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クルマに関する妄想集(+その他のことも少し)

ホンダ・コンチェルトのUK濃度について(続)

2009年12月29日 00時58分00秒 | Weblog
前回に続き、ホンダ・コンチェルトをとりあげる。今回は5ドアセダンである。

このクルマの特徴的なルーフデザインは5ドア車でも踏襲されている。キャビン全周をガラスでとりまくスタイルは、最近のクルマからは消えてしまったデザイン手法で、なかなか新鮮である。このクルマは、理由のない曲線や面を廃した正統的セダンスタイルを採っているせいか、そうした試みが子どもっぽく映らず、「古くて新しい」味を出すことに貢献していると思う。片側3枚構成のサイドウィンドウが、絶妙な角度でキャビン側へ倒れこんでいて、スポーティな味わいさえ感じさせることも注目に値する。

そこへもってきて、このCozyなインテリアだ。 いま僕は、この5ドアコンチェルトで週末にピクニックに行くことを夢想して、猛烈にこのクルマが欲しい気分になっている。
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ホンダ・コンチェルトのUK濃度について

2009年12月28日 23時16分58秒 | Weblog
ホンダ・コンチェルトというセダンがあったことを覚えている人はどのくらいいるだろうか。コンチェルトは、グランドシビック(1987)とインテグラ(1989)と車台を同じくする3兄弟車のうちの次男として、1988年6月に新規車種として登場した。ホンダにしては高めにとられた全高や、若者を狙った痕跡がないこと、したがって派手なところのない真面目なクルマ作りという点が、ホンダらしくないクルマと評された。それゆえにというべきか、その後4年間にわたってコンチェルトの販売台数は低迷、1992年のフルモデルチェンジでコンチェルト名は廃止され、別の名前を与えられることとなる。そして、その後はその別名モデルも廃止となり、登場から20年以上を経たいまでは、後継車に相当するクルマすら存在しない。コンチェルトについて概論するなら、だいたい以上のようにまとめられる。いまや、振り返られることのほとんどないクルマのひとつだ。

僕は、ほとんど10年ぶりにこのクルマのカタログと向き合って、いまさらながら、このクルマの持つ濃厚なイギリス臭に打たれずにはいられない。このクルマのカタログには、「ヨーロッパ的なセダン」と謳われているが、正確に表現するなら、「イギリス的」でなければならないと思う。ローバーと共同開発したという重要な事実が、ここまでこのクルマに色濃い影響を与えていることがおもしろい。この、どうしようもなく地味なたたずまいの内外装は、まさしくイギリス車のそれである。

イギリス人というのは、洗練の足りないもの、控えめな雰囲気を持つものを愛し、古くなったものをいつまでも使い続ける行為が尊敬を集めるという、他のヨーロッパ人とは明らかに異なる特徴を持っている。このホンダ・コンチェルトの、流行とはまったく無縁の、長年使ったらきっと味が出るだろうという端正すぎる外観や、チマチマした小造りな感じのインパネ、それらの要素が醸し出す、クルマ全体のひっそりとした雰囲気に、僕はこのクルマがもはや日本車ではないこと(イギリス車であること)を強く感じる。

写真のグレードは、5つある4ドアセダンのグレードのうち下から2つ目の「JL」。サイドウィンドウの外枠やドアノブ、モール類が完全にブラックアウトされ、端正なボディがより強調される点が好ましい。スポーティなスチールホイールの表情も相当いい。こんな中間グレードに乗るのも、アンダーステートメントを好むイギリス人らしくて良いのではないか。また、これはJLだけの特徴ではないが、このクルマのリアビューは、コンビランプの造形がとてもシンプルでありながら、十分に個性的である。

コンチェルトには、実は5ドアも用意されていた。コンチェルトの真のうまみは、実は5ドアボディにあるような気もしている。
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最下級グレードの世界⑪ トヨタ・コルサ(L40型)

2009年12月25日 13時21分22秒 | Weblog
僕はBセグメントのセダンを見ると、こんな小さなボディであってもセダンを求めずにはいられない人間の気持ちを思い、あらためてセダンとは自動車のスタンダードであり、合理性を前面に出した背の高いクルマでも侵せない世界があることを再確認する。「なによりもまず、一台のクルマが欲しい」というときには、選ばれるのはセダンなのかもしれない。「経済的に劣勢のときは、人間は不思議とセダンを求める」という指摘もある。もっとも、このサイズのセダンの主たる消費地である新興国においても、最近は背の高いクルマが徐々に幅を利かせるようになってきているらしいが。

このコルサ・セダンは、「AX」という最下級グレード。ごく短いリアデッキがかわいい。かといってファンシーなだけのデザインになっていないところがいい。うまくいえないのが残念だが、トヨタ的なカッコよさを十分に備えている。個人的には、リアドアのウインドゥデザインがこのクルマの最大の魅せどころだと思う。このデザインのまま、インドあたりで売ったら成功するかもしれない。

このクルマは、僕の通勤路に停まっている。オーナーは、70過ぎの老人だ。コルサというクルマの、それも最下級のグレードを、フェンダーミラーで、長期にわたり足として淡々と乗る。羨ましいクルマとの付き合い方だと、出勤途中で見かけるたびに思っている。
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トヨタのおいしい部分-ターセル・ハッチバック

2009年12月21日 20時59分31秒 | Weblog
1986年に発表されたターセル・ハッチバックである。そのグレード体系における上位かつスポーティ機種として、リトラクタブルヘッドライトを備えた「リトラ」がちょっとだけ話題になった世代だ。でも、このクルマのハイライトは、ごく普通の5ドアハッチバックにある。

当時小学生だった僕は、なかなかその事実に気づかなかったけれど、この5ドアのデザインはなかなか見どころがある。このデザインは明らかにモダン路線を狙ったものだ。そして、その目論見は成功しているように思える。徳大寺有恒風にいうなら、「新しい生活を感じさせてくれる」ものがあるのだ。今日の視点を持ち出すなら、ノーズがやや長いというところにパッケージングの古さを感じさせるが、それとてさほど気になるものではない。

もともとトヨタはハッチバックのデザインが巧みな会社だ。少なくとも1980年代から90年代の初期まではそうだった。初代FFスターレット(1983)とその次期型(1990)、初代カローラFX(1984)、4代目ターセル/コルサ(1990)を思い出してほしい。その後、残念ながら、1990年代の中盤にかけて、トヨタは凡庸な、「とりあえずハッチバックをやりました」という程度のハッチバックしか産み出せなくなる。1994年にターセル/コルサ/カローラⅡがフルモデルチェンジしたとき、旧型より明らかに後退したそのデザインをまのあたりにして、トヨタもついにネタ切れか、と思わずにはいられなかった。1996年のスターレットのフルモデルチェンジにいたって、さらにその思いを強くした。プラットフォームと各種パーツを旧型から極力流用し、したがって設計の自由度が大幅に制限されるモデルチェンジだったとしても、あまりにひどいものがあった。トヨタがハッチバックのデザインで再びわれわれを驚かせてくれるのは、1999年の初代ヴィッツまで待たねばならない。

ところで、写真のターセルには、出来の良いディーゼルターボを積むグレードがあった。このサイズ、このデザインのハッチバックをディーゼルで走らせながら、クレバーな都市生活者を気取る…という発想はあまりに80年代的だろうか。
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定番に憧れる-LAMY2000

2009年12月19日 23時38分40秒 | Weblog

あまり威張れる話ではないが、僕は貧乏性である。新しい携帯電話を買って箱から取り出すとき、石鹸で手をきれいに洗ってからでないと、買った携帯に触れることができない。ホコリっぽい手や、お菓子を食べた後の手が、光り輝く携帯を汚してしまうのに耐えられないのである。したがって、携帯電話ショップの店員が、僕よりも先にその携帯に触れて各種設定をしている様子を、僕はじーっと見守ってしまうのである。その手はきれいか?電池ブタを外すとき、無理な力を加えていないか?頼むから乱暴に扱わないでくれよ、と。

そんなわけだから、最近ふと思い立って購入したLAMY2000も、いまのところ大事に大事に使っている。携帯もボールペンも、気兼ねなく扱ってなんぼの製品ゆえ、数週間も経てば普通に扱える心境になるのだが、それでも僕にとってその数週間は「自分と対象物の距離を測り、今後の使用過程で深い愛情を育む準備期間」なのだから、おろそかにはできないのである。

僕は多色ボールペンの愛用者であるが、LAMY2000の前は、ロットリングのエグゼクティブを数年間使っていた。愛情をもって使っていたが、使うたびに指紋だらけとなるそのボディは微妙に不満であった。後継にLAMY2000を選んだのは、エグゼクティブが生産中止になってしまったということもあるが、使い込むほどにテカりを増すというその「エイジングボディ」に惹かれたのが大きな理由だ。あとは、1966年の発売以降不変という、そのタイムレスなデザインも。
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ライバル車大ヒットの前奏曲としてこれほど適切なクルマがあるだろうか?

2009年12月17日 03時35分41秒 | Weblog
3代目プレリュードというクルマは、どことなく悲しいクルマである。このプレリュードが世に出たのは1987年だったが、その翌年に日産からS13型シルビアが登場し、その痛快なほどのバカ売れ(数字はともかく、感覚的にはいまのプリウスの大ヒットぐらいのインパクトがあった)によって、先代に続いてまたも成功作かと思われたのもつかの間、あっという間にスペシャリティ市場の主役から引きずりおろされたという歴史のせいである。

当時、このプレリュードを買った人は、「シルビアがあるのに、なんでこっちを買ったの?」という友人の視線と戦わなければならなかった…かどうかは定かではない。もしかすると、友人の視線よりも先に、自分の中に湧き上がる「シルビアを買うべきだったかも」という遣る瀬無い後悔の念と戦わねばならなかったかもしれないなァと思う。

最近、ふとしたきっかけで手に入れた3代目プレリュードのカタログをよく眺めると、シルビアと比較しなければ、これとて十分にカッコいいクルマだったことがわかる。僕がもし、1987年に青春時代を迎えるようなめぐりあわせだったなら、宣伝メイングレードの「Si」や「XX」は選ばず、中間グレードの「XR」を買ってマイノリティを気取るだろう(XRというグレード名も個人的に好き)。最下級グレードの「XL」はさすがに選ぶのに勇気がいる。「XL」のバンパーは、ボディ同色ではない、無塗装のバンパーなのだが、スペシャリティカーに無塗装のバンパーの組み合わせはさすがに厳しいものがある。アメリカの空の下で見ると、カッコいいと思うこともあるけれど。

そんなわけで、てっちんホイールもまぶしい中間グレード「XR」は、しかし、選択するにあたり決定的にネガティブな要因がある。あまりにプアなオーディオ構成がそれだ。標準装備がAMラジオなのはまだ許すが、なんと1スピーカーという割り切りのよさである。1スピーカーということは、買った後のオーディオシステムの発展性が非常に厳しく制限されることなのではないか。スペシャリティカーを謳う以上、許されることではないと思うのだが、20年以上前のワカモノたちはどう思っただろう。
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