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クルマに関する妄想集(+その他のことも少し)

LCVウォッチャー01_ランサーカーゴ

2006年12月27日 01時33分50秒 | Weblog
僕は乗用車と同じ情熱を持って商用車をも愛している。
自動車の魅力とは、オモチャやスポーツ用品の側面を持ち、時には人が生きる糧にすらなりうる存在でありながら、一方で人やものを大量に輸送することができる生産財的な側面を併せ持ち、人間の活動を拡大させることができるというのがその理由である。
このシリーズでは、原則的に後者の魅力にスポットをあて、商用車(Light Commercial Vehicle=LCV)、または商用車的用途のクルマをとりあげていきたいと思う。

さて、ステーションワゴンの形をしたヴァンのなかでも、このランサーカーゴは僕の好きな一台だ。
ランサー(セディア)ワゴンの基本的なスタイルの良さが、ヴァン仕様になるとよくわかる。癖のないプレーンなボディと長いホイールベースの組み合わせが存外に良い。トヨタ・プロボックス/サクシードと日産ADで大半を占められているこのセグメントにおいて、いぶし銀の輝きを放っていると言ったら褒めすぎだろうか。
無塗装のグリルとバンパーが、かえってこのフロントマスクの造形をきわだたせる働きをしている。スチールホイールに旧リベロのものが流用されているのも好ましい(商用車はスチールホイールの表情もきわめて大事な要素だと、あらためて強調しておきたい)。
僕がもし外回りの多い営業マンで、このクルマを自分専用にあてがわれたら、そうとう嬉しいに違いない。
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生理的嫌悪

2006年12月19日 01時24分31秒 | Weblog
現行アコードは2002年の秋に登場した訳だけど、僕はそのときから一貫して、アコードワゴンのデザインは日本車の中でも相当にレベルが低いと思っている。

アコードワゴンのボディは、なんだかもう「ワゴンの形をしていればいいんでしょ」といわんばかりの、無愛想な造形だと感じる。15インチのホイールと組み合わされた廉価グレードのサイドビューは、ノッペラボウ感がものすごい。加えて、なんとか他車との違いを出したかったのだろうと推測するけれど、横基調にセットされたテールレンズがかもし出すリアビューの表情が、これまた屈指の、爆発的なカッコ悪さなのだ。

ホンダはどういうつもりでこんなものを世に出してしまったのか、真剣に理解に苦しむ。前回のビスタとは違って、モノの持つ力で世の中をデザインしようという気概は勿論、うわべだけでもカッコいいものを作りたいという自暴自棄さすら感じられない。そもそも、ワゴンなのにまったくオシャレじゃないところが、どうにもやりきれない。

(今日の記事は、文句だけを述べて終わり。あまり僕のキャラではないけれど。それにしてもこの写真、カッコ悪いながらも、比較的マシなアングルで撮影してしまった。)
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信念のクルマ、トヨタ ビスタ

2006年12月13日 00時02分12秒 | Weblog
1998年の初夏、僕は、このクルマをマガジンXのスクープで初めて目にした。そして、トヨタの勇気に心底びっくりし、トヨタってほんとに凄い会社だと思った記憶がある。こんなにカッコ悪い、明らかに売れなそうなクルマを、大真面目に世に問うなんて、よほどの勇気と信念がなければできないと思ったのである。少なくとも、僕はこのクルマの登場をそうやって祝福した一人だ。

カッコ悪いとは書いたが、イヤミな言い方をすれば、このクルマをろくに見もせずにカッコ悪いと斬り捨てる人はシロウトである。 確かに、そりゃあカッコ悪いだろう。カッコよく見せようなんてこれっぽっちも思わず、セダンの正義をひたすら追求した結果なのだから。
だけど、それじゃあクルマのカッコよさって何だ?流線型の低いルーフや、手が切れんばかりの鋭いエッジ、ガラの悪いツリ目ヘッドライトによってのみ決まるのだろうか? 否である。

いろんな意見があるだろうが、クルマのカッコよさとは、僕に言わせればそのクルマがどれだけおのれの目的に真剣に迫っているかどうかで決まる。 「おのれの目的」とは、すなわち存在意義だ。 存在意義をどれだけ真面目に追求したか、その迫力がカッコよさだ。その上で、美しさや洒落っ気をも備えていれば言うことはない。(例として多くのプジョー、ルノー)

ビスタは、人間にたとえるなら、ジャニーズ的な安易なカッコよさは最初から捨てて、徹底して実用セダン=性格俳優たろうと努力した。その結果、本物のカッコよさを得ることができたが、日本のマーケットではビジネス的に成功するはずもなかった。よく見れば、ドアの切り方やリアデッキの長さと下がる角度など、かなりレベルが高いと思うのだけど。今にして思えば、この基本デザインにはどう考えても不釣合いなフロントマスクとリアビューが災いしたような気もする。

このクルマほど、自分の信念を前面に押し出した説得型のクルマも珍しいと思う。トヨタにはぜひ、この路線でもう一回ビスタを作ってほしかった。ビスタ店もなくなってしまったいま、このブランドも、このトヨタの勇気あるチャレンジも、静かに記憶から消えていくのだろうか。
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コロナと書いて、実用と読んでみる

2006年12月09日 01時20分53秒 | Weblog
このコロナも、今ではすっかり見かけなくなった。中でも水色のボディカラーはそうとう珍しいと思う。
ナンバープレートを見ると、当然のように地名の後の数字が2ケタであり、長年の風雨によるものか、文字が薄くかすれていた。
新車登録からおそらく16~17年は経っていると思うけれど、塗装にはまだツヤがあった。
このクルマは、持ち主の要求に応えて、日々淡々と輸送の道具として働いているのだろう。持ち主は、このクルマに過度の愛情をかけることなく、一方で道具としての愛着はしっかりと抱きながらこのクルマを使っているに違いない。一朝一夕には築くことの出来ない、よく出来た実用車とのそんな大人な関係は、僕にとってとても羨ましい。
このクルマを久しぶりに見ると、ほんとに平凡なデザインながら、リアドアのウィンドウラインやCピラーの角度には細心の注意が払われていることを感じさせる。この頃のトヨタセダンは、おしなべてこんな水平基調のデザインだった。同時期のカムリ/ビスタセダン(1986-1990)とならんで、僕の好きなクルマのひとつである。
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