読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

本当に『九十九里』もある?

2010-06-30 09:47:22 | 暮らしの中で
千葉県の『九十九里浜』は日本で最長の浜辺だ。
北端が『刑部崎(ぎょうぶざき)』、南端が『太東崎(たいとうざき)』
この間の距離は60キロ。
1里は4キロで、『九十九里』は396キロになる。
地名と実測では、6倍以上の開きがある。
本当は、『十五里浜』と言う名のはず。
伝説によれば、『九十九里浜』の命名者は源頼朝だそうだ。
頼朝がこの浜の端から、6町ごとに矢を立てさせていくと、99本目で浜
辺が終わったと言う。そのため『九十九里浜』と名付けられたと言うが。

活字離れとは言うが

2010-06-30 09:06:27 | 読書
昨日、GEOと言う店で中古本を多数買ってきた。がその店は中古本
のコーナーを閉鎖すると言う。本が売れなくなったからだと言う。
インターネットでニュースが読め、キンドルやiPadの出現で本が読まれるようになると
新聞社や出版社は経営が苦しくなってアメリカなどでは閉鎖される新聞社
も多くなっている。そうした中、活字離れが嘆かれているが、
実は本を読む人の数は増えているのだそうだ。
ネット上での情報もほとんどが活字であるのだし、
若い人は以前よりも、活字に対する親和性が高いのである。
本が売れないのは個人の好みをつかめないせい。つまらない、
似たような本ばかりが出版されるせいだと考えている人も多い。


中古本の販売コーナーが店じまい

2010-06-29 15:40:03 | 読書
GEOと言うDVDやCDのレンタル、それらの中古のものを売っている店がある。
その店の中古の本の販売コーナーが7月一杯で閉鎖になると言う情報が知り合いから
入った。午後から仕事を抜け出してその店に行って見た。中古の本と言っても8割がコミックだが、他の小説などは更に処分価格になっていて一冊50円となっていた。7冊ほどを買ってきたが
350円で済んだ。この情報をもっと早く知っていればそこのホームページに掲載されていた本も手に入っただろうと思うが。

木曾義仲と芭蕉の墓

2010-06-27 11:20:34 | 歴史
滋賀県大津市の粟津原のあたりで木曾義仲は流れ矢に頭部を射貫かれ三十一歳の生涯を終えた。その墓は長く荒れ果てた侭になっていたが戦国時代に供養され寺も建立され、義仲寺(ぎちゅうじ)と呼ばれた。この寺を元禄三年(1690)に芭蕉が訪れ、同寺の無名庵に泊まった。芭蕉は義仲が好きだったらしく、自分の臨終の折りは義仲の墓の隣に葬るようにと遺言した。その通りに二人の墓は並んで建っている。
芭蕉の弟子の又玄(ゆうげん)の句が有る。
「木曾殿と背中合わする寒さかな」
講談社 再現日本史から

うわべだけだった江戸時代の「鉄砲禁止令」

2010-06-26 10:41:21 | 歴史
徳川五代将軍、綱吉は貞享三年(1686)から四年に亘り「諸国鉄砲改」を行った。
これにより、鳥獣から作物を守るための威し鉄砲や狩猟用のものを除き、庶民は鉄砲を持つ事が出来なくなったと考えられているが、実情はまるで異なっていた。綱吉の「鉄砲禁止令」は、綱吉が死ぬと簡単に撤回されてしまったのである。対馬藩が正徳元年(1711)に行った調査では1402丁の銃が確認された。成年男子の人口が約3900人いたとされるから三人弱に一丁の銃が民間に有ったのである。講談社刊「再現日本史」から

北海道の名

2010-06-25 09:00:37 | 歴史
「地名、地図で見る日本史」と言うメルマガがある。北海道の名の由来として
「奈良、平安時代の律令制で決められた地域名に『東海道』『西海道』『南
海道』がありました。これにならい、方角でひとつだけ残っていた『北』をつけて『北海道』が誕生したのです。」と有った。北海道は確か誰かの雅号が元になっていた筈と言う記憶が有ったので調べてみた。
北海道の名付け親として知られる松阪市出身の探検家、松浦武四郎(1818~88)が、命名の10年前から雅号の一部として「北海道」の表記を用いていたことが、このほど発見された直筆絵画に添えられた年号と雅号で確認された事が判った。
彼は蝦夷地探検の旅を何度もしており、しかも探検家としてだけではなく箱館奉行所(現在の函館市)の役人として蝦夷地にわたっていたのだった。その役人としての4年の間に3回の旅を行っていたのである。江戸幕府が終わり、明治維新が起こった頃、松浦武四郎は、「北海道通(つう)」 としての名声を得ていた。ここで、武四郎が北海道にもっとも大きな影響を与えた、北海道の地名提案が行われた。当時、武四郎は開拓使の開拓判官の役職についていたのである。

幸運な勘違い

2010-06-24 15:29:43 | Weblog
バルセロナオリンピックのとき、マラソンランナーの有森裕子さ んは、沿道の人々が自分の名前を呼ぶのを不思議に思っていた。 「アリモ!アリモ!」と人々が叫んでいるのだ。 応援してくれていると張り切って走り終えると、実はその言葉は スペイン語の「アニモ!」、がんばれという意味であることがわ かった。有森さんは勘違いをパワーに変えたのだった。

続「壇ノ浦の戦いの結果」

2010-06-24 09:13:55 | 歴史
壇ノ浦の戦いで頼朝が勝利し、やがて武家の支配権を全国に及ぼした。結果、東国武士が大量に西日本に移動し、それぞれの地で各武士団が勢力を築くことになった。例えば
毛利氏は相模から、吉川氏は駿河から移住したし、薩摩の島津氏も武蔵から九州に移ったものである。そして相模から九州に移ったのも大友氏である。
西国に移動した武士団が最も顕著だったのは九州で、東国による武士団の植民地の観を見せた。

壇ノ浦の戦いの結果

2010-06-23 09:16:36 | 歴史
壇ノ浦の戦いは結果として何を齎したのか。
六年間に亘る源平の戦いが終わり、頼朝は約五百箇所の平家の所領を手に入れ、大きな経済力を持つに到った。これが後に武家政権と将軍独裁を可能にする財政的基礎となった。
守護、地頭を全国に配置することも可能になり、武家による全国支配が可能となった。
この体制が源氏三代から北条政権に受け継がれた。

縦長の国、ニッポン

2010-06-18 09:22:32 | Weblog
日の出がだいぶ早くなった。6月21日は、北半球で1年のうち昼間の時間が一番長い、いわゆる「夏至」だ。この時期、国内を南北に移動すると、日本は縦に長い国なのだと実
感出来ると言う。夏至の日の出の時刻は、北海道と東京では30分も違うと言う事である。
下記の国立天文台 天文情報センター 暦計算室 のサイトで各自の地域の日の出・日の入りの時刻も検索出来るそうである。
http://www.nao.ac.jp/koyomi/

縦長の日本を感じる現象が他にも有る。

緯度が違うということは、太陽光線の入ってくる角度が違うことになる。
この違いによって北と南では照度と色温度が変わり、色の見え方にも違いが出て
来る。つまり緯度の高い北海道では青みが強くなり、逆に緯度の低い沖縄では赤みが強くなるのだそうだ。
例えば理屈では、同じライターの炎が、北では青く、南では赤く見える筈。
その土地ごとの色の見え方は、住む人の嗜好にも影響を与え、服や商品を売る際
のマーケティングリサーチにも考慮されているとか。
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