「コギト・エルゴ・スム」(cogito ergo sum)はデカルトの
有名なラテン語の言葉だ。「我思う、ゆえに我有り」と辞典に載せられている。cogitoのco-は「共に」の意味、cooperationのco-,やcoodinateのco-もそうだろう。日本語でも最近使われるコラボレーションなども。
cogitoのgitoはagitare「動かす」からの語からだそうだ。これも「アジ」をとばすと言うときのagitateから来ているようだ。cogitoは従って「頭の中で物事を一つにまとめる」意となる。
「思う」と「考える」の違いは「思う」は胸の中の一つの事を大事にすることで「考える」は「胸の中のいろいろな事を突き合わせて調べると言うのがもともとの意味であると大野普氏は言っている。とすると「コギト・エルゴ・スム」は「我思う」ではなく「我考える」の方が良いと言う事になるが・・・。
有名なラテン語の言葉だ。「我思う、ゆえに我有り」と辞典に載せられている。cogitoのco-は「共に」の意味、cooperationのco-,やcoodinateのco-もそうだろう。日本語でも最近使われるコラボレーションなども。
cogitoのgitoはagitare「動かす」からの語からだそうだ。これも「アジ」をとばすと言うときのagitateから来ているようだ。cogitoは従って「頭の中で物事を一つにまとめる」意となる。
「思う」と「考える」の違いは「思う」は胸の中の一つの事を大事にすることで「考える」は「胸の中のいろいろな事を突き合わせて調べると言うのがもともとの意味であると大野普氏は言っている。とすると「コギト・エルゴ・スム」は「我思う」ではなく「我考える」の方が良いと言う事になるが・・・。