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クルマに関する妄想集(+その他のことも少し)

【さよならのクルマたち】三菱トレディア②

2021年06月19日 21時50分01秒 | Weblog

三菱トレディアの続きである。写真は、欧州向け仕様を真横から見たものだが、よく見ると、非常に注意深くデザインされた痕跡が認められる。

具体的には、ノーズ・キャビン・デッキのバランスの巧みさ。ドアの切り方と、窓の形状。ボディ同色のセンターピラー。後輪に被さるホイールハウス。 Cピラー根元に配したエアダクト。その全てに、デザイナーの強すぎるほどのこだわりを感じるではないか。この細部のこだわりは、もっと評価されるべきだろう。デザイナーのこれらのこだわりは見事報われて、一台の端正な実用車が生まれた。おそらく彼は、クルマとは、それが実用車であっても、美しくあるべきと信じて自らの仕事を成したのだ。

特に触れたいのは、トレディアの外観を特徴づける後輪のホイールハウスだ。これは明らかにフランス車を意識したデザイン言語だが、当時の三菱のデザイナーの中には、フランス車的なデザインに傾倒し、熱心に勉強した人がいたのだろう。彼はどんな想いを持ってこのクルマに向き合ったのだろうか… と、そんなことを想像させるクルマである。そういえば、この翌年に投入された2世代目のミラージュも、ボンネットフードの切り方にフランス車を感じさせた。

トレディアは、もはや知る人の少ない、知る人にも失敗作としてのみ記憶されている、そんなクルマである。だが、実はそのはかなげなボディには確かな美が宿っており、その控えめながらも独自の存在感は、いまだに見るべきものがあり、このまま忘れ去られてしまうのはあまりに惜しいと、僕には思えるのだ。

 

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このトレディアの画像を眺めているうちに、僕はあることを実験してみたくなり、自分のThinkPad X260を立ち上げて、小一時間ほどかかって画像を加工してみた。その成果が、以下に掲げる加工後の画像である。ベージュのボディカラーと相まって、これで一気にフランス車、それも70年代のルノー風となった。せっかくの美しいボディを崩すことにはなったものの、これはこれで憎めない味が出て、満足している。

 

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【さよならのクルマたち】三菱トレディア①

2021年06月12日 11時53分34秒 | Weblog

これまで、いったい何種類のクルマが世の中に現れ、消えていったことだろう。その中には、時を経て名車と呼ばれるクルマも多かった。名車の定義もさまざまだけど、日本車でいえば、多くのユーザーに使われ、存続期間も長いという意味では、トヨタ・コロナあたりになるのだろうか。あまりに無難な答えだけれど。

けれど一方で、およそ名車とは程遠い、もう二度と人々の口の端に上らないであろうクルマも数多く存在する。今回取り上げる三菱トレディアは、その最たるものだろうと思う。

三菱トレディアは、1982年に投入された、ミラージュ以上・ギャラン未満の車格を与えられた4ドアセダンであった。そして、三菱自動車の歴史に残る販売不振モデルでもある。どのくらい不振だったかというと、発売初年度の1982年の販売台数で、トレディアは月平均およそ1400台であり、35か月早く投入されたランサーEXは同2400台/月(実販売月数は調整済み)という数字が残っている。

ピカピカの新型車が、発売後3年経過したモデルの60%程度しか売れないというのは、当事者たちにとってはまさに一大事である。そして、トレディアはその後も浮上することなく、1988年1月に日本での販売を終え、次いで1990年には欧州でも終了となっている。

ウェブでは、いろんな人がトレディアの販売不振の理由を分析しているが、もう40年近く前のことなので、ごくごく一部の三菱自社員でもないかぎり、定量的な振り返りはもはや不可能だろう。よくある分析は、「クルマとしてあまりにアピールポイントがなかった」というもので、商品企画や開発部門を責める論調が強いけれど、僕はむしろ三菱の新ブランド車として市場の認知を得る努力が足りなかったという、どちらかといえば三菱自の営業部門に販売不振の理由があると思う。

トレディアという名前、特長、価格、どこに行けば売っているのか…  そうした情報を、テレビ・新聞・ラジオ、ディーラーによるチラシやDMを総動員して行い、ディーラーのセールスマンが商品特長をきちんと説明できるよう、しかるべき教育を与えれば、ここまで伝説的な販売不振車にはならなかったのではないかと思う。当時の三菱自の宣伝広告費データや、研修実施実績なんか今となっては入手不可能だから、あくまで仮説の域を出ないけれど。

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