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クルマに関する妄想集(+その他のことも少し)

奥目ライトのクルマたち① 日産ADバン

2008年10月29日 01時58分19秒 | Weblog
写真は、とある観光地で2年以上前に遭遇した、日産ADバンである。このクルマも、僕が中学生ぐらいまではそれこそ掃いて捨てるほど走っていたが、今ではすっかり見かけなくなってしまった。懐かしいなあ。「カロゴン」とボディを共用していたカローラバンも、気付けばプロボックス/サクシードに順調に置き換えられているように見える。こうして旧モデルは静かに姿を消していくのか。

この写真のADバンは後期型である。前期型は丸目ライトを備えており、それゆえ、後期型とはずいぶんと違う表情だった。後期型になり、スマートさを感じさせる薄型グリルと角目ライトを与えられたわけだが、この後期型ADバンの顔は、実は同時期のUSセントラ(B11型サニー)からの流用だったというのは、あまり知られていない事実である。

ところで、僕はこのADバンのような「奥まって配置された小さめの角目ライト」が醸し出す表情が好きである。このデザイン手法は80年代前半のアメリカ車でよく見られたもので、したがってアメリカでの量販を前提とした非アメリカ車にも、この顔を持つクルマは多く見られた。この手法をとると、そのクルマは顔つきからファニーな印象が消え、例外なく大人びた表情になるからおもしろい。当時の日本車でアメリカ市場を目指したクルマは、そのほとんどがこのような「第2の顔」を与えられていたように思う。ちなみに最近では、旧タウンエースバン/ライトエースバンにこの「奥目ライト」の例がある。
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最下級グレードの世界④ オペル・アストラ 【写真追加】

2008年10月24日 23時52分20秒 | Weblog
オペル・アストラ1.8CDの写真を追加で紹介したい。前回記事の赤もそうだけど、この写真の紺の塗色も、このクルマを若々しく見せるのに寄与している。オペルというブランドがそもそも強烈な個性をもたない(エスタブリッシュメントではない)だけに、なおさらその感は強い。

この写真は日本仕様のカタログからとってきたものだ。日本のカタログ作りに共通する点として、最下級グレードをブラックないし紺、濃いグレーの塗装で掲載する傾向があると思う。これはおそらく、無塗装のバンパーやアウトサイドドアハンドル等を目立たなくする意図があると僕は思っている。
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最下級グレードの世界④ オペル・アストラ

2008年10月22日 00時26分40秒 | Weblog
僕は歴代のアストラの中では、このモデルがもっとも好きである。VWゴルフがあくまでゴルフネスを堅持しているのに対し、このアストラは妙にスポーティ方向へ揺れ動いているデザインで、アストラブランドとしての一貫性には疑問が残るものの、デザイン上の狙いは成功しているように思われる。日産プリメーラをパクったような形のヘッドライトや、後方にぐいっと引かれたリアドアの切り方、今日の水準からはやや低めの全高、みんなとてもうまくいっていると思う。

写真は、中古車サイトで発見したオペル・アストラの(日本における)最下級グレード、1.8CDである。サイドモールもなければ、ドアグリップも塗装なしの黒いままだ。加えて、質感に欠けるホイールキャップの意匠と、ブラックアウトされていないセンターピラー(これはアストラ全グレードで共通だが)のせいもあり、なんだかとても「ハギトラレ感」の強い外観だ。言うまでもなく僕はとても好きである。どちらかといえば攻撃的で、勇ましさの勝ったボディデザインと、上記の特徴による外観のみすぼらしさのミスマッチがとてもいい。日本で売られる輸入車の仕様は、現地の上級グレードに相当するものばかりで、そのクルマが持っている素の良さを少なからずスポイルしている…とは巷間よく語られていることだが、日本でもこんな素に近いグレードが買えていたことは驚きだ。

このグレードはあくまで日本における最下級グレードであり、このシリーズで取り上げることについてはちょっと迷った。欧州におけるアストラは1.4Lエンジンを積むグレードもあるからだ。しかし、このグレードの外観は明確に最下級のそれであり、日本車でもここまで最下級然としたグレード設定は最近見られなくなっているので、あえてここで取り上げた。

日本でオペルが買えなくなってからしばらく経つけれど、そのせいでオペルファンがなんらかの抗議的行動を起こしたという話はついぞ聞かない。これがメルセデスベンツやBMW、アルファロメオだったら、オペルの場合とはまったく違うことになっているに違いない。オペル車のモノとしての確かさは僕も認めているけれど、やっぱりオペルというのは淡白なブランドなのだろう。実際、僕もこのクルマを好いていながら、日々オペルに乗る自分をうれしく思えるかといえば、自信をもってそうと言いきれないところがある。逆に言えば、オペルに乗るなら、この1.8CDあたりを牛馬車のように使い倒すことで、ブランドに依存しない愛情を育むのがもっとも正しい乗り方かもしれない。
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無印良車、カペラワゴン

2008年10月20日 22時49分55秒 | Weblog
マツダ626エステート、日本名カペラワゴン。このクルマは、僕がいまの町に引っ越してきたときからずっとここに停まっていて、通るたびに気になっていた。

この代のカペラワゴンが登場したのは1997年のことだ。当時の広告からは、使う側の視点に立った実用的なクルマ作りに開眼したマツダの意気込みのようなものが感じられた。実際このクルマは非常に地味な存在だったけれど、広いラゲッジルームや、人間中心主義を思わせる真面目なパッケージングには見るべきものがあった。

このクルマは、クルマ界の無印良品だと思う。外観からはマツダを意識させる要素は特に見当たらず、まっとうなワゴンとしてのたたずまいが感じとれるだけだ。また、どこか線の細さを感じさせるところも無印的である。

1997年当時は、「RV」という乱暴なくくられかたをしたクルマたちと旧来のセダンたちで、市場は混迷気味であり、そんななかに「いいひと」的なキャラクターで遠慮がちに登場したカペラワゴンが大勢の支持を得られなかったのは、無理もないが残念なことだ。

クロノスファミリーで大コケし、ファミリアでは砂を噛む思いを味わったマツダが必死で放ったクルマは、しかし、その想いとはうらはらに、朴訥な青年のようなクルマだった。 僕はそんな朴訥青年のキャラクターを支持するが、たまたま室内の建付けや遮音性がプアという欠点もあり、市場においてはマイナーに終始したという事実は、90年代マツダのせつない話のひとつとして記憶されると思う。
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日産の蹉跌: 初代プレーリー 【写真追加】

2008年10月18日 02時24分07秒 | Weblog
前回記事に関連して、初代プレーリーの別の画像をぜひシェアしたいと思う。この写真は僕が撮ったものではなく、Wikipediaに載っている写真である。

この車両は初代プレーリーの中でも初期型だ。上背のあるボディを強調する小さなタイヤと、これまた小さめのテールレンズが作り出すリアビューの弱そうな表情が魅力的である。

CHの文字は、このクルマがふだんスイスで乗られているということを示している。ナンバープレートの文字からするとチューリッヒあたりだろうか。なんとなくクタッとした感じのたたずまいからは、このクルマが道具として惜しげもなく使いこまれていることがうかがえる。ヨーロピアンたちにとっても、この初代プレーリーは生活の良き道具だったことが想像されて、楽しい。
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日産の蹉跌: 初代プレーリー

2008年10月14日 20時02分02秒 | Weblog
前回記事の三菱・初代シャリオに続き、80年代のミニバンということで、今度は日産・初代プレーリーを取り上げたい。この写真は2003年に麻布十番を徘徊していたときに撮ったもの。今日まで僕のパソコンのCドライブで眠り続けていたけれど、ようやく日の目を見るときが来たというわけだ。

この初代プレーリーは北米と欧州にも輸出され、アメリカにおいてはStanza wagon、カナダにおいてはMulti、欧州においてはそのままPrairieと呼ばれた。このクルマの誕生は1982年だが、83年には三菱シャリオとクライスラー・ヴォイジャー、84年にはルノー・エスパスが世に出ている(2列シートではあるが、83年のシビックシャトルも仲間に入れていいかも知れない)。つまり、この初代プレーリーの企画にあたって、日産の世の中を見通すinsightはとても優れていたということだ。

アメリカにおける車名から分かるとおり、このクルマのベースは初代FFオースター/スタンザ/バイオレット兄弟だという。つまり、日産にとって第一世代めの本格的なFFプラットフォームを、このクルマも使っていることになる。オースター兄弟の場合は、しかし、コンベンショナルなセダンボディのために、新規開発プラットフォームによる完成度の低さが比較的目立たずに済んだかもしれないが、センターピラーレスの3列シートという意欲的なパッケージングを採用したプレーリーの場合は、そのアラがもろに出たことだろう。

このクルマは当時、デザインがカッコ悪すぎるとの評価がたち、6年間のライフ期間中、その評価がくつがえることはなかった。けれど、ピープルムーバーとしての機能が優れていたならば、カッコ悪くても一定のファンはついたはずだ。商品コンセプトはキレまくっていたのに、エンジニアリングがまずかったせいで、結局日産は今日に至るまで、5ナンバーのローハイトミニバン市場で、初代プレーリーの雪辱を果たせずにいる。

僕は以前、日産ギャラリーの企画展示で、このクルマを見たことがある。窓から車内をのぞきこむと、今のミニバンからは想像もできないような狭苦しいシート配列であった。しかし、いまのミニバンと比べて圧倒的に狭いかわりに、なんともいえない楽しさがあると思った。このクルマで肩を寄せ合いながら家族旅行をしたら、きっとその家族の絆は深まるだろうと考えた。2列目・3列目シートで子どもが無口にPSPに興じ、親はそれに対し何も言わないという、現在のミニバンの車内におけるお寒い光景とはまったく別の世界がそこにはあったのだ。
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三菱の良識: 初代シャリオ

2008年10月13日 00時43分50秒 | Weblog
写真は、去年の夏に都内某所で遭遇した初代シャリオである。初代シャリオは、1983年-1991年を生きたクルマだから、もしこのシャリオの持ち主がこのクルマを新車で買っていたとしたら、ミニバンがブームになるずっと前からこのクルマを使い続けていることになる。

パソコンでも携帯電話でもそうだと思うのだが、買った当初はさほど思い込みのないモノでも、それを上手に使いこなすことができると、次第に自分と一体化というか、自分のモノになっていき、いつのまにか愛着がわいて手放せなくなるということがある。このシャリオの持ち主も、おそらく多くの人間や多くの荷物を運ぶ必要に迫られ、それほど強い思い込みを持つこともなくこのクルマを買ったが、使ってみると非常に使いやすく、日々満足して使っているうちに、いつのまにか今日まで大事に乗り続けているといったところなのではないか。

初代シャリオというクルマは欧州へも「スペースワゴン」の名で輸出され、一定の評価を得ていた。基本的なプロポーションが良く、今日でもそれほど古くは感じないが、スチールホイール中央部にはめ込まれた「センターキャップ」は80年代的だ。あと、この初代シャリオは、もちろん5ナンバー枠に収まるサイズなんだけれど、全幅は1640mm程度と、いまの感覚からするとけっこうナロウだ。そんなところもキュートである。

このクルマは、ところどころにキズやヘコミが散見されたけれど、日常の道具として必要な整備はきちんと定期的に受けている感じがした。ラゲッジスペースに満載された荷物に、ワークホースたるこのクルマの幸せな生涯が透けて見える。
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プリメーラワゴン再評価

2008年10月12日 20時46分30秒 | Weblog
日欧でヒット作の勲章をつかみそこなった、P12型プリメーラ。最近、この代のプリメーラのワゴンがとても気になっている。

僕はこのクルマが世に出た当初から、そのデザインを秀逸と認めながらも、「プリメーラといえばセダンでしょう」という思い込みのもと、ワゴンを軽んじたまま今日まで生きてきた。しかし、いまはっきりとわかった。P12プリメーラはワゴンにかぎる。このリアビューは、現行マーチや初代ティアナ、ティーダとも共通する、ドイツ近代主義デザインのフォーマットに基づいたデザインだ。僕はこの意匠がもたらす、なんともいえないリアビューの表情が好きなのである。

写真はP12型プリメーラの初期型にのみ存在した、ややグレーがかったブルーであり、この色も僕の気に入るところである。この他にも、アーバンブロンズなる強烈な色が存在したが、にもかかわらずなかなか悪くなかった。
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最下級グレードの世界③ AE90系カローラ

2008年10月08日 22時45分21秒 | Weblog
僕は、「皆の良き道具」という意味で、歴代のカローラにシンパシーを感じているものだが、なかでも1987-1991年を生きた90系のカローラには、歴代モデルの中でも特別な思いを抱いている。それは、このモデルの持つ自動車としての普遍性(奇をてらわないセダンの王道的デザイン)と、誠実で手堅いエンジニアリングに裏付けられているという事柄による。

写真は、2006年に千葉県某所にて遭遇した、90系カローラの最下級グレード「DX」である。90系のカローラは、全長4195mmというサイズの中で、先進国の人からも後進国の人からも自動車としての認知が得られるセダンらしいデザインを構築しているが、この最下級グレードはそんな90系カローラのエッセンスが凝縮されて表現されている。

日本市場においては、カローラといえば「SEリミテッド」か「XEリミテッド」な訳だが、グローバルでみたときには、この写真のDXのほうが、大衆のベーシックカーというカローラの使命をよりよく表している。カローラの最下級グレードは、世界市民にとっての「自動車のある生活」のエントリーチケットだ。少なくとも、Aセグメント・Bセグメントのオファーが今よりずっと少なかった20年前には。
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推定車齢: 25歳 【写真追加】

2008年10月07日 22時24分52秒 | Weblog
前回の記事だけでは紹介できなかった写真を追加したい。
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