Open your eyes

クルマに関する妄想集(+その他のことも少し)

ラジカセを再考する

2006年02月27日 01時43分59秒 | Weblog
最近、近所のヤマダ電機で、「ラジカセ」を買った。台所のそばに置いて、料理やその後片付けをしながら、BGMとしてラジオを聴こうと思ったのだ。
リビングにもMDラジカセがあり、今まではそれを使っていたのだが、鉄筋コンクリートの建物のせいかFMの受信状態がとても悪く、置き場所を自由に動かせる小さくて軽いラジカセを台所用として買おうということになったのだった。
ラーメン屋とかの厨房で、おそらくは20年ぐらい、毎日毎日AMラジオを流している年代物のラジカセがあるじゃないですか。黒くて四角い、いかにも昭和の匂いのするようなラジカセが。僕がイメージしていたのは、まさにああいう使い方。
さすがにデザインはちょっとだけ21世紀入っていたほうがいいかなとは思ったけど、基本的にラジオを聴くために毎日淡々と、5年から10年は使いたいと考えた。

でも、そういう視点でラジカセを選ぶと、これがなかなか難しかったのだ。ラジカセという商品は、なぜにどれもこれも安っぽいオーガニックな曲線でデザインされているんだろう? まるで適当に魂レスでデザインされた韓国車のようだ。
特に、僕たちが求めた1万円以下の価格帯のものになると、時間の経過に耐えられるデザインのものはほとんど皆無といっていいぐらい。メーカーのやる気のなさをあからさまに感じたね。こういうラジカセは英会話教室だけで使われるからデザイン性は不要と思ってるんじゃないのかい? (無印良品には、悪くないものがあったのだが。ただしちょっとだけ上等すぎた)

そんな中、6,000円弱で買ったのが、写真の松下のモデル。FM/AMラジオとカセットデッキがついている。
ちなみに、オートリバース機能は、無いです。 これって、ADバンとか60万円アルトを個人で買ったときのような、一種の爽快感がある。買ったことはないけど。
もっとも、僕たち夫婦にいわせれば、この松下のモデルとて100点満点ではない。しかし、上記のような使い方をする以上、最初から思い入れたっぷりよりもむしろ良いのではないかと思う。毎日使って、インテリアとして眺めているうちに自然と愛着が湧いてくるような関係が望ましいと思っている。
コメント (2)
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