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クルマに関する妄想集(+その他のことも少し)

スズキ君の愛車

2011年01月12日 00時32分40秒 | Weblog



僕の中学校時代の同級生であるスズキヒロユキ君の家は、彼が中学校3年のとき、トヨタ・マスターエースを買った。スズキ君としては、マスターエースではなく、当時発売されて間もなかった初代エスティマがよかったらしいのだが、スズキ君いわく、「(エスティマは)100万高かった」そうである。彼の家ではその後もマスターエースに乗り続け、大学生となって免許を取ったのち、スズキ君はマスターエースに乗って再び僕の前に現れた。そして、彼と僕は深夜の行先のないドライブを楽しんだのである。

画像のクルマは残念ながらマスターエースではなく、その兄弟車のタウンエースだが、見ようによってはカッコいいボディを持つこのクルマを見かけると、僕はいつもスズキ君のことを思い出す。同時に、商用車派生のワンボックスにしてはとても乗用車ライクだった、このクルマのインパネのデザインも。

スズキ君はその後まもなくバイトしたお金で中古の180系セリカを買い、僕に見せに来た。「4WSだからバックが難しいんだよな」と言っていたのを思い出す。スズキ君はカッコいいクーペを手に入れたことが心底嬉しそうであった。

彼はいま、何をしているのだろうか。そして、何のクルマに乗っているのだろう。
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生活財としてのクルマ(続)

2011年01月05日 15時01分01秒 | Weblog



日産が1990年代に放った安直グルマその2は、画像のプレーリージョイである。なお、その3としてアベニールサリューというのもあって、発売された順番は、プレーリージョイとアベニールサリューが同タイミングの1995年8月、前回記事のウイングロードが翌年6月である。

このクルマも安直というか、消費者を舐めた商品企画と言わざるを得ない。1988年発売のM11型プレーリーをベースに、前後ドア以外の外板を刷新し、2列目シートスライドなどの新機構を与えたもの。そのほか、それまでの旧世代CA20S/KA24DE型エンジンをSR20DEに換装するなど、細かく見れば少しは頑張った痕跡は認められるものの、やはりメーカーの都合が前面に出た、ユーザー不在の新型車とのそしりは免れない。加えて、いろいろと制約があったことはわかるが、この増築された家のようなアンバランスなボディは、およそクルマが備えるべき美とはかけはなれたものだ。2011年の今日、このクルマが発売されたら、中国車と間違われるかもしれない(その中国車だって最近は馬鹿にできないが)。

とはいえ、前回の記事でも書いたように、ユーザーにとってはこれでもたった一台の大事なクルマであろうと思う。特に、このクルマはミニバンだから、これで家族の思い出を作ったという人も多いだろう。そんな人たちには、「クルマが備えるべき美」など二の次かもしれない。

また、少々逆説めくけれど、目的を高いレベルで満足できる機能があれば、醜いデザインも正当化されることもあるし、その醜さが魅力になることすらある。このクルマを買ったユーザーたちにとって、このプレーリージョイがそうでないと決めつけることはできない。



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生活財としてのクルマ

2011年01月04日 12時33分17秒 | Weblog



このクルマの中途半端な生い立ちを表すリアビューを見るたび、クルマにこだわりを持つ人は世の中には案外少ないことを実感する。

この初代ウイングロードは、当時のワゴンブームを背景に、ADバンの荷室部分を延長し、乗用車用のリアサスを与えられて1996年に登場した。当時すでに生産を終えていたB13サニーのインパネを再び与えられるなど、その商品企画は安直としか言いようのないものだったが、当時の「RVブーム」と価格の安さ、それに日産のディーラーネットワークもあって(クルマの販売では、商品力とは別に、ディーラーの数も大きな要素である)、この少々バランスを欠いたデザインのワゴンは、そこそこの数が街に出回ったように覚えている。

1995-1996年頃の日産は、古くなったモデルをビッグマイナーチェンジして、あたかもフルモデルチェンジのように装うケースが何車種かあった。それらのクルマは当然のように魅力に欠けるデザインをしており、僕はそれを冷ややかな目で見ていたのだが、一方で今になって思うのは、そんなクルマでも自分のお金をはたいて買った人にとっては欠くことのできない生活の道具であり、ときには愛情を注ぐ対象であることも、また確かである。別にすぐに壊れるわけでもないし。

それらのクルマがいまでも淡々と乗られている様子を見ると、日産も罪なことをすると思いつつも、それを買ったユーザーを責める気持ちにはなれない。特に、この画像のように、荷物を満載してその役割を忠実に果たしているウイングロードを見かけたときには、そんなことを考える。
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