Open your eyes

クルマに関する妄想集(+その他のことも少し)

TMネットワークにおける小室サウンドをめぐって

2010年01月31日 22時55分59秒 | Weblog
ここ最近、TMネットワークをよく聴いている。なかでもよく聴く「金曜日のライオン(Take it to the Lucky)」、「Come on Let's Dance」、「RESISTANCE」は、僕がTMネットワークを知るきっかけとなった、あまりにも有名な「Get Wild」以前の曲であり、それゆえに、ベストアルバムに収録されるぐらいメジャーなのに僕にとってはいままで未開拓だった曲たちである。

TMネットワークといえば小室哲哉についてふれないわけにはいかない。
僕には小室サウンドを浴びて育ってきた世代という、自負にも似た思いがある。小学生のときからTMネットワークや渡辺美里を聴いて育ち、長ずるに及んで小室ファミリーブームの波をかぶったのだから。実際、僕が大学生だったころは、trfやglobe、安室奈美恵、その他のファミリー構成員たちの曲を耳にしない日はないほどだった。あの数年間を、二十歳前後という歳でリアルに体験できたという意味で、僕らは確かに時代の空気を吸って育ったといえる。もっとも、僕は小室哲哉の商才に感心する一方で、毎月のように次々と送り出される新曲にいささか辟易ぎみであったけれど。

そんなわけで、僕の小室哲哉観は、音楽家というよりは音楽屋というものであり、それはTMネットワークを含む小室サウンドの提供主体への印象形成には必ずしもプラスではなかった訳だが、今回、冒頭に挙げたTMネットワークの楽曲を深く聴きこんでみて、今までの小室サウンドの印象は大きく修正された。すでに四半世紀近く昔の曲だけど、その音の構成において、今でも十分に鑑賞に耐える新鮮さと完成度を持っていると思えた。これは僕にとっては大きな発見(というか再確認)で、僕の音楽生活が少し豊かになった気がしている。そして、冒頭の楽曲がリリースされた1984年~1988年ごろの自分を振り返る作業も、少しだけ、せつなく、たのしい。
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プジョー405ブレーク

2010年01月24日 15時44分41秒 | Weblog
ひさしぶりにミニカーを買った。プジョー405ブレーク、フランス郵政公社仕様である。彩度が抑えられたイエローのボディに、ものすごくフランス車を感じる。

プジョー405とは、セダンもそうだったが、ブレークも地味なボディだ。僕のような人間は、その地味なところにフランス車っぽさを感じて喜ぶわけだけど。実際、このクルマはセダンもブレークも地味ながらとてもバランスのとれたデザインで、長く乗ったら味がでてカッコよくなるだろうなあと思わせる。

このクルマは、フランス人にとってはどうということのない単なる実用車だ(405のクラスを買うのは、生活に少し余裕のある層だろう)。だから、われわれ日本人がトヨタ・プレミオや日産シルフィのデザインに目くじらをたてないのと一緒で、フランス人もこの405のボディに特別の感慨を抱かず、すんなり受け入れたのだろう。そう考えると、僕がこの405のデザインを云々してみたところでなんになる、と少しおかしくなる。

クルマの顔つきがどんどんきつくなり、ボディは筋肉質なデザインが流行しているけれど、この405ブレークのような上品なデザインにも捨てがたい味がある。クルマを10年、15年と長く乗りたい人たちにとって、こんなクルマがいま見あたらないことは残念なことだ。
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日産ラフェスタ、いいと思うんだが

2010年01月16日 23時43分59秒 | Weblog
気がつけば、日本のミニバンははっきりと2種類に分かれている。すなわち、日産セレナやホンダ・ステップワゴンに代表される「背が高い系」と、ホンダ・オデッセイやトヨタ・ウイッシュなどの「背が低い系」の2種類である。そして、販売数量的には背高系が圧倒的に優位に立っており、ウイッシュやオデッセイ、ストリームなどの背低系は往時の勢いをすっかり失っているというのが、こんにちのミニバンマーケットの姿だ。初代オデッセイ(1994年)や初代ストリーム(2000年)、初代ウイッシュ(2003年)のかっとんだ販売台数がなつかしく思える。

そんな中、登場した当初から勢いを失ったままでいる、一台の背低系ミニバンがある。日産ラフェスタのことだ。このクルマは、登場したときからすでにマイナーなアウラを発散していた。なぜって、背低系ミニバンでありながら、スタイリッシュにはほど遠いカタチをしていたからだ。

背低系ミニバンの存在意義は、スタイリッシュなボディにセダンやワゴンとさほど変わらぬ運動性能を備えながら、いざとなれば合法的に7人の乗員が乗れることにある。ところが、この「いざとなれば」というのがポイントで、背低系ミニバン、特に5ナンバーサイズのボディを持つモデルは、実際には7人乗車しようという気を起こさせないほど、多人数乗車ビークルとして使い勝手が悪い。3列目に乗り込むときには穴蔵にもぐりこむような姿勢を強いられるし、1列目⇔2列目のウォークスルーは天井の低さとシート間の通路の狭さが災いして、極めてアクロバティックな姿勢を強いられる。それでいて、7人乗ったら、今度は7人分の荷物をどこに置けばよいのか困ってしまう。ミニバンを本当に多人数乗車ビークルとして使いたいという向きには薦められないクルマなのである。

だからこそ、背低系ミニバンというのは、上記のようなデメリットを不問とするぐらいのカッコいいボディが必要なのであるが、競合車が備えているわかりやすくスタイリッシュなボディを、なぜかラフェスタは与えられていなかった。かわりに、しょせんは5ナンバーサイズの背低系ミニバンなのに、精一杯実用性を確保しようとした意図が伝わってくる。いくら頑張っても、ミニバンとしての実用性は同門のセレナにかなうはずもないのだが…

とはいえ実は、僕はラフェスタのそんなところ(背低系ミニバンでありながら、カッコよさをあきらめて実用性を追求したところ)がひそかに好きだ。この気持ちは、「えー、趣味わるーい」と周囲から言われるのを恐れて、あの人が好きと公表できない女子高生の気持ちに近い。僕は、背低系ミニバンでも実用を志向したボディはありだと思っている。というか、ミニバンはミニバンのカッコよさを追求するべきであり、それは必ずしも流麗なクーペ的なデザインだけではないだろうと思っている。この写真のラフェスタは、ルーフに重量物を載せられてボディが沈みこんでおり、実用車としてなんともいえないカッコよさを発している。ウエストラインから下のアンダーボディはそのままに、もう少しルーフを低めると、競合であるスタイリッシュ背低系ミニバンに近づけたと思うが、これはこれでよいのだろう。細かいことだが、ホイールキャップのデザインも、たいしてスタイリッシュとはいえないところがステキだ。
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雑誌「NAVI」の休刊について

2010年01月07日 01時32分25秒 | Weblog
もう日付が変わってしまい、昨日のことにはなったけれど、「NAVI」休刊のニュースに接し、少々感じるところがあった。
昨年末、たまたま入った書店で、僕は本当に何年かぶりに「NAVI」を買った。これまでにも、書店での立ち読みや、会社のマガジンラックに置かれてあるものに時々目を通してはいた。が、自分でお金を払ってNAVIを買ったのは、いったいいつ以来のことだろう。

僕はかつて、NAVIの熱心な読者であった。発売日である毎月26日を楽しみにしていた頃がなつかしい。僕が初めてNAVIを買ったのは高校3年のときだった。1993年7月号が、それである。正直に言えば、初めてのNAVIからは、それほど感銘は受けなかった。理屈っぽさと、なんというか書き手のエリート意識が鼻についた。きっと、その号の特集(特集名は、「オオッ!スポーツカーはゆたか」)と僕の興味があまり合わなかったのだろう。雑誌というのはそういうところがある。僕がNAVIにハマり、これこそ自分が読みたかった雑誌だと思うようになるのは、その後の1994年4月号を読んでからである。ちなみに、その号の特集は、「自由!平等!友愛!なんてったってフランス車」というものであった。

NAVIというタイトルは「日本の自動車文化を先導(Navigate)する」という意味だろうと思っていたが、Wikipediaの記事によれば、「New Automobile Vocabulary for the Intellectuals」という意味もあるそうだ。なるほど、僕が理解しているNAVIのコンセプトを正確に表現していると思う。
NAVIの名物編集長、鈴木正文氏が突如NAVIを去って10年になる。この10年の間、NAVIは何人もの編集長が交替してきたが、いずれも鈴木氏の時代を超えて魅力ある誌面を創れなかったというのが、僕の感想である。もっと言うと、この10年、NAVIはその編集ポリシーにおいて迷走を続けてきたように思える。そして、僕もNAVIを毎月買うことをいつしかやめてしまった。

僕が毎月のNAVIからさまざまな世界観(自動車以外のことも含めて)を吸収していた時期は、ちょうど浪人生と大学生を足した5年間に重なる。この時間だけは豊富な時期に、NAVIが僕の嗜好と一致し、僕がそれを楽しく読めたのは幸運なのかもしれない。僕の手元にあって、ときどき読み返している過去のNAVI、例えば1993年あたりのものを、現在のものと比べると、当時の誌面は1ページあたりの文字数が圧倒的に多いことに気づく。こう書くと、現在の編集者は怒るだろうが、それだけ、当時の書き手には読者に伝えたい何かがたぎっていたのだろう。また、個性豊かな執筆陣による、自動車以外の記事も、現在よりはるかに魅力的だった。神足裕司氏や柏木博氏、駒沢敏器氏、佐山一郎氏、堀内貴和氏などの当時の記事は、いま読んでも相当に知的興奮が得られる。そう、当時のNAVIは巷にあふれる凡百の自動車雑誌ではなく、あきらかに自動車という一文化を内包したカルチャーマガジン、あるいは知的思想の見本市だったはずだ。毎号の最初の記事である、鈴木正文編集長による「NAVI Inside」のページにもそれがよく表現されていた。NAVIのそういうところを、僕は愛していたし、NAVIが編集部員を公募していたときには心が動いたことすらあった。

僕がNAVIを毎月買わなくなってから、7-8年が経った。この7-8年の間、僕にとって毎号欠かさずに買うに値する自動車雑誌にはついに出会えなかった。鈴木正文氏による「ENGINE」も、自動車をカルチャーというよりはファッションというより狭い世界で捉えているように見える。おそらく、鈴木氏はNAVIと同じことを新しい自分の雑誌で繰り返すことを避けたのだろう。そんなわけだから、僕もこの短くない期間を、なんとなく渇いた気持ちで過ごしてきたのだが、先日、何年ぶりかにNAVIを買ったとき、次号からのNAVIは新しい編集長の下で新しい誌面を目指すことを知り、それならまたしばらく買ってみるかと思っていた矢先の、休刊のニュースであったのだ。

NAVI休刊のニュースを聞いて、衝撃を受けたというよりは、ある程度予期していたことが現実になったという思いのほうが強かった。NAVIを失うことで、昔からの友人を失ってしまうような深い喪失感を、いま僕は覚えている。
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