goodwillで先月(1月14日)に購入したiiyamaのPC、win10が故障した。
pcに電源は入るのだがwin10が立ち上がって来ない。強制終了をして再度
電源を入れると立ち上がって来るが、pcを立ち上げる度にそんな事をして
いるとそれこそpcが故障してしまう。保証期間内なので止むを得ず、
goodowillに修理のため持ち込んだ。ところがそこでは正常にwinが立ち上がって
来る。が、そこの店員の話では少し、疑わしい点があるので預かりたいと言う。
任せるほかは無かった。早く、win10が首里されて戻ってくるようにと願っている。
確定申告も済ませた後だったと言うのも不幸中の幸いだった。
朝、NHKのラジオで今日は何の日のコーナーを聞いていると
明治44の今日(2月21日)文部省からの文学博士の授与を
拒否したそうだ。突然何の前触れもなく文部省が切り出したらしく
漱石は権威主義的なものを感じたのかもしれない。普通、博士号は
博士論文を書いて得るものだが、今でいう名誉博士号だったのかも
知れない。
漱石は38歳のとき「吾輩は猫である」で文壇にデビューし49歳で
没しているから10年ほどしか作家活動をしていない。漢詩など
も素晴らしいものが有ったそうだ。
長年迷っていた、商工会を辞めた。50年ほどの商工会との付き合いも
殆んど確定申告だけの為だった。青色申告の複式簿記のやり方も確定申告
のやり方も今も良く理解出来ている訳ではないが、ここ10年ほどでほぼ
商工会での指導を受ける事なく国税庁のオームページで申告書を作成し、
プリントアウトできるようになった。商工会を辞めても青色申告だけは
続けるほうが良いと商工会での助言も受けたのでやめる決心が出来た。
必と言う文字の成り立ちの説明として
ある宗教関係のメルマガが、「心に楔を加えた
もの」と説明していた。心に何故楔などを打つ
のか理解できない。白川静の「常用字解」によれば
必の文字の中央のヒは戈の事で武器である。
左右のハはその武器を飾る垂れである。
木を束ねている様子を示した象形文字としている
説明も有ったが首肯できない。文字はもっと
呪術的な動機で成り立っているものである。
中国の小平が副首相であったころ日中友好協会の
招きで中国を訪れた西園寺公一は小平に
「中国は日本軍国主義に大きな損害を蒙ったが
中国は歴史的に二つの点で日本に迷惑をかけた
その一つは漢字である。」とユーモアたっぷりに
謝罪されたという。漢字が中国の発展にとって重荷で
あることはよく知られている事であるし、魯迅なども
そのようなことを言っていた。日本でも戦後、漢字を
廃止して日本語をローマ字表記にしようと言う動きは
有った。が明治期、この漢字が諸外国からの文物、文明
の大量の入国で大きな役に立っていたのである。
明治の先達はこの漢字の造語力を駆使して新しい文明を
日本語に置き換えて行き、結果、現代の我々は日常で
外国語なしでも殆ど不自由無く暮せるようになっているのである。
小平にはともかく、漢字には感謝しなければならない。
明治の先達にも。
私の従兄弟で、家内の兄の孫が甲子園に選手として行くと言う事だ。
背番号12でバッターボックスに立てるかどうかは判らないが
甲子園に応援に行くバスを出すので参加して欲しいと
頼まれた。定員は45人で今のところ、40人弱が頼めたとの事
だった。一人五千円の参加費が入用だが、頭数は必要
だろうと一応、家内と共に参加は承諾した。それは良いが私には
持病が有って、行く途中心配な事があるのだ。
何とか無事に行って来たいと願っている。
3月24日(火曜)第二試合、11時30分の試合だ。
NHKのBS放送でイギリス人女性が四国八十八ヶ所の遍路を歩いている
様子を放送していた。新日本風土記と言う番組だった。
その女性はお遍路の服装こそしていなかったが黙々と遍路道を歩いていた。
そして時折、お接待の場所でバックパックからタブレットとキーボードを取り出してblogを書いているのが目に留まった。このblogの書き方をやりたいと猛烈に 思い始めた。
この冬は私の地方では雪より雨が多く、家内が畑が
乾かないので困るとぼやいている。
他の地方では大雪で困難な生活を強いられている
事を思えば文句など言えないだろうと思う。
店のテレビに地デジのチューナーを付けたが
時折、ビーキャスカードを付けてくださいと
言う表示が出るようになり、地デジの映像が映らない
ようになるときがある。そのビーキャスカードを
挿入し直すと地デジの画面が映るようになる。
この地デジのチューナーは余りつかっていた
期間は長くなかったから故障したとは思えない
のだが・・・。このビーキャスカードは映像機器を
廃棄処分したときには所定の機関に返却するか
裁断するようにと言う記述がある。その事に
今日になって気が付いた。