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クルマに関する妄想集(+その他のことも少し)

日産サクラの衝撃

2022年05月30日 14時30分52秒 | Weblog

日産から新しい軽自動車が出てきて、名をサクラ SAKURAというそうな。
このサクラは100%電気自動車でもあるという。
これまで軽自動車にはあまり魅力を感じたことがなかったが、サクラには初めて購買欲をかきたてられたので、この週末は横浜の日産ギャラリーに行って実物を見てきた。

これまでの軽自動車の歴史を振り返って、僕が欲しいと思ったクルマは、初代トゥデイと現行ジムニーぐらいだろうか。そのほかにも、いいなと思ったクルマがないわけではないが…  上に挙げた2車は、軽自動車というより、「たまたま軽に分類されている、よくできたコンパクトカー」だと思う。

日産サクラは、初代トゥデイと現行ジムニーに続く、欲しいと思える軽自動車である。このサイズで美しいデザイン完成させたことがすごいと思う。フロントマスクはアリア顔で、評判が悪かろうはずもないが、このクルマの最大の白眉はリアビューである。軽のサイズでクルマをデザインしようと思うと、どうしても可愛らしさに逃げがちとなるが、日産のデザイナーはこのサイズでも大人の鑑賞に耐える意匠ができることを証明したと思う。

 

このクルマの外観が自動車としての魅力を十分に備えていることは納得したので、あとは電気自動車としての性能になるが、これはあまり期待するのは酷だろうと思う。僕は会社から貸与されたリーフに業務用途で1年間/5,000km乗った経験があるが、電気自動車はまだ不便だなという立場の者である。車両供給難の昨今、サクラがレンタカーとして配備されるのは少し時間がかかると思うが、ディーラーの短時間の試乗ではなく、数日間ほど腰を据えて乗ってみたいと思っている。

 

 ホンダ 初代トゥデイ

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自動車広告(日産サニー 1990)

2022年05月22日 15時38分23秒 | Weblog

自動車の広告から抽象的な表現が消え去って、燃費や環境性能、安全性、利便性がその数値とともに直截的に訴求されるようになって久しい。もはや様々な情緒的表現が実験されつくして、受け手の思考を促したり、感情に揺さぶりをかけたりする広告はすたれ、代わりに商品の長所(車内が広い、燃費がいい、加速がいい、etc)をストレートに伝える広告が正義とされるようになった。現在、自動車はそんな広告ばかりである。
 
そんな今の状況からみると、1990年代の自動車広告は、著名なタレントと美しい映像、そして凝ったキャッチコピーという、20世紀半ばに確立した自動車広告のスタンダードがまだ脈々と息づいていたと思う。

本稿では、1990年代の自動車広告の口火を切って投入された、B13型日産サニーの市場導入時の広告(1990年1月)を紹介したい。
この頃の日産は、Be-1・シーマ・シルビアの文字通りの空前のヒット(1987-1988)に加え、スカイライン・フェアレディZといったイメージリーダーモデルの発売(1989)、また、その他の新型車でも攻めの姿勢を十分に感じさせる商品と広告のおかげで、企業イメージは最高潮に達していた。
 
新型サニーの広告は次のように謳う。
 ・20世紀の残りは、日産がおもしろくする。
 ・サニーの夢は、ひとつじゃない。
 ・スモールの革命が、はじまった。
 
どのコピーも、2020年代の自動車広告に慣れた目からすると、抽象度が高すぎて意味がよく理解できず、それがかえって読む者に自由な空想を喚起せずにはおかない。加えて、国や地域が特定しづらい風景、陣内孝則の風体、真昼の中空に浮かぶ謎の惑星など、独特の世界観を強く感じさせ、「新しいSUNNY」がそれまでの常識的なクルマとは違うことを強く印象づけようとしている。正直、これでは受け手も混乱(困惑)すると思うが、おそらく日産はそれも織り込み済みだろう。日産は受け手に対して確信犯的に勝負を挑んでいると受け取れなくもない。
 
今から振り返るなら、サニーという高齢者を多く含む膨大な数のユーザーに向けて打つ広告としては、おそらくベストなものではなかっただろう。また、肝心の「新しいSUNNY」は、従来型B12サニーを現代風にアップデートしただけにとどまり、日産の意欲を感じさせる商品には映らなかった。

事実、B13型サニーの広告はその後、この奇妙な世界観を常識的なものに修正するなど、4年間のモデルライフの間に保守化の一途をたどった。でも、僕はこの市場導入時のオリジナル広告に当時の日産の勢いを感じ、失敗作と斬って捨てることができないでいる。実際、他の車種を含めた日産のこの種のトーン&マナーの広告は、肝心の商品の訴求では失敗でも、学生を集めるうえでは一定の役割を果たしたと思えるのである。

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プジョー306との出会い

2022年05月07日 15時18分11秒 | Weblog

「愛車」という言葉は、少しナルシスト的な匂いがして抵抗を感じるが、でも当時の僕はこのクルマを間違いなく愛していた。プジョー306のことだ。

1994年型の1800XT。2002年から2007年まで、まるまる5年間を共にした。このクルマを初めて知ったのは、1994年の3月、桜の咲き誇るころに手にとった、雑誌「NAVI」誌上でのことだった。

「こんな小型車を私たちは待っていた」と題されたその記事を読んだ時の衝撃は、今でもよく覚えている。当時、大学受験に失敗して浪人が決定したばかりで、自分の未来に関する一切を考えられなかった僕だが、それでも「自分はいつかこのクルマを買うな」と直感した。

大げさに言えば、その日から僕の生活は一変した。自分の未来についてなんらポジティブなイメージを持てず、敗北感にまみれた灰色の日々が、306との邂逅によって、急に色を帯びはじめた。
目の前の視界が急に開けた気がした。自分のなすべきことをはっきりと意識できて、将来を切り拓いていく、自分にはそれができると思うことができたのだ。たかが一台のクルマ、正確には、雑誌に載った一葉の写真が、18歳の僕にそんな勇気を与えたなんて、ほんとうに不思議である。その時のNAVIはどうしても捨てる気になれず、いまでも大切に保管している。

それから僕は、翌年に無事に大学生となった。それと同時に、いろんなクルマに心を奪われ、実家のクルマ(マークⅡ2.5L)に長いこと乗ったりして、実際に買うまでには8年かかったけれど、2002年6月、板橋区の中古車店で5万km走行の個体に出会い、諸経費込みで70万円を払って、僕は306のオーナーになった。

僕は、306の保守的な外観、大きすぎないボディサイズ、1.8Lのエンジン、グレーの内装など、どれもみんな大好きだった。特にボディデザインにはほんとうに惚れ込んでいた。いまでも、格好良いというレベルを超えて、美しい、奇跡のデザインであると思っている。

306を手放してから、もう14年が経過した。街中で306に遭遇することもだいぶ稀になってきた。あれほど気に入って乗っていた306だが、いまでは記憶も薄らいできている。
年に数回、僕の住んでいる地元の駅で、シルバーの306を目にすることがある。そんな時は、306に愛を感じながら乗っていた当時の日々があふれるように思い出され、つい視界から消えるまで、その場に呆然と立ち尽くしてしまう。あの特徴的なリアビューを、いつまでも目で追ってしまうのである。

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