写真のクルマはマツダ・ファミリア(1994-1998)なわけだが、このクルマはクロノスファミリーとともに、90年代のマツダを一躍「日本でもっともイタいメーカー」へ押し上げる原動力となったことで知られる。
今でこそ、Zoom-Zoomの勇ましいイメージで鳴らすマツダだが、ほんの10数年前はリコール騒ぎ渦中の三菱並みにお寒いイメージだったように思う。
もちろん、マツダに限らずどのメーカーでも、目論見に反して失敗した(=売れなかった)モデルというのはある。だから、1車種や2車種失敗したぐらいでは、イタいメーカーと認定されることはない。では、マツダの場合は何が違ったのかというと、失敗したことが明白になった後の対応が悲しすぎることだ。
写真のファミリアの場合では、1994年に登場したファミリア・ネオの失敗が明確になり、マツダはモデルライフ中盤で超大規模なマイナーチェンジ、というか、ボディデザインの100%変更を行うことを決断した。そのこと自体、痛々しいことではある。
写真は変更後のボディで、変更前とはまったく別のクルマに仕立てられている。 じっさい、モデルライフの半ばでこれほどまでに外観変更したケースを僕は知らない。 そして真に痛々しいのは、せっかく死ぬる思いでそこまで投資しても、この代のファミリアの販売が浮かび上がることは最後までなかったという冷徹な事実だ。
このファミリアの失敗から、僕たちは「努力すれば報われる」という思想は、まったくのウソなんだと気づく。この世には、どんなに頑張ってもダメなものはダメなこともあると知るのである。
このファミリアよりもひとつ前の世代のモデル(1989-1994)は、モデル末期には価格を下げて叩き売りされていたモデルだ(いわゆる「所さんのファミリア」)。それだけに、次の代にかける社内の期待は相当なものだっただろう。実際僕は、当時、マツダを取材したテレビ番組「報道特集」で、マツダの役員たちが神主さんのような人の前でこのファミリアの成功を祈念している様子を見ている。それがこのような結果になって、やんぬるかなというしかない。
今でこそ、Zoom-Zoomの勇ましいイメージで鳴らすマツダだが、ほんの10数年前はリコール騒ぎ渦中の三菱並みにお寒いイメージだったように思う。
もちろん、マツダに限らずどのメーカーでも、目論見に反して失敗した(=売れなかった)モデルというのはある。だから、1車種や2車種失敗したぐらいでは、イタいメーカーと認定されることはない。では、マツダの場合は何が違ったのかというと、失敗したことが明白になった後の対応が悲しすぎることだ。
写真のファミリアの場合では、1994年に登場したファミリア・ネオの失敗が明確になり、マツダはモデルライフ中盤で超大規模なマイナーチェンジ、というか、ボディデザインの100%変更を行うことを決断した。そのこと自体、痛々しいことではある。
写真は変更後のボディで、変更前とはまったく別のクルマに仕立てられている。 じっさい、モデルライフの半ばでこれほどまでに外観変更したケースを僕は知らない。 そして真に痛々しいのは、せっかく死ぬる思いでそこまで投資しても、この代のファミリアの販売が浮かび上がることは最後までなかったという冷徹な事実だ。
このファミリアの失敗から、僕たちは「努力すれば報われる」という思想は、まったくのウソなんだと気づく。この世には、どんなに頑張ってもダメなものはダメなこともあると知るのである。
このファミリアよりもひとつ前の世代のモデル(1989-1994)は、モデル末期には価格を下げて叩き売りされていたモデルだ(いわゆる「所さんのファミリア」)。それだけに、次の代にかける社内の期待は相当なものだっただろう。実際僕は、当時、マツダを取材したテレビ番組「報道特集」で、マツダの役員たちが神主さんのような人の前でこのファミリアの成功を祈念している様子を見ている。それがこのような結果になって、やんぬるかなというしかない。