平成23年2月 靖国神社社頭に掲示された遺書
三重県出身 陸軍少尉 前田 健三 様 (32歳)
昭和19年2月24日 中部太平洋方面にて戦死 合掌
ご両親様、奥様、お子さま方への 「遺書」 をご紹介させていただきます。
御両親様へ
只、一人ノ幸子ヲ北満迄寄コシテ下サッタ事ヲ、常ニ感謝シテヰマス。
少シノ孝養ヲ尽ス事ナク、カヘッテ御心配バカリオカケシテ、申訳有リマセン。
若クシテ夫ニ離レタ幸子。幼クシテ父ト別レタ富美子及来春生レテクル子ノ好キ父母トナリ、
祖父母トナッテ、軍人ノ妻トシテ遺児トシテ、立派ナ日本人ニ育テラレル様、御願申上ゲマス。
私ハ今何ノ心配モナク、笑ッテ散リマス。
幸子ヘ (奥様)
(前 略)
子ノ事ヲ思ヒ修養シ婦徳ヲ収メラレヨ。
次ハ、靖國ノ社頭デ会ハウ。
(お子さま方の名前を書かれて)
父ヲ知ラナイ諸子ハ、可愛想デアルガ、身体ヲ鍛ヘテヨク勉強シ、母ノ言フ事ヲ守ッテ立派ナ日本人ニナレ。
(中 略)
父ハイツモ諸子ノ幸福ヲ祈ッテヰル。
以上、遺書の一部を転載させていただきました。
お父様を知らないお子さま方への切なる願いに、自分自身を重ねて父からの軍事郵便に涙をし、悲しみを共にさせていただきました。
以前、九段短歌に載せていただきました歌ですが、私たちの悲しみは永遠です。
戦争の悲しみ深しわれら今語り継ぎゆくも父は還らず
今号にも全国から鎮魂の歌が寄せられておりますのでご紹介させていただきます。
ご一読頂ければ幸に存じます。
洋上にて祖父の慰霊をなせしとふ海自の甥の便りが届く 富士吉田市 遺族
大勢の家族を支へし母の背に強さをもらひて我は生きなむ 長浜市 遺児
戦死した南洋群島行きたくも遂に夢には果たせぬままに さいたま市 妻
親子三人の写真納めし胸ポケットを押へたしかめき征く朝の亡夫 横手市 妻
何事もなきがに海は碧く澄む父の眠れるソロモン海は 富士吉田市 遺児
墓守る弟も逝き受け継いだ私もすでに八十路越したり 豊川市 遺児
征きしのち生まれたる吾子は六十五四人の孫の祖母となりたり 諫早市 遺児
戦死せし面影老いず吾のみが八十路越え来し秋は淋しも 和歌山県 妻
声合せラバウルの唄に父偲ぶ湯けむりの宿に集ふひととき 名古屋市 遺児
還らざる兄百歳を迎へども遺影は若く時は過ぎゆく 京都市 遺族
「国の為に生命を捧げたんだから」母が遺した一つの言葉 東松山市 遺児
レイテ湾の海の温さに手を浸すこの底いづこに父眠ります 千葉市 私
今号は、妻のお立場のお歌を拝読出来ましたこと、お元気なお姿に嬉しく存じました。ご健勝を心からお祈り申し上げました。