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クルマに関する妄想集(+その他のことも少し)

忘れられた印象派 - オペル・コルサ

2009年06月29日 22時05分41秒 | Weblog
雨の日曜日に見た赤いオペル・コルサ。日本ではヴィータ名で売られていたが、僕はなんとなくコルサというグローバルネームで呼んでやりたいと思う。

梅雨時の湿度の高い日、歩道に植えられた樹々は、自身が持つ緑色を最大限に発色させていた。まるで、豊富な水分を枝の先端まで、葉の一枚たりとも残さずに行きわたらせているように思われた。

その真下に置かれた、ソリッドな赤もまぶしいコルサもまた、匂いたつような生々しい緑との対比もあって、クルマの造形のみでは説明しきれない一種独特なアウラを周囲に発散させていた。

そこへ小走りにやってきた、中学生ぐらいの娘と母のふたりがある。どうやら父親がコルサで母娘を待ち、そこへ買い物を終えたふたりが戻ってきたということらしかった。すると、このコルサは純粋なファミリーカーとして使われているのか。

僕は、ある程度大きな子どもがいながら、オペル・コルサという小さな、しかし乗用車として恥じるところのないクルマを、その上こんなに美しく魅せながら乗っているこの家族を、尊敬に似た思いで眺めていた。同時に、オペル・コルサという、地味ながらこれほど僕の心を奪ったクルマを、この1年ぐらい頭に浮かべなかったことに衝撃を受けた。

僕が呆然と見守る中、真っ赤なオペル・コルサは音もなく発進し、雨煙の中に消えていった。
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さわりたくなるお尻

2009年06月02日 21時22分18秒 | Weblog
写真のクルマは、1990年から1994年を生きた、EL/NL40系カローラⅡ。現役時代は街中のいたるところで姿を見かけたこのクルマも、最近ではすっかりめずらしくなってきた。1999年にヴィッツが鳴り物入りで登場し、その後そのプラットフォームを用いた兄弟車たちが濫造されるなかで、「順調に」代替されていったのだろうか。ちなみに、写真のクルマは正確にはマイナーチェンジ後のモデルで、販売構成比上メジャーだった「Windy」である。

このEL/NL40系のターセル/コルサ/カローラⅡは、セダンも悪くなかったが、なによりハッチバックのリアビューが素晴らしかった。ボディとハッチの曲率が完璧に合ったその丸みは、いまだに世界中の自動車メーカーはこれを超えるハッチバックを産み出せていないと思わせるぐらいに魅力的だ。

それなのに、なぜかトヨタは1994年に同シリーズをEL/NL50系にフルモデルチェンジさせるにあたって、ハッチバックのデザインを「ザ・凡庸」としか言いようのない、きわめてつまらないデザインに改悪してしまう。女性らしさを前面に押し出した(丸っこい)デザインは当の女性には受けない、これは真実であるけれど、EL/NL40系は丸っこい/角ばってる、あるいは女性らしい/らしくないを超えて、工業デザインとして本物の美を成し遂げていたことに、トヨタ自身がまったく気づいていなかったと思わざるを得ない。

トヨタは、いつの時代も全社的な車種ラインナップをつらぬく「デザインエレメント」を持っていて、それは4年から5年の周期で更新されるのだが、80年代と90年代は、セリカとカローラⅡ兄弟がそのアンテナとしての役割を担っていたように思う。つまり、セリカとカローラⅡ兄弟のフルモデルチェンジによって、われわれはその先数年間のトヨタデザインをある程度予見することができたのである。

そういう意味では、このカローラⅡ兄弟以降のトヨタ車は、数年間にわたり曲線過剰のデザインで押してきた。それはどれも見る者を納得させる完成度を備えており、僕はこの時期は日本メーカーではトヨタがいちばん好きだったほどだ。

そんなわけで、トヨタにとって1990年代の前半は、全社的なデザインの明確な方向性と、個別車種のデザインの完成度がかみあっていた、ひとつの黄金時代だったと僕は思っている。
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