読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

Six Degrees of Separation

2007-04-28 20:32:40 | Weblog

アメリカの連続TVドラマCSIを見ていたらSix Degrees of Separationと言う言葉が出てきた。知らない他人でも自分の知り合いや友達から始まって、またその知り合いや友達へと人間関係をたどって行くと6人ほどを介在するだけでその知らない他人と繋がると言う現象を言う。Small World と言われる一つの法則のようなものを言うらしい。むかしNHKのクローズアップ現代と言う番組でも聴いた事がある。

寄席から学ぶ

2007-04-27 15:20:01 | Weblog

以前、テレビで三遊亭円歌が言っていた。落語界に大卒が多く入って来るのを見て「大学出てまでやる事か?」と。円歌は明治の文豪が寄席から多くを学んでいる事を知らないようだ。言文一致体の小説を成した二葉亭四迷は「余が言文一致の由来」と言う文章で自分は文章下手だったと言っていたが、ある日坪内逍遥に「何か一つ書いてみたい。」と相談に行ったそうだ。そこで逍遥に「三遊亭円朝の落語通りに書いてみたらどうか。」と言われた。四迷は言われた通り自分で「円朝ばり」と言うほど円朝の落語を真似、「浮雲」が出来た。漱石も寄席から多くを学び三代目柳家小さん天才だと絶賛した。

再読文字

2007-04-26 17:08:11 | Weblog

今は結婚し、家を一戸構えている息子が高校時代、大学受験のために読んだと思われる漢文学習の本が息子が居た部屋で目に止まった。予備校の講師が受験生のために書いたものだ。冒頭に「未」と言う再読文字の解説が有った。その説明の余話として「未亡人」の説明が有った。夫に先立たれ、夫と伴に死ぬべき婦人のことを本来は意味し自分を謙称する場合に使う言葉で他人の言う言葉ではないとある。以前、かもがわ出版と言う出版社だったか「漢字の世界」なる本で同じ事を読んだ事が有った事を思い出した。

討ち入り

2007-04-25 14:47:08 | Weblog

浅野内匠頭の刃傷事件の五ヶ月後、吉良上野介は「おかまいなし」の措置ながら隠居届けを出さされ屋敷を本所に移された。旧浅野家の家臣の復讐が噂された頃でこの措置は幕臣が禍いに巻き込まれたくなかった為に江戸城近くから遠のけたのではとの憶測を呼んだと言う。浅野家断絶後、江戸詰の旧浅野家家臣の中には町人に姿を変えその本所に紛れ込んだ者も有った。米屋の前原伊助、小豆屋の神埼与五郎、剣術道場を開いた杉野十平次や堀部安兵衛など。吉良の動きを見張った。事件から一年九ヶ月後、討ち入りは果たされた。幕府の監視の目は繊細に厳しかったが幕府役人に浪士の動きを悟られずにいた事は不思議の他はない。まして当日、吉良の居所の情報を確実に掴むなど容易では無かったに違いない。浪士の周囲の浅野家への同情が暗黙の内に働いていたと言う司馬遼太郎の言葉が有る。

大相撲の塩

2007-04-24 17:59:27 | Weblog

弓取り式は別にしても相撲の土俵で塩が撒かれるのは神事の一つであるらしい。江戸時代、五代将軍綱吉は深川を愛し、栄えるように配慮したがもう一つ深川を繁栄させたものに大相撲が有った。「勧進相撲」である。興行相撲は秀吉の時代から上方でそれより先に行われていた。上方での興行を終え江戸に下って興行が行われたが富岡八幡宮に神社経営の費用を賄うために勧進相撲が許され寺社奉行がそれを監督した。大相撲に神事が有るのはこの名残りで江戸相撲はここから発展した。富岡八幡宮の社殿の奥には多くの相撲関係の碑が有るそうである。

銃規制

2007-04-23 09:12:17 | Weblog

銃乱射事件の有ったバージニア州は全米で最も銃規制の緩やかな州だそうだ。免許証と永住許可証を提示すれば州在住者なら誰でも銃購入が可能だ。バージニア工科大学での犯人もそのようにして銃を手に入れた。銃砲店の店主も彼はちゃんとした学生だったと言う。若者が一緒に車に乗るとき「ショットガン」と言えば助手席を言うそうで、その席から銃で道路標識を銃で撃つ遊びからそう言われるのだという事だ。歴代のアメリカ大統領の多くが暗殺されているにも拘わらず銃規制が出来ないアメリカ。銃規制強化に賛成が47パーセント、反対と現状維持が49パーセント、回答者の32パーセントが銃保持者だ。世論調査では6割以上が銃規制強化では乱射事件は防げないと言っている。乱射事件の動機の多くは復讐にあると評論家は言う。アメリカでは年間約3万人が銃で死亡しているそうである。

諡号

2007-04-21 11:47:07 | Weblog

諡号は天皇の死後、付けられる贈り名を言う。現在は明治天皇、大正天皇、昭和天皇のように年号が贈られるが昔は専門家がその天皇に相応しい名を付けた。醍醐天皇は本人が好きな食べ物から付けられた。住んでいた所の名を贈られた天皇もある。鳥羽天皇は鳥羽宮に住んでいたし後鳥羽天皇もその近くに住んでいた。ところが徳と言う文字を贈られた天皇が居る。聖徳太子以降、その文字を贈られた天皇は6人いるが、安徳天皇、順徳天皇、顕徳天皇、崇徳天皇、文徳天皇であるが共通しているのは全て不幸な亡くなり方をしていると言う事である。死後の怨霊の祟りをおそれるあまり贈られた諡号だと井沢元彦氏が言っている。

たのしい

2007-04-20 14:52:26 | Weblog

楽しいと言う言葉の語源は子どもが母親の胎内に入っている時、縮めていた手足を伸ばす、それを「手伸ばし」「てのし」「たのし」と言った事だと説明される。広辞苑を調べて見るとその語源の説明は無かったが意味の説明に「豊かなこと、富貴であること」がその意味の一つとして書かれている。大野晋の「日本語の世界」と言う本の中にこのことが説明されている。大野氏によればこの「たのし」と言う言葉は室町時代に貨幣経済が発達してから「ゆたかなこと」「金持ちであること」と言う意味に偏って来たと説明されている。この「たのし」と言う言葉はその本来の意味で万葉集では使われているが源氏物語や枕草紙では「うれし」は出てくるが「たのし」は出てこないそうだ。時代が下って明治初年のヘボンの辞書によれば「たのしい」はpleasant,delightfulと訳され元の意味に戻っている。

もののあわれ

2007-04-19 15:23:05 | Weblog

大野晋 「日本語の世界」から
「もののあわれ」のアワレはふるくは二つの意味で使われていたそうだ。
「あわれ、あな面白」(古語拾遺)やホトトギスを「あわれの鳥」(万葉集)のように使われれば賛嘆の意で、古代では「ハ」の音はfaふぁと発音されていたらしく、強く賛嘆する場合は「アッパレ」と発音されたと言う事だ。アワレは更にもう一つの意味を持っていた。「悲しい」と言う気持ちを表現するときに使われた。モノ(頼りなげなもの)の存在がアワレ(もの悲しい)の意に使われた。「源氏物語」の「もののあわれを知らぬ人にもあらず」と言う表現は男女の仲の確かならぬ気持ちのやりとりを知らぬ人と言う意味だった。

銃社会

2007-04-18 14:52:37 | Weblog

アメリカで相変わらず銃乱射事件が繰り返されている。銃を持つ権利をアメリカは権利として認めているが銃を持てる環境に有る国は他にも有るが何故アメリカにこうした事件が集中して起こるのか。「ボーリング フォア コロンバイン」でマイケル・ムーアはアメリカ人は自分の優位な立場を脅威に晒す怖れの有るものを排除しようとする性格が有ると示唆した。そう言えばベトナム戦争もパナマ紛争、近くはイラク戦争もそれにより説明が出来る気がする。アメリカは人種の坩堝と言われるように多くの人種の集まる国で却って個人主義や民主主義が異常に発達した。「この国のけじめ」と言う本の中で藤原正彦氏がそれにより人の心が複雑になり世界中の弁護士やカウンセラーの数の半分がアメリカに集中するようになったと言う趣旨の事を言っていたと記憶している。