の棚が現れ、それが開き体がしびれ、光が見えてくるようになった。後、三十四歳の頃、結核で一年ほど入院していた頃、退屈でまたその練習を毎晩やっていると遂に屋根を突き抜け体が天に上っていく感覚を得るようになったそうである。