親鸞は比叡山での修行では仏が見えず、京都の六角堂に籠っていたとき、聖徳太子の声を聞いて法然の専修念仏の門下に入り、他力を本願とし、救われる端緒になったとか。カトリック司教の森一弘氏が作家の五木寛之氏との対談で話している。
森氏も修道院で修行していたとき行き詰まり、修楝長に「もうぼく無理ですから、あきらめます。」と言いに行った。修楝長は「理屈はいい。とにかく寝に行きなさい。今日はお祈りもなにもしなくていいから。」と答えた。森氏はベッドの上に身を投げ出し、涙を流しながら眠ったと言う。そのとき夢の中にマリア様が出てきて「何も心配することはない。あとは任せなさい。」と言ったそうである。翌日、眼が覚めたとき、もう悩みは消えていたと言う事である。自分の力に頼っていた生き方から神にゆだねて生きる生き方に転換して以来、四十数年、この道をやめようと思った事はないそうである。