Open your eyes

クルマに関する妄想集(+その他のことも少し)

広島のランティス

2022年06月19日 23時45分55秒 | Weblog

僕はときどき広島に出張する。高校の修学旅行で来て以来、約30年ぶりの広島は水の豊かな美しい街で、僕は高校生の時、広島という街を自分の中に刻み込まず、ただ通り過ぎてしまったことを深く恥じた。 広島出張のたび、僕は無理やりにでも自分の時間を作って、一人で街を歩くことにしている。

今回もそうやって市内を歩いていたら、きれいなマツダ・ランティスと遭遇した。
ランティスは2種類のボディを持っており、そのうち5ドアクーペ(以下クーペ)のほうはマニアックなファンが多くついた車種である。しかし、今回僕が遭遇した4ドアハードトップ(以下ハードトップ)は、さしてファンを抱えるわけでもなく、実際ここ何年も見かけたことはなかった。もはや日本を走る車両数もだいぶ少なくなっているのではないだろうか。





このクルマが発売されたのは1993年で、ハードトップと同時に投入されたクーペは、その外観デザインの美しさが話題となった。確かに、「323F」(日本名ファミリア・アスティナ)の発展形を思わせるハッチゲート付きのボディは凝縮感に富み、この手のスタイリッシュな車種の少ない欧州では日本以上に評判をとったとも聞いた。

それに対し、ハードトップは特に話題にならなかった。当時、世の中にはカローラセレス/スプリンターマリノ(トヨタ)、プレセア(日産)、エメロード(三菱)といった多くの「カリーナEDコンセプト」に基づく4ドア車があふれていたが、このハードトップもよくあるカリーナEDの亜種と受け止められた。実際、評論家筋の評判も冴えなかった。そしてそのまま時は流れ、背の低い4ドアという車型は誰にも見向きもされなくなっていくのだ。



久しぶりにまじまじとこのクルマを眺めると、ふくよかな曲面を湛えたボディがやけに美しく見える。当時はクセが強いと思ったリアコンビランプもさほど気にならない。セダンというボディに実用性を求めなくなって久しいが、そんな時代にあってカリーナEDコンセプトをマツダ流に解釈したこのクルマはなかなか魅力的だと思った。たしかにランティス・ハードトップは評論家からは高い評価を受けなかったが、日常の足として長きにわたりこのクルマを静かに愛しているオーナーのことを思うと、結局クルマなんて実際に自分の懐を痛めて買う人が、自分で気に入って好きに乗ればそれでいいのだという気がしてきた。誰が何を言おうと、このランティス・ハードトップとオーナーとの間に積み上げられた時間に他人がケチをつけることはできないのである。この広島で、僕が修学旅行で訪れた翌年に投入されたこのクルマと出会い、僕はこの30年間を一気に飛び超えた気持ちで広島の街中に立ち尽くしていた。



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ノートe-POWERを試す

2022年06月07日 18時34分49秒 | Weblog

先日、日産サクラを見て以来、僕の中で日産の存在感が高まっている。
だから、今回奈良に出張したとき、現地の足として迷わずにノートe-POWERをレンタカーで借り出した。グレードは普及版の「S」である。

僕にとっては現行の「E13型」ノートe-POWERに乗るのはこれが初めてとなる。旧E12型のe-POWERモデルには何度か乗った経験があり、正直そのパワートレインには感心したわけではなかった。(E12ノートが2012年に出た時から、そのきれいなボディデザインには好印象を抱いていたが。)
ところが今回、京都で車両を受け取り、奈良までの高速道路の上で驚いた。

とにかく「速い」のである。そしてきわめて静粛のうちにその速さが実現するのだ。
0km/hから80km/hはあっという間。そして100km/hは単なる通過点で、120km/hで巡行体勢。ちなみにこの時点で、持てる力の6割程度しか使っていない印象だ。
さらにアクセルを踏み増すと、驚くべきことに140km/h以上のゾーンまでまったく苦しまずに速度を積み上げていくのだ。その時にはさすがにエンジン音が高まるが、エンジン音と車速がきちんとリンクして共に増加していくから違和感はない。僕にとって旧型ノートe-POWERで不満だったのは、アクセルを踏み込んでもスピードがついてこず、やたらにエンジン音が高まることだったから、新型の進歩は大いに気に入った。

ハンドリングは、軽快さをイメージしていたが、逆だった。どっしりしている。よく言えば大きいクルマに乗っているようにも思える。
エンジンとモーターの両方を搭載することでフロント荷重は相当に重いはずだ。それでも、分銅を振り回している感じはしない。そのかわり、マツダ車のようなステアリング操舵に敏感な感覚は薄い。ややナマクラな感じなのだ。 僕はこのナマクラな感じは嫌いではない。マツダ2(旧称デミオ)に乗った時、その敏感な操舵感が最初は面白かったが、1時間で飽きた。そして2時間経つ頃には、その敏感さが少々うとましく感じられ、運転に疲れたことがあるからだ。

マツダ2の、そういっては悪いが底の浅いハンドリングを思い出しながら、僕はノートのほうにより本格的な自動車らしさを感じた。日産はGT-RやZを擁しており、押しも押されぬスポーツカーメーカーだ。でありながら、実はノートのような実用車や、キャラバンのような荷役グルマこそクルマの本流だ、と考えている一派が社内にいるのではないかと想像する。彼らは、クルマのことをおもちゃと考えておらず、大衆の良き道具、暮らしを便利にする欠かせない道具と捉えているのではないだろうか。ノートの一見ナマクラな、しかし結果的にはリラックスして運転できるハンドリングからそんな想像をたくましくしているうちに、目的地の奈良市内に着いてしまったのである。

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