読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

キリスト教の悪人正機説

2009-04-29 09:53:19 | 宗教

「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」と言う悪人正機説は余りにも有名だが、そうした考え方はキリスト教にも有るらしい。
「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪びとを招いて悔い改めさせるためである。」とルカ5の31に有るそうだ。

漢字は怖いもの

2009-04-26 09:12:32 | 漢字
「世界一受けたい授業」と言うテレビ番組で武田鉄矢が漢字の成り立ちについて説明していた。お笑いタレントに横たえた棒の上に首だけを出させ、両腕はその横たえた棒の上に伸ばして載せる。それから漢字の説明を始めた。番組のこのシーンの写真だけが新聞のテレビ欄に載せられていた。この写真を見て「方」と言う漢字を表している事が私には判った。
番組では当然、白川静の名も出る筈だと考えていた。その通りになった。武田は「漢字は怖いものだと覚えて置いて下さい。」と言っていた。漢字の歴史を遡れば紀元前1300年前の殷、周の時代の甲骨文字になる。その甲骨文字は人とのコミュニケーションを目的としたものではなく、神とのそれであった。物事を表し、象徴する線画で神の意思を占ったのが始りであり、当然「怖い」要素も含まれるし、文字の一つ一つがその時代の思想を表し、含んでいる。

キリスト教の他力本願

2009-04-25 19:16:13 | 宗教

親鸞は比叡山での修行では仏が見えず、京都の六角堂に籠っていたとき、聖徳太子の声を聞いて法然の専修念仏の門下に入り、他力を本願とし、救われる端緒になったとか。カトリック司教の森一弘氏が作家の五木寛之氏との対談で話している。
森氏も修道院で修行していたとき行き詰まり、修楝長に「もうぼく無理ですから、あきらめます。」と言いに行った。修楝長は「理屈はいい。とにかく寝に行きなさい。今日はお祈りもなにもしなくていいから。」と答えた。森氏はベッドの上に身を投げ出し、涙を流しながら眠ったと言う。そのとき夢の中にマリア様が出てきて「何も心配することはない。あとは任せなさい。」と言ったそうである。翌日、眼が覚めたとき、もう悩みは消えていたと言う事である。自分の力に頼っていた生き方から神にゆだねて生きる生き方に転換して以来、四十数年、この道をやめようと思った事はないそうである。

雑感

2009-04-25 09:59:05 | Weblog

私の知り合いにたった一人クリスチャンの人が居る。聖書を年に四回から五回ほど繰り返して読むと言う。読むたびに新しい事が解るそうだ。キリストは自分の教えを文字に書き残してはいない。これは釈迦でもマホメットも同じだが、弟子達が後に書いたものだ。仏教の経典も同様だ。聖書は一冊、我が家にも有るが開いて読んだ事が一度もない。息子が学生時代に布教に訪ねて来た人に貰ったと言う物だ。一人、無人島に行くとするとどんな本を持って行くか、聖書だと言う人が居た。作家、立松和平はインドをはじめて放浪したとき、岩波文庫の「ブッダのことば」を持って行ったと言う。繰り返して読みたい本はどんな本のか、私にはまだそう言った本が無い。

「悲」と言う漢字

2009-04-24 10:32:02 | 漢字

カソリック司教の森一弘氏が作家の五木寛之氏と対談している中で「悲」と言う漢字を調べて見ると心に羽がついていて、引き裂かれるような心を意味している事が解ったと言っておられた。心の上の非を羽と解説した書物を読まれたのだろう。ちょっと疑問に思ったので私も調べて見た。白川静著「字通」によると、悲は形声で説文解字では、痛むなりとあって悲痛の情を言う。非は否定的な心情を示す形況的な語で沸鬱とした感情を言うとある。ここまでは良い。非を調べて見ると、これは梳き櫛の形で左右に櫛の歯が並んだものである。羽ではなかったのだ。説文解字では「違うなり、飛下する翅(はね)に従う。その相背くを取るなり」と鳥の飛翔の形としているがそうではなく、仮借して否定の意に用いるようになったと「字通」に有った。

今日は雑誌のリサイクル

2009-04-23 13:51:32 | 読書

今日は図書室と別の図書館で雑誌のリサイクルが有る予定なので出かけた。最初に行った図書室では雑誌だけでなく本もリサイクルで出されていた。ここでは一人何冊と云う制限は無く、雑誌だけが二冊までと言う制限が有った。リサイクルには雑誌は多くは出されていなかった為に制限が一人に二冊だったのかも知れない。私はここで以前から歴史関係の雑誌を手に入れる事を目当てにしていたのでこのイベントは本当に在り難いと思った。もう一方の図書館は今日は雑誌のみのリサイクルで一人三冊と言う規則だった。開館時刻の前から7、8人が待っていて開館と共に雑誌のリサイクルのテーブルへ向かって行った。ここでも歴史関係の雑誌を目当てにした。雑誌は園芸関係のものに人気が有るようだった。
「一人二冊までですよ。」と係員が声を数度掛けていた。

世界一受けたい授業

2009-04-22 10:39:36 | 新聞

中日新聞夕刊に隔週で「白川静文字学入門、漢字物語」と言う連載があるそうだ。読みたい連載だが、今、我が家はこの新聞の夕刊を購読していない。新聞店の経営者が数年前に変わってから、長年講読していた夕刊を止め、朝刊だけにした。以来、朝刊だけでも別に問題は無いなと思いながら暮らして来たが時折、このような是非、読んでみたい連載が有ると夕刊の講読を止めないほうが良かったかなと思う。白川静さんは私の大学時代も在学しておられたが白川さんは文学部の教授で私は法学部だったから白川さんの授業を受ける機会は無かった。「世界一受けたい授業」と言うテレビ番組が有ったが私には白川先生の講義がそれに当たる。

疑・「悲」と言う字

2009-04-21 18:11:46 | 読書

作家五木寛之とカトリック司教森一弘との対話が本になった「神の発見」の中で森氏の話で気になった事が有った。
森:「悲」という漢字の語源を調べると、上の「非」は「羽」で、つまり下の「心」が裂かれている状態ですね。と言う言葉が気になった。「心が引き裂かれて、内側から慟哭しますよね。それが「悲」。」と言う部分である。心に羽が付くと何故、引き裂かれる事のなるのだろうと思った。後日、調べてみようと思った。

「神の発見」五木寛之

2009-04-18 10:50:51 | 宗教

タイトルの本は、五木寛之がカトリック司教の森一弘氏と対話し、それが本になっているものだ。五木寛之はこのなかで「自分はブディストのつもりでいるが歎異抄を読んでいても、この部分は聖書のあの部分と重なると思う。」と書いている。私もカトリックの教えのある部分が浄土真宗の教えと同じ部分が有ると感じた事があった。ところで森氏の話の部分は読んでいても良く理解出来ない。仏教もキリスト教も信仰と言う点で同じで少しは理解出来る筈だと思っていても未だにキリスト教関係の本は何か地に足がつかない感じがするままだ。息子が学生時代に貰ったと言う聖書が実は一冊有るのだが私は開いた事がない。

杏林

2009-04-17 10:36:32 | 読書

杏仁(きょうにん・あんにん)はあんずの種の中の核の部分(仁)のこと。オレイン酸、ナトリウムやカリウム、鉄分、カルシウムなどを含み、アミグダリンという成分が含まれ、中国で漢方薬として使われている。咳止め、鎮痛、解熱、利尿、健胃など薬効があるとされる。中国古代の医者が病気が治った患者から治療代のかわりにアンズ(杏)の苗木を一本ずつ寄付させ、診療所の地に植え、杏林と言うほどに広く育てた。杏林病院とか杏林医大などはこの中国の故事に由来しているのだそうだ。