Open your eyes

クルマに関する妄想集(+その他のことも少し)

プリメーラ賛歌 (for 'UK')

2006年07月29日 00時38分30秒 | Weblog
年に数回、僕はむしょうにプリメーラUKが欲しくなる。 今回もまた、その衝動がやってきた。
日本に導入されていたプリメーラUKは、GTというスポーツグレードだったけれど、ここに掲げたGX的な地味グレードもイイ味を出していて好きだ。 GTに付いていたリアスポイラーが省かれていて、5ドアらしさがしみ出ている。 ソリッドな白いボディも、5ドア=実用車のイメージを盛り上げている。 くぅー、欲しいぞ!

もとより、僕はプリメーラが好きだ。 日本市場からプリメーラの名が消滅したことを、真剣に惜しんでいる。
それあ、確かにP12はプリメーラ原理主義者の期待を裏切ってしまったけれど、ブランドを消して後継車もないなんて、そんな処置はちょっとひどすぎないか?
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カローラに愛の苦言を呈してみる

2006年07月19日 00時57分28秒 | Weblog
そろそろ次期型カローラがスクープ雑誌に登場し始めたけど、もうそんなになるんだっけ? いまのカローラが出てから。 2000年投入組がどんどんフルモデルチェンジしていく… 早!

僕は、昔からカローラが好きである。 特にセダンは、今のモデルになる前までは、どこか小市民的な、いばっていない感じが好ましかった。 それでいながら、機械としての信頼性や耐久性を追求している点に、道具としての本格さを感じていた。

現行型セダンの、デリカシーがあるとはいえないデザイン (言いすぎかもしれないが、「ハイデッキにしときゃいいんでしょ~」的なデザイン)は、この6年間というもの、ついに馴染めなかった。 初期~中期型のタレ目ランプも。 ハッチバックのラン/アレはまた別にして。
(現行カローラセダンで唯一マシなところ; ASSISTAパッケージのてっちんホイール!)

次のカローラ、マガジンXで見たけど、別に人の憧れを誘うような感じではなかった。 カローラを買うことが労働のモチベーションになっている国や地域はまだまだたくさんあるんだけどね。 あ、別のボディで売るのか。 でもなあ。
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結婚したいクルマ

2006年07月12日 00時01分12秒 | Weblog
異性のことを評して、「結婚したい男(女)」ということがある。
これは多分に「ちょっと遊んでみたい男(女)」という表現と対をなすものと思われる。 すなわち、「結婚したい…」とは、たとえ外見はおとなしくても、自分と思想や趣味や将来のビジョンを同じくし、付き合う時間が増すほど充実度も高まって愛おしさも増すという関係にのみ使われる表現であると考える訳だが。

クルマにも、「結婚したいクルマ」という世界がある。 そしてそれは、80年代から90年代前半にかけてのトヨタ車に、もっとも多く見受けられたように思う。
ここに掲げた初代FFコロナも、僕の中でその世界に位置付けられるクルマのひとつだ。
このクルマが登場したとき僕はまだ小学校2年生だったが、そのカタチがどうにも好きになれなかったことを覚えている。 なにより、上か下かはっきりしないサイドモールの位置と、シャキッとしていないカーヴを描く6ライトのサイドウインドゥが嫌だった。 1987年にフルモデルチェンジするまで、一度も良いと思ったことはなかった。

このクルマのスタイルが好きに変わったのはいつのことか、覚えていない。 実は、今でも好きな理由を自分の中で明文化できないでいる。
自動車デザイナーではない僕でもわかることは、当時のトヨタにしてはとても新しいカタチ(少しフランス車入ってる)であり、時間の経過に耐えうることを目指したデザインで、そして、イヤミな言い方だけど、インテリ層をターゲットにしたデザインだということ。 上記の、特に2番目の理由により、僕はこのクルマをいま買ってもいいと考えるのである。

このクルマが出た翌年には、クリスタルピラーのマークⅡがデビューしている。 ということは、このコロナとマークⅡの開発期間はだいぶ重なっていたと考えられる。 FR版の併売という保険があったとはいえ、コロナとマークⅡで、同時期にこうも違うデザインを採ったトヨタって勇気あったよなあ、と思う。
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セリカ、好き好き大好き

2006年07月03日 22時02分49秒 | Weblog
高校生の頃、僕はセリカが大好きだった。名前からして最高すぎると思っていた。CELICAという名は、celestialという単語をそのルーツとしていることを知り、ひとり深くうなずいたりしていた。
17歳というのは、烈しく免許を希求する齢だ。そんな頃の僕は、セリカの助手席に彼女を乗せてドライブすることを日々夢想した(かわいいな >自分)。 そのセリカには、サンルーフが必ず装着されていなければならないのであった。

話は前後するけれど、中学生のときに 「私をスキーに連れてって」 を金曜ロードショーで見た。「BLIZZARD」 のBGMでセリカGT-FOURが雪を蹴散らして疾走するシーンに、座り小便をもらすほどに衝撃をうけた。思えば、それから数年後のセリカ欲しい病は、そのときの記憶がベースとなっていたのかも。

家の近所の砂利敷きの駐車場に、僕があれほど求めた流面形セリカが野ざらしになっているのを見つけてから3年近くがたつ。青春時代がいつ始まり、そして終わるのかは明らかでないが、間違いなく僕の青春の初期ステージをいろどる流面形セリカがこんな形で朽ちているのは、とてもとても哀しい気分だ。大々々々大好きだった、しかし結ばれることのなかったクルマと、こんな形での再会を誰が望むっていうんだ?

一度は欲しいと思い、そしてその想いにしたがって自分のものにしたならば、最後まで美しくそのクルマと添い遂げてほしい。このセリカの持ち主だった人は、今どこで何のクルマに乗っているのだろう。
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