読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

日本ライン

2007-07-31 13:25:43 | Weblog

 

写真

少し前、東海ラジオで「日本ライン」の名をだれが命名したかを放送していた。志賀重昂が『日本風景論』の中で「この川はドイツのライン川に似ていると言った。」とされる事が始まりと紹介されていた記憶が有る。「そうか?」と思いながら聞いていた。と言うのは司馬遼太郎が歴史随筆の中で明治期、政府の招請で来日し、木曽三川改修計画を担当したオランダ人技師ヨハネス・デレーケ(写真)が犬山に来たとき「この川はラインに似ている」と言い、それが大正期に入ってから、その川がライン川と言われるようになったと書いていたと言う記憶が浮かんで来たからだった。

 


世界と宇宙

2007-07-29 10:03:46 | Weblog

「世界」と言う語は元は仏教用語で「衆生の住むところ」と言う意味だそうだ。「世」は過去、現在、未来に続く時間の意味で「界」は四方上下のあらゆる空間を意味する。時間軸と空間軸が無限に続く宇宙で「阿弥陀経」にも出てくる「三千大千世界」を言い、そこに「世界」の語が使われている。ところで仏教以前にもその無限大の空間を意味する言葉が有った。「宇宙」である。「宇」は家屋の軒の事で「宙」は家の棟木と梁の事で共にウ冠の有る字で家屋に関する語だった。その家と言う限られた空間を意味した語が無限の時空を意味するようになり、本来の「世界」の意味に取って代わった。一方「世界」は地球上の全ての場所を意味する語として使われるようになった。

敬遠

2007-07-28 08:11:03 | Weblog

「敬遠」と言う語は野球用語かと思っていた。英語では「故意に歩かせる」と言うintentional walkと言うようだが「敬遠」はれっきとした漢語で「論語」に出ているそうだ。「民の義を務め、鬼神を敬してこれを遠ざく」とあるのが出典だと言う。人の有るべき道を大事にし、人智を超えた存在である鬼神は尊敬しながらも一定の距離を置くと言うような意味だ。神よりも人を尊重する孔子の考えである。表面は敬うようで実際には近づかない事を「敬遠」と言うが「敬而遠之」という成句として中国では使われるそうだ。つまり「敬して之を遠ざく」と言う事だ。

大器晩成

2007-07-26 08:12:17 | Weblog

琴光喜が31才にして大関になった。大器晩成と言われる。中国、楚の時代、荘王は即位後三年経っても君主としての政治成果を上げ得ず臣下は心を痛めた。がそれから半年後、政務を積極的に執り楚の国を覇者にまで押し上げた。即位後三年間、内外の状況を観察、自己の政策を練り上げていたのだった。「老子」に基づく「大器晩成」の語は「大器は晩成し、大音は声稀に、大象は形無し」が元である。大きな器は完成に時間を要し、大きな音は聞き取れぬ程かすかで、大きな象(かたち)はその姿が眼に映らない。「大器」、「大声」、「大象」は「老子」の説く「道」を例えていた。その語は日本でも古くから知られ、菅原道真が歳を経て高等文官試験に合格した人を祝った詩に「四十二年初めて及第す、まさに知るべし大器晩成の人と。」が有る。「平成漢字語往来」興膳 宏著 から。

中元

2007-07-25 09:06:24 | Weblog

「平成漢字語往来」興膳 宏著 日経新聞出版社から
中元は旧暦7月15日に行われる道教の年中行事であった。道教では古来三元と言い天、地、水の三神の生誕を祝う行事が有った。天の神を祭る「上元」は1月15日、水の神の祭り「下元」は10月15日、地の神の「中元」が7月15日である。他方、仏教でこの日、盂蘭盆会の行事が古くから行われており、多くの供物が祭壇に置かれた。仏教の先祖を祭る風習と道教の神を祭る行事が同時期に行われ「中元」は唐の時代には普遍化したと言う。日本では神や祖先への供物が人に向けられ、習慣化した。

選挙

2007-07-24 08:20:14 | Weblog

日本で選挙法が出来たのは明治22年、二十歳以上の成人の男女に選挙権が出来たのは何と戦後の昭和21年になってからだ。「選挙」と言う語は中国に古くから有り漢の時代の行政区画から役人として優秀な人物を政府に「選び挙げる」法制に端を発している。その場合、不正に地方行政官が「選挙」の制度を曲げた場合は担当官吏は厳しく処せられた事が「漢書」その他の書物に有るそうだ。後、唐の時代に能力重視で官吏に登用する制度の「科挙」が出来た。この制度が出来て後、「選挙」の語は「科挙」の同義語になったそうだ。その時代にはこの制度は世界に比類ない人材登用制度だったが「新唐書」には人材を選するに当たり最も重要なことは「徳性」だと有る。折りしも参議院選挙戦の真っ只中である。

傍若無人

2007-07-21 11:39:25 | Weblog

「平成漢字語往来」興膳 宏著 日経新聞出版社から
「電車の中はさながら無作法のデパートである。」と著者は言われる。その通りだと思う。迷惑を顧みず携帯を使う高校生、化粧する女、荷物で二人分のスペースを占領する乗客と数え切れない。傍若無人の出典は「史記」であると紹介されている。秦始皇帝暗殺を未遂に終わった事で知られる荊軻は酒好きで友達の鳴らす楽器に合わせ大声で歌い、周囲の迷惑を考えなかった。「傍らに人無きが若き」であったと言う。後この語は色々な人に使われるようになった。なかに書の神と言われる王羲之の息子、王献之が居た。彼は庭園が好きで、立派な庭園が有ると聞けば持ち主の許可も無く、勝手に庭に入り込みその庭を鑑賞したそうだ。この話は初耳だった。

写真

2007-07-20 16:24:06 | Weblog

「平成漢字語往来」興膳 宏著 日経新聞出版社から
写真の技術は幕末、ヨーロッパから日本に入り、その頃、写真と言う語は使われていた。漢語としての写真は中国では早くも6世紀後半には有ったらしく、文字通り真を写す事を言い肖像画の事を言った。ときには写実的な山水画の事も言ったようだ。曹覇と言う優れた画家が居り、杜甫が「丹青引」と言う詩のなかで「必(も)し佳士に逢えばまた真を写す」と言う句でこの画家を賞賛した。幕末この「写真」が訳語として使われた。著者は名訳と言っている。ついでながらカメラは「写真鏡」と言い、中国語では写真は「照像(チャオシアン)」と言うそうだ。

青春

2007-07-19 08:22:04 | Weblog
「平成漢字語往来」から
「青春」の意味は「春」。「春」が何故「青」か。古代中国人は万物は木、火、土、金、水の五元素から成ると考えた。そしてそれらの元素の各々に方角と季節を割り当てた。木には東と春、火が南と夏、金は西と秋、水が北で冬、土は中央。更に季節に色も配当され春が青、夏が赤、秋が白、冬が黒で中央が黄である。大相撲の屋根の四方に青、赤、白、黒の房がそれを表していると説明されている。北原白秋の名も秋のカラーが白である事に拠ると言う事だ。日本で季節に色が配されるなら秋が赤か黄、冬は差し詰め白だろうと思った。

木戸銭

2007-07-18 09:43:06 | Weblog
自宅の隣は今は自治会の会所になっているが昔は会館と呼ばれ、演劇や映画、浪花節などの公演が有った。木戸と呼ばれる入り口で料金を払い村芝居や映画を見た。木戸とは何だろうと思っていた。司馬遼太郎の「街道をゆく」を読んでいたらその言葉が出て来た。室町時代の乱世の頃、商人に拠って支配され時の権力から独立していた堺と言う町が有った。そこでは「木戸」と言うものが発展していた。町々は木戸で区切られ、夜は閉ざされた。後に江戸の町方にも出来た。そこでは一つの町方に一つの木戸が有り「自身番」と言う町方の経費による番小屋が置かれ、夜は亥の刻(午後10時)には閉められた。夜盗などを防ぐためだった。「木戸とは,もともと城戸といい,通行の人を検査するところ,さらには,全く通行を防ぐところを意味するらしい。」と説明しているウェブサイトが有ったが室町期の堺が諸国の牢人を雇い自衛していた事が知られている。江戸期の町方ではそれは無かった。