雨の日曜日に見た赤いオペル・コルサ。日本ではヴィータ名で売られていたが、僕はなんとなくコルサというグローバルネームで呼んでやりたいと思う。
梅雨時の湿度の高い日、歩道に植えられた樹々は、自身が持つ緑色を最大限に発色させていた。まるで、豊富な水分を枝の先端まで、葉の一枚たりとも残さずに行きわたらせているように思われた。
その真下に置かれた、ソリッドな赤もまぶしいコルサもまた、匂いたつような生々しい緑との対比もあって、クルマの造形のみでは説明しきれない一種独特なアウラを周囲に発散させていた。
そこへ小走りにやってきた、中学生ぐらいの娘と母のふたりがある。どうやら父親がコルサで母娘を待ち、そこへ買い物を終えたふたりが戻ってきたということらしかった。すると、このコルサは純粋なファミリーカーとして使われているのか。
僕は、ある程度大きな子どもがいながら、オペル・コルサという小さな、しかし乗用車として恥じるところのないクルマを、その上こんなに美しく魅せながら乗っているこの家族を、尊敬に似た思いで眺めていた。同時に、オペル・コルサという、地味ながらこれほど僕の心を奪ったクルマを、この1年ぐらい頭に浮かべなかったことに衝撃を受けた。
僕が呆然と見守る中、真っ赤なオペル・コルサは音もなく発進し、雨煙の中に消えていった。
梅雨時の湿度の高い日、歩道に植えられた樹々は、自身が持つ緑色を最大限に発色させていた。まるで、豊富な水分を枝の先端まで、葉の一枚たりとも残さずに行きわたらせているように思われた。
その真下に置かれた、ソリッドな赤もまぶしいコルサもまた、匂いたつような生々しい緑との対比もあって、クルマの造形のみでは説明しきれない一種独特なアウラを周囲に発散させていた。
そこへ小走りにやってきた、中学生ぐらいの娘と母のふたりがある。どうやら父親がコルサで母娘を待ち、そこへ買い物を終えたふたりが戻ってきたということらしかった。すると、このコルサは純粋なファミリーカーとして使われているのか。
僕は、ある程度大きな子どもがいながら、オペル・コルサという小さな、しかし乗用車として恥じるところのないクルマを、その上こんなに美しく魅せながら乗っているこの家族を、尊敬に似た思いで眺めていた。同時に、オペル・コルサという、地味ながらこれほど僕の心を奪ったクルマを、この1年ぐらい頭に浮かべなかったことに衝撃を受けた。
僕が呆然と見守る中、真っ赤なオペル・コルサは音もなく発進し、雨煙の中に消えていった。