Open your eyes

クルマに関する妄想集(+その他のことも少し)

日産ノートできまぐれ小田原

2005年07月31日 01時00分08秒 | Weblog
日産ノート(会社の評価車両)を引っぱり出して、夜の小田原へひとりドライブした。
その日、会社を出たのは21時ごろ。さてどこに行こうかと考えて、急に夜の小田原厚木道路を走りたくなり、翌朝つらいのはわかっていたけど、敢行しちゃいました。

夜の小田厚って、周囲が圧倒的な闇に包まれていて、東京から1時間圏内なのにものすごく遠くまできてしまった感覚が味わえる。アップダウンも激しく、僕の中では走って楽しい道だ。ときどき覆面がいるらしいけど。
「平日なのにこんなところまで来ちゃって」「こんな時間があるなら早く帰って寝たほうがいいんじゃないか」という軽い後ろめたさを感じながら、それを振り切るようにアクセルを踏むのがいいのです。子供の頃、自転車に乗って遠くまで行ってしまったときの、冒険に出かけるときにも似たあの気分がよみがえる。

7年前の秋、同じように一人で真っ暗な小田厚を走ったことがある。箱根で内定者同士のお泊り飲み会があって、僕は夜から遅れて参加したのだ。そのとき、僕は大学4年、22歳だった(若!)。
内定者同士といっても、それまであまり彼らと連絡をとってこなかった僕には、よく知らない顔ばかりである。そんなところへ一人で遅れて参加するということで、期待と不安が入りまじった気持ちだったのを覚えている。その時の気分と、前後に1台のクルマも走っていない小田原厚木道路の深い闇が、僕の中では結びついているのだ。ノートで小田厚を疾走しながら、当時の自分を思い出して、「もう俺ってば…」という苦笑気分になった。

ところで、日産ノートはいいクルマだった。あのボディに1.5Lエンジンだからかなり速いし、CVTはまったくストレスなしに機能してくれる。音も100km/h以下ではすごく静かだ。日産のBセグ車の中で、僕が買うとしたらこのクルマかな?と思った。あくまで「買うとしたら」だけど。なぜならやっぱり、306の代わりにはならないからね。
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ドイツ車への屈折した思い

2005年07月26日 23時15分10秒 | Weblog
写真は『NAVI』5月号よりスキャンした新型アウディA6・アヴァント。いま僕は、このクルマが欲しいとはいわないまでも、そうとう参ってしまっている。
アウディには以前にも似たような気持ちにさせられたことがある。現行A4のマイナー前モデルにはかなり萌えたし、マイナーしてダメになったなと思ったのもつかの間、「やっぱいいかも…」と思い始めた自分がいる。
しかし、ドイツ車を気にしている自分に対し、忸怩たる思いがあるのもまた事実なのだ。

たとえば、僕はゴルフをⅠからⅢまでは尊敬する、というか一目置いている。特にⅢには、306と同時代を生きたよき戦友のような気持ちすら抱く。しかし、Ⅳ以降のゴルフはなんだか水っぽくなってしまって、あまり刺さってこない。Ⅳ以降のゴルフのユーザーは、どんな思い込みをもって自分のクルマに乗っているのか知りたい。もっというと、言いかえれば、「ゴルフ」というブランドをどれだけ理解したうえで乗っているのかを知りたい。ゴルフⅣ以降のユーザーを軽く見る気持ちからではなく、最近のゴルフにどれだけの「神通力」が残っているのか興味があるのだ。

(歴史的に見ても)最後にはフランスが勝つのさ、と思いながらもアウディに萌えてる自分。こんな自分を、しかたねえなあと思いつつ、クルマ好きとして正直だなあとも思う。
クルマオタク道って、白黒はっきりしない、ダブルスタンダードあたりまえの、「好きなものは好き」の世界だからね。
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木曜日、有楽町・恵比寿。

2005年07月18日 22時44分54秒 | Weblog
7月になってだいぶたったですね。気づいたらもう18日だったりして。ブログから遠ざかっている間にいろんなことがあった。その多くは時間がたつにつれて色あせてしまうものだったり、逆に忘れてしまいたいものだったりする訳だが。
時には、時間がたってもある日ふと思い出すような、印象的な夜もある訳で。

先週の木曜日、昔の部署の上司と飲んだ。仮にNさんとしておく。Nさんは今年38歳で、2年前に課長になった。ものすごく、本当にものすごく仕事のできる人だが、同時にきわめて多才な趣味人である。仕事に対して人の2倍は努力しながらも、遊びのときはさらにその3倍ぐらいのめりこむ人だ。僕はそんなNさんの人生に対する姿勢が好きで。過去のある期間、Nさんと一緒に仕事ができたという意味で、自分がたどってきたキャリアは価値があると思えるほどだ。

まずは有楽町のガード下の、小汚いが滅法うまい焼き鳥屋に行った。僕たちはそこで焼酎のかわりにホッピーを飲んだ。汚いガード下の店とホッピーが異様にマッチしてるな、と酔った頭で思った。
その焼き鳥屋を出て、僕たちはタクシーに乗って恵比寿に向かった。そこにNさんの行きつけのバーがあるというのだ。着いてみるとそこは非常にスノッブな感じのバーで、すでに酔っていたこともあるが、さっきまでいた焼き鳥屋との落差にめまいがした。Nさんはこういう演出が好きな人なのだ。

この夜、Nさんと話した内容は、大半は忘れてしまった。おそらくNさんもそうだろう。二人ともそうとう飲んだから。でも、いくつかはしっかり覚えている。ここで書くのはちょっと気恥ずかしいような青くさいことだ。今回のNさんとの飲みも、僕にとって刺激的な時間だった。
Nさんに言われて時計を見ると、すでに2時近かった。帰りのタクシーの中、グラグラする頭で僕が考えたことは、Nさんと僕が一緒に仕事をしていたとき、当時のNさんは今の僕とそう変わらない年齢だったんだな・・・ということ。今の僕に、誰かに対して当時の僕が受けたぐらいの大きな影響を与えるなんてことができるだろうか?
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