千葉実年大学校 歴史倶楽部 平成20年3月度定例会
江戸時代 "波を彫らせたら天下一” と言われた、名彫刻師 「波の伊八」 の作品を訪ねます。
「波の伊八」の作品は、千葉県南部にあり平成18年3月は鴨川地区を訪ねましたが、今回は夷隅(いすみ)地区を訪ねます。
飯縄寺(いづなてら)の「天狗と牛若丸」 、行元寺(ぎょうがんじ)の「波に宝珠」など、初代波の伊八(本名:武志伊八郎伸由)の傑作が見られます。
上記のご案内に大勢の会員が参加を致しました。
開催日 平成20年3月21日(金) 少~し
参加者 77名
集 合 千葉NTT前 7時45分
千葉NTT前 8時丁度発 大型 2台は千葉東金道路・東金IC→ 東金九十九里道路 → 「飯縄寺」(いづなでら)に向かう車中、会長さんから改めて 旅行先の説明 をいただきました。
今回の旅は、安房の名工「武志伊八郎伸由」の欄間彫刻を訪ねます。
伊八の彫刻は主に千葉県南部にあります。一昨年3月は、主に鴨川地区の寺院を訪ねましたが今回は、主に夷隅地区の寺院を訪ねます。
江戸時代「波を彫らせたら天下一」とうたわれた名彫刻師がいました。
その名を 「波の伊八」 と言い、厚彫りで躍動感のある波と龍の彫刻を得意としていました。
作品は遠近法や陰影法をうまく取り入れおり、他の彫刻師の作品にない迫力が伝わってきます。
伊八の技術を継ぐ彫刻師は江戸中期から昭和まで五代続き、千葉県南部を中心に関東一円におよび欄間彫刻や像を彫り続けていました。
初代武志伊八郎伸由 (1751~1824) は鴨川市打墨村の生まれです。
(1)天台宗・飯縄寺 (いづなでら) (夷隅郡岬町和泉)
大同3年(808)慈覚大師により開山された南総屈指の名刹。
ご本尊は飯縄大権現、天狗のお姿をしているところから「天狗のお寺、おいづなさん」と古くから親しまれています。
寛政9年 (1797) に再建された本堂は平成の大修理を経て、平成7年千葉県指定有形文化財となりました。
“見所”
「結界欄間彫刻」、天井画墨絵 「龍」
結界欄間彫刻は正面 「天狗と牛若丸」 、左右二画 「波と飛龍」。
伊八壮年期 (45歳1796年) の最高傑作の一つとされています。
本堂再建 (1797年) 時の約10年間逗留して彫ったものとされています。
伊八の彫刻を見た中では素晴らしく、見る人を圧倒します絶品です。
四面に花鳥風月の彫刻が施された鐘楼 本堂屋根内側
結界欄間 作品に初代伊八の銘あり 正面「天狗と牛若丸」左右2面「波と飛龍」
(2)天台宗・行元寺 (ぎょうがんじ) (いすみ市荻原)
山号を東頭山と称し嘉祥2年 (849) 慈覚大師によって開山されました。
大正14年 (1586) 現在地に移築して本多忠朝などの信仰を集め、徳川家の庇護のもとに10万石の処遇を受け、学問寺として末寺100ヶ寺、人材育成や文化向上に努め、この間に多くの
学僧などを輩出し、天海と共に家康の信頼を集めた。
"見所”「伊八の彫刻」、「高松又八の彫刻」、等随の怒気土岐の鷹 (杉戸絵)」客殿欄間には欄間彫刻があります。
58歳 (1809年) の作品です。
「波に宝珠」、「梅」、「波に旭鶴」。
「波に宝珠」は葛飾北斎の名作富岳三十六景に影響を与えたのではないかと言われています。
本堂欄間には、高松又鉢の 「牡丹に錦鶏」 があります。花や鳥が漆や金箔、岩絵の具を駆使して絢爛豪華に表現されています。
桃山時代です。杉戸絵に描かれているのは鷹と老梅です。
波の伊八 「波に宝珠」 北斎名画の原風景 伊八の波
豪華絢爛 「幻の名工 高松又八の世界」
日本一「大葵紋」に毘沙門天紋様
(3)天台宗・長福寺 (ちょうふくじ) (いすみ市下布施)
大同2年(807)宗祖伝教大師自ら建立されたと伝えられる古刹。
源頼朝が平家追討の書状を当寺でしたため、その時当寺の差し出した硯が素晴らしかったので「硯山」の山号を頂戴したとも伝えられます。
“見所”
「欄間彫刻」、「筆掛の槙」、「薬師如来座像」、「端渓硯」、「欄間彫刻」 は波の浮き彫りで、中央に龍のすかし彫りをあしらった堅牢で色彩明瞭な作品。
欄間という定形の空間にとらわれない自由な装飾彫刻の特徴ある作品で、初代伊八の作品、正面と左右の三画があります。
伊八が師匠から独り立ちした(38歳 1789年)最初の作品です。
御朱印 「欄間彫刻」 正面と左右の三画
開山1200年記念建立の硯堂 「無量壽庵」 と 「端渓硯」
(4)浄土宗・称念寺 (しょうねんじ) (長生郡長南町千田)
開基は徳冶2年 (1307) 旅行真教上人。
欄間彫刻は 「龍三体の図欄間三間一面」。
右は紅、中央は青、右は白で彩色されています。伊八晩年の傑作とされています。
制作時期は江戸時代後期の文化年間頃とされ、長南町の町指定文化財に指定されています。
本堂への立ち入りは出来ません。本堂のガラス越しに拝観する事が出来ます。
(5)天台宗・笠森寺 「笠森観音」 (長生郡長南町笠森)
延暦3年(784)最澄上人が楠の霊木で十一面観音菩薩を刻み山上に安置し、開基されたと伝えられています。観音堂は長元元年(1028)後一条天皇の勅願により建立された。
明治41年 (1908) 国宝 に、その後、昭和25年 (1950) 国指定重要文化財となりました。建築様式は日本唯一の 「四方懸造」 でそれぞれの高さが違う61本の柱で支えられています。
笠森寺は 「板東三十三観音札所」 の三十一番札所として古来より巡礼の霊場となっています。
集合時は肌寒く 空、 に乗車後もコートを着たままにお天気を祈りながらのスタートでした。
海沿いを走る窓外には 「名工 ・ 波の伊八」 の作品に出会ったかのような荒波に歓声を上げ、 がようやく一台通れる程の田舎道に を進めながら、郷土の生んだ 「名工・波の伊八」 の
作品を訪ねる事が出来ました。
先日、総武線の中吊りで 「波の伊八。北斎の神奈川沖浪裏の原点がここにある。」のキャッチフレーズで房総を宣伝していました。
伊八の色刷りの版画がポスターの大部分を占めていてビックリ致しました。
ある住職さんが、おかげさまでこの山奥にも大型の観光 で大勢の皆さんが訪ねて下さり有り難い事とお話下さいました。
会長さんを初め、担当役員の皆様のご案内に有意義な旅が出来ましたことに心から感謝申し上げております。
役員の皆様有り難うございました。そしてお疲れ様でした。
最後に、この記事をご覧頂きました歴史倶楽部の皆様、訂正箇所などご指摘いただければ大変嬉しく存じます。
本日の旅を記念して詠む事ができました。
1. 鐘楼に花鳥風月彫られある飯縄寺(いづなでら)訪ぬ先師の跡を
2. 欄間なる天狗と牛若丸の厚彫りが時代を超えてその技語る
3. 伊八日本一と掲ぐる行元寺に浄財感謝のノミの音冴ゆ
4. 窓越しに見る重波(しきなみ)の躍動に名手伊八の彫刻かさなる
5. あと一歩と足引きずりて登り来ぬ地獄のぞきもこれが見納めか