読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

カタカナ言葉

2009-06-30 15:23:09 | 読書

カタカナ言葉にたいする丸谷才一の言葉
「片仮名言葉を大幅に採用して、日本語を豊かにするなんて事は、痴人の夢に過ぎない。
(略)片仮名言葉の採用は日本語にとってあまり歓迎すべきものではない。どうしても仕方のないときだけにして、あとはよすほうがいい。」
賛成だ。片仮名言葉を多くしたところで日本語が豊かになるどころか、私などは話し手のボキャヒンを感じるだけだ。おっと、このボキャヒンも片仮名言葉でしかもその半分は本来は片仮名にしてはいけない日本語の略語が入っている。ボキャブラリー貧弱なのだ。各政党のマニフェストなどと言う語もしっかりとした日本語に変えた方がいい。

「軍」「師」「旅」

2009-06-28 13:42:36 | 歴史

父の生前、父が軍隊にいて中国に行った事が有った。その父に師団と旅団の規模の大きさや違いについて尋ねた事がある。父は知らなかったと見え答えがなかった。もう十年以上前の話で、私もその事について調べもせず、其の侭になっていた。最近、私は宮城谷昌光の「王家の風日」と言う古代中国のやっと文字らしいものが出来始めた商の時代の歴史小説を読んでいたら「軍」「師」「旅」についての記述が出てきた。それによれば「戦闘集団を表す字には軍、師、旅とが有って、旅は旗をおしたてて行く兵士の集団を言う。兵車(戦車)ができて、それを兵士がとりかこんで前進する戦法が普及すると、この軍という一万人を超える大編成の戦闘集団に対して、師は二千五百人、旅は五百人ほどの兵士で構成される部隊を言うようになった。ただしこれは後世の数字で、商王朝の時代にはそれほど明確な区別はなかったろう。」と有った。少し解った気がした。

病院の七夕

2009-06-27 10:06:36 | Weblog

孫が入院した病院のナースステーションのそばに時節がら七夕が飾られて有った。
孫が居る階は全部が小児病棟になっており、七夕の短冊に書く願い事も全て早く
元気になって欲しいとの祈りの言葉で占められている。この点が他の場所で飾られる
七夕の短冊とは幾分は違うところだろう。

息は笛に通じる?

2009-06-26 09:20:20 | 漢字

新聞のコラムの中の文章に「生きは息に通じ、息は笛に通じる」と言う語が有った。生きは息に通じは解るような気がするが息は笛に通じるというのは少し解りにくかった。
そこで「息」を金文まで遡って見るとこの漢字の「自」の部分は正面から見た鼻の形でこれに「心」を加えて、心の状態がいき呼吸の状態に表れる事を言うと有る。(図の上の金文)生息と言う熟語もあり、「生きは息に通じる」のは解る。
次に「笛」と言う漢字の「由」の部分は瓢箪のような形をした実などの中身が熟して溶け、中がからになった形であると言う。同じように中が空になっている竹を楽器として使用するものを笛といい、「ふえ」の意味に用いるとある。(図の下の篆文)
が結局、「息は笛に通じる」の部分は解らなかった。

カンパン

2009-06-25 09:09:08 | 読書

佐木隆三著、小説「絆」から
簡易裁判所の判事は通称「カンパン」と言う法曹資格がなくても任官できる判事が有るのだそうだ。法曹とは司法試験に合格して二年の司法修習を経た者を言うが、簡判は書記官などの実務のベテランから登用されるのだと言う。町の身近な裁判所としての簡易裁判所は六法全書一点張りの法曹より人生経験豊かな人物によって人間味の有る裁きを期待しての事だそうだ。

報道雑感

2009-06-24 15:37:01 | 新聞
相変わらずマスコミは裁判員制度に後ろ向きの報道しかしないものだと思っていたが毎日新聞もそうした報道をしている。それによれば同社が5月16、17日に実施した全国世論調査(電話)で、裁判員制度について聞いたところ、裁判員に選ばれた場合「できれば参加したくない」と答えた人が52%に上り、1月の前回調査から6ポイント増えたと言う。それは良いが毎日新聞が世論を形成するような毎日新聞社がメディアの役割として世論をリードする論説は出来ないものかと思った。

これも読書?

2009-06-23 08:20:18 | 読書

私が読書と言うものを始めたのは中学の二年の頃からで余り早くはない。しかも高校三年の間は余り本は読まなかった。大学に入ってからは政治や法律などの本を読み、小説だの文学書は読まなかった。卒業してからパソコンが普及する時代となり、書店にあるパソコンのソフトの解説書ばかりを読んでいた。これが結構楽しかった。後から考えるとこう言う本を読んでも読書とは言わないのだろうな、などと思った。
評論家の立花隆氏も高校時代は受験勉強のために本は余り読まなかったそうだ。それでも両親が教育関係の人だった事も有って小学三年頃から漱石や龍之介などを読んだと書いていた。そして不思議に思ったのは彼は明治期のものは古典とは言わず、そうであっても若者には必ずしも古典を読む事は勧めていない事も書いていた。最新の科学技術について書いてあるものを勧めている。「調べて書く」と言う事を大切にしていて東大でもそのような考えで教えているそうである。

川とriver

2009-06-20 08:49:52 | 読書

司馬遼太郎の知り合いに英語が得意な為、無料通訳を頼まれる事が有ると言う主婦が居たそうだ。その人の話。ある日、京都の小型タクシーでカイロ大学の総長と医学部長の大男二人を乗せ、彼女が助手席に乗り、三条大橋に差し掛かったとき、彼女は橋の下を流れる鴨川をriverと通訳した。その時、この二人の男達は車が大揺れするほど大笑いし、通訳の主婦をすばらしいユーモリストだと誉めたと言う事だ。彼女は訳がわからなかった。後に彼らのriverの概念は海のような大きなナイル河しかなかった事が解ったと言う。
司馬遼太郎「街道をゆく」1から

「朝日ビジュアルシリーズ」と

2009-06-19 10:28:48 | 読書

司馬遼太郎の「街道をゆく」の文庫本をまた読み返している。今度は朝日新聞が以前出した週間「朝日ビジュアルシリーズ」と言う「街道をゆく」をシリーズにした写真や図を多く取り入れた雑誌と合わせて読んでいる。この雑誌は十冊ほどした持っていないが文庫本の方は写真は無くイラストも少ないがこちらは街道を進む道筋がイラストの中にパノラマ状に記され、また綺麗な写真も多く楽しめそうだ。

インド人は元は白人?

2009-06-18 11:02:32 | 読書

人間は二世代や三世代では変わらないが三十世代も経つと環境の変化の影響でその環境に適応した体つきになると言う。一世代を三十年とすると三十世代は約一千年となる。その時間の経過によって変わった人種の例としてインド人が挙げられている。インド人は元はアーリア系の白人で、彼らは二千三百年前、アレキサンダー大王の遠征で東に移動しインドに定住した。その後、一千年が経過しその環境に順応した。結果、背は高いがヨーロッパ人から見れば白人ではなくなってしまったのである。が骨を調べればインド人は白人と同じ系統なのだそうである。樋口清之博士の「おもしろ雑学日本史」三笠書房から